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一概に否定はしないが、みんながみんな、何か拠り所のようなものをこうやって費用をかけて永遠に残しておく必要もないと思う。それこそ思い出に写真が一枚あれば十分な気もする。
土葬の習慣がある地域なら遺体を何とか埋める必要があるが、その習慣のない日本では、遺体の処理の側面だけで言えば骨粉だけをわざわざ埋めておく必要もない。
おっしゃる通り、墓なんてものは、「遺体の処理の側面」を度外視すれば、個人の知人の内、生きている人のための「拠り所」でしかない。
しかし、その「生きている人」が複数いる場合、それぞれに意見があるわけで、それぞれがそれなりに納得する結論が必要になる。大抵の場合、それは伝統的な・一般的なやり方がその結論になる。つまり日本であれば、火葬して、墓なり納骨堂なりに入れる、ってことになる。
てなわけなので、「生きている人」が自分だけだ、と言うなら好きにすればいい。複数だったとしても、説得できるのであれば、どうとでもできる。法律には従う必要はあるだろうけどね。
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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
墓は必要かなあ (スコア:0)
一概に否定はしないが、みんながみんな、何か拠り所のようなものをこうやって費用をかけて永遠に残しておく必要もないと思う。
それこそ思い出に写真が一枚あれば十分な気もする。
土葬の習慣がある地域なら遺体を何とか埋める必要があるが、その習慣のない日本では、遺体の処理の側面だけで言えば骨粉だけをわざわざ埋めておく必要もない。
Re:墓は必要かなあ (スコア:1)
おっしゃる通り、墓なんてものは、「遺体の処理の側面」を度外視すれば、個人の知人の内、生きている人のための「拠り所」でしかない。
しかし、その「生きている人」が複数いる場合、それぞれに意見があるわけで、それぞれがそれなりに納得する結論が必要になる。
大抵の場合、それは伝統的な・一般的なやり方がその結論になる。
つまり日本であれば、火葬して、墓なり納骨堂なりに入れる、ってことになる。
てなわけなので、「生きている人」が自分だけだ、と言うなら好きにすればいい。
複数だったとしても、説得できるのであれば、どうとでもできる。
法律には従う必要はあるだろうけどね。