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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
事件として捉えない (スコア:1)
「みなさんなら」と聞かれたので、俺の場合の答えを答えときます>タイトル
こういうことを事件と捉えないという意味で(も)、
OpenSource(ここではOSD互換の奴ね)という立場というか発想が、俺は好きです。
まあこの場合は勿論、ソース自体の公開はまた別の問題なわけですが、
ここでは、それの横っちょについている「再」配布自由とか用途差別禁止とかいう
自由を守るための考え方が、重要です。
え?誰の自由かって?そりゃ作者の
Re:事件として捉えない (スコア:1)
技術的に不可能なことではないとはいえ、作者がやって欲しくないと望むことは尊重すべきではないでしょうか?
何も自分の書いたコ
Re:事件として捉えない (スコア:1)
こりゃ失礼。とんだことを見落としてました。
…とはいえ、Netでなくても同じように捉えるのが俺としては理想ではありますが。
>技術的に不可能なことではないとはいえ、作者がやって欲しくないと望むことは尊重すべきではないでしょうか?
それ言っちゃうとキリが無いような気がしています。
GNU(RMS)が目指してるものが何なんだろう?と、ちょっと考えてみたんですが、
あれはつまり「作者がその作品の王ではなくなる」世界を目指してるんじゃないかなと。
士郎正宗氏によれば(藁)「さいばーわーるどには、同時に複数の覇者が存在し得る」そうですね。
で、それをソフトとかの作品について解釈すれば、
「作品ごとに王が居る」状態を意味してるんだと思います。
そして著作権とか文化風習とかのせいで、この王のデフォルト値は「作者」になっています。
つまり「作者が望まないことは出来ない」世界。
でも、それって主権在君なんだよね。
それに対して、GNUが言う「すべてはFREEに」っていう世界は、
ソフトについての主権在民なんじゃないかな。
作者が王ではなく、ユーザ各自が作品を「自由に」使える世界。
GNUがなんで清清しく聞こえるのかを考えて、最近やっと気付いたのが、上記です。
チョサクケンで縛り上げた現状の世界は、実は未だ民主化がなされてなかった、というのが種明かしだったんだなと。
>何も自分の書いたコードが他所で笑いものになってても良いと考えるのなら別ですが、
>例えば私はそのような状況になってまで物を作る意欲は有りません。
往年の王侯貴族も同じことを言っていたことでしょう。自分は尊ばれて当然だと。
少なくとも俺は、自分が王侯貴族になるなどという見苦しいことをしたくないがゆえに、
他所の誰かが「笑いものに」する自由は認めるべきだと思っていますし、認めてます。 [nifty.ne.jp]
え?俺がやる気を失ったら?
もしそのソフトが誰か他人にとって価値があるならば、その人が(恐らく勝手に)開発を引き継いでくれることでしょう(^^;
俺ごときの矮小さのせいで俺の作品が犠牲になることは、これにて防げるのです。なんて素晴らしい!!
>製作者の意図を汲まない再配布など技術的には可能であっても人間的には不可能だと考えます。
少なくとも不可能は言い過ぎでしょう。俺が人間でないなら別ですが:-)。つまりここに最低一匹いますぜ。
Re:事件として捉えない (スコア:0)
Re:事件として捉えない (スコア:0)
「後を引き継いで開発なんて、そんなスキルがあるのかすら怪しいです」などとばっさりできる道理がないです。