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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs
時期はずれにこっそり答えておく。 (スコア:1)
「愛のエプロン [tv-asahi.co.jp]」で有り得ない料理を見たとき
(トップページ [tv-asahi.co.jp]から入ると音がするので注意)
2.今どんな勉強/仕事/活動をなさっていますか?
困猿もどき
3.今一番会いたい人は誰ですか?
特に居ない
4.嫌いな食べ物と、その理由を教えてください。
嫌いな食べ物は無い。
でも、関西人なので、納豆は食べないことにしている。ただし、味は美味いと思っているですが。
5.大切な人が殺人を犯すのと、大切な人を殺すのと、どちらかを
受け入れなければならないとしたらどうしますか?
大切な人に代わって殺人を犯す。
6.集めているものは
written by こうふう
時期外れのコメント (スコア:1)
「信仰と宗教は別、だよね?じゃあ、違いは?」
の問いに対して勇猛果敢な
>7.あなたにとって信仰とは何ですか?
>非論理的な思い込みの根拠となるもの(←ミッションスクールな大学を出たとは思えませんな)
の回答!私の質問欲が激しく刺激されました。
論理的な思い入れは信仰の対象になり得ない?
#
Re:時期外れのコメント (スコア:1)
で、テクノロジーでさえも信仰の対象になると思います。トンデモ系なテクノロジーの存在を信じるのは、もちろん信仰だと思いますが、それはひとまず置いておきましょう。
しかしながら、おそらく一般に受け入れられる意味での「論理的」「合理的」なテクノロジーにしても、根源的なところは信仰(=非論理的な思い込み)ではないかと思うわけです。例えば、ある「公理」の存在を受け入れる/拒絶するのは、信仰だと思うわけです。例えがよくないかもしれませんが、ユークリッド幾何学の公理は受け入れられるが、非ユークリッド幾何学の公理はどうも受け入れられない/理解できないと言うのは、一種の信仰ではないかと思えるわけです。逆に、ユークリッド幾何学の公理が、何故自明なのかというと、おいらには、よく分からないというか、他人が納得できるように「論理的に」説明できる自信がないんですよ。結局、公理だから正しいと信じておくしかないということなんではないかと思うわけなんですよ。(正確に言えば、正しいと仮定して論理展開しているわけですが。)
#つか、数学は難しくて逃げ出した身なので、正しくないことを書いてそうですがね。
トンデモ系に戻れば、彼らは、彼らなりの公理(?)を作って、それを信仰しているんでしょう。周りに迷惑をかけない限りにおいては、他人がとやかく言うことではないかと。
いわゆる宗教で言えば、「教祖が言ったことは全て正しい」というのが公理なのかもしれません。
というあたりで、これ以上突っ込まれても、ボロがボロボロっと出てくるだけなので、勘弁してください。
それはさておき、うちの大学だと、神学部以外でも、1回生のときにはキリスト教学が必修だったり、週に1回は説教を聴かされたり、そんな感じですかね。2回生以降は特に何もないんですが。当然、神学部は2回生以降もいろいろあるはずですが、そっちはよく知りません。卒業しちゃってからだと、大学のチャペルで、結婚式を挙げる人もいるそうですが。
written by こうふう