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エプソンの98互換機だよなぁ…。
ノートPCでもアップグレードコンセプトやってたなと調べてみたら、白黒液晶をカラーに交換、CPUを交換、ってのができたみたいね。(PC-486NOTE AS など。)GPUが存在しない時代だから、これは前例と言って良いのではw
現実にアップグレードした人がどんだけ居たのか知りたい所だけど、将来の性能向上を一応想定して購入したケースもそこそこあったかもしれない。
一方、デスクトップの方は実際にアップグレードしてた人は多かったかと思う。といっても、下駄全盛期が来るから、サードパーティ製とか、自分で486SXをDX2にしたり、Am5x86やCy5X86搭載したり、ペンティアムODP入れたり、みたいなケースの方が多そうだけど…。
※DX2とAMD5x86ADZとペンティアムODPはやったことがある。
PC-9821As2にODP載せるのに下駄なんか要らなかった記憶が。最初からODP用のSocket3があって、実際にDX4ODP載せて使ってました。
その後の世代だとSocket7(Super 7)ではAMD K6-III化とかしてました。
Slot 1の440BX世代は233MHzからスロケット使って1GHz超えくらいまで寿命が長かったなぁ。440BXではATA/33なんでHDDが遅くてPromise Ultra100だったかFastTrak100で凌いだ記憶も
ThinkPadは、メンテナンスマニュアルが公開されてて、パーツも売ってるので、液晶画面くらいなら自前で交換できたよ。
一応ThinkPadはマニュアルにユーザーが変更しても良いパーツを指定していたため何でもかんでもユーザーが交換してもよいわけではないよ。
ただ、IBM/レノボのパーツセンターは交換しちゃいかん部品も一般ユーザーに売ってくれますけどね。
記憶が確かなら、部品をアップグレードする費用で、同等のPCを買えるくらいの値段だったはずしかも当時は定価3割引が当たり前の時代に定価販売のみ、そして発売が遅すぎてとっくに時代遅れ
アップグレード部品の見積り取ったら補修部品扱いで高くて、で、当時だと次世代機ってどんどん安くなって、「新しいの買っちゃえ」になった奴だ。
親が使ってました。アップグレードを想定して購入したのではなく、その当時の国民機のノートが全般的にそういうコンセプトだったので選択肢が無かったような気がします。国民機の割と最後の方まで続いていたんじゃないでしょうか。
NASの時代にはグラフィックアクセラレータは存在してて、110ピンの拡張コネクタにCバスの拡張ボックスをつなぐことで対応できます。座布団みたいにノートPCの下に敷ける薄いタイプの拡張ボックスもありました。
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
アップグレードコンセプト (スコア:0)
エプソンの98互換機だよなぁ…。
ノートPCでもアップグレードコンセプトやってたなと調べてみたら、白黒液晶をカラーに交換、CPUを交換、ってのができたみたいね。(PC-486NOTE AS など。)
GPUが存在しない時代だから、これは前例と言って良いのではw
現実にアップグレードした人がどんだけ居たのか知りたい所だけど、将来の性能向上を一応想定して購入したケースもそこそこあったかもしれない。
一方、デスクトップの方は実際にアップグレードしてた人は多かったかと思う。
といっても、下駄全盛期が来るから、サードパーティ製とか、自分で486SXをDX2にしたり、Am5x86やCy5X86搭載したり、ペンティアムODP入れたり、みたいなケースの方が多そうだけど…。
※DX2とAMD5x86ADZとペンティアムODPはやったことがある。
Re:アップグレードコンセプト (スコア:2)
その後は初代の自作機でPentiumをMMX付きに載せ替えたくらいかな
Re:アップグレードコンセプト (スコア:1)
PC-9821As2にODP載せるのに下駄なんか要らなかった記憶が。
最初からODP用のSocket3があって、実際にDX4ODP載せて使ってました。
その後の世代だとSocket7(Super 7)ではAMD K6-III化とかしてました。
Slot 1の440BX世代は233MHzからスロケット使って1GHz超えくらいまで寿命が長かったなぁ。
440BXではATA/33なんでHDDが遅くてPromise Ultra100だったかFastTrak100で凌いだ記憶も
Re:アップグレードコンセプト (スコア:2)
430HX、440BXの時はオンボードのAdaptecでHDD+Tekramので光学ドライブに
Re:アップグレードコンセプト (スコア:1)
ThinkPadは、メンテナンスマニュアルが公開されてて、パーツも売ってるので、液晶画面くらいなら自前で交換できたよ。
Re:アップグレードコンセプト (スコア:1)
一応ThinkPadはマニュアルにユーザーが変更しても良いパーツを指定していたため
何でもかんでもユーザーが交換してもよいわけではないよ。
ただ、IBM/レノボのパーツセンターは交換しちゃいかん部品も一般ユーザーに
売ってくれますけどね。
Re: (スコア:0)
記憶が確かなら、部品をアップグレードする費用で、同等のPCを買えるくらいの値段だったはず
しかも当時は定価3割引が当たり前の時代に定価販売のみ、そして発売が遅すぎてとっくに時代遅れ
Re: (スコア:0)
アップグレード部品の見積り取ったら補修部品扱いで高くて、で、当時だと次世代機ってどんどん安くなって、「新しいの買っちゃえ」になった奴だ。
Re: (スコア:0)
親が使ってました。アップグレードを想定して購入したのではなく、その当時の国民機のノートが全般的にそういうコンセプトだったので選択肢が無かったような気がします。国民機の割と最後の方まで続いていたんじゃないでしょうか。
NASの時代にはグラフィックアクセラレータは存在してて、110ピンの拡張コネクタにCバスの拡張ボックスをつなぐことで対応できます。座布団みたいにノートPCの下に敷ける薄いタイプの拡張ボックスもありました。