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仙台に住んでいた頃はこのタイプの信号機は珍しくもありませんでしたが以前にもネットで話題になって、そうなんだと意外に思っていました。記事にある、仙台市若林区三百人町は前世紀末に住んでいたところ、仙台市若林区木下は今世紀初頭に住んでいたところの近く。どちらも細い道なので見にくいということはなく、問題ありません。
余談件の木下の信号機近くにあるサンクスで2011/03/11の17時頃に命を繋ぐための飲料(エタノールがあったりなかったり)と食べ物を買うことができました。停電でレジ端末は使えなかったのですが、電卓とメモ帳で手動対応していました。
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「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常
懐かしい (スコア:2)
仙台に住んでいた頃はこのタイプの信号機は珍しくもありませんでしたが
以前にもネットで話題になって、そうなんだと意外に思っていました。
記事にある、仙台市若林区三百人町は前世紀末に住んでいたところ、
仙台市若林区木下は今世紀初頭に住んでいたところの近く。
どちらも細い道なので見にくいということはなく、問題ありません。
Re: (スコア:2)
余談
件の木下の信号機近くにあるサンクスで2011/03/11の17時頃に
命を繋ぐための飲料(エタノールがあったりなかったり)と食べ物を買うことができました。
停電でレジ端末は使えなかったのですが、電卓とメモ帳で手動対応していました。
Re:懐かしい (スコア:2)
他の地域に無かったのはこのニュースで知りました
もうすぐ10年目ですか
あのときはYRP山の上に居て、その日は一晩過ごしたぐらいですかねえ
実家にも連絡つかないですし、
歩いて帰るぐらいならこの建物のほうが安全だろうってなってました
家族持ちの方々はYRPから歩いて川崎や鎌倉に帰ったとか言っててすごいなあと思いました
当時は横須賀に居たので歩いて帰れなくはないですが・・・
まあ10年経っても最悪は残り続けてますし
10年経って復旧した生まれ故郷の鵜住居で
親にラグビー見せられたのでそれなりに生きてるんだなあとかは思いますが