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> 「たばこを吸いながら店で食事をする楽しみを永久に奪われた。どこでもたばこを吸えるようにしてほしいとは言わないが、喫煙者だけを排除する法律はやりすぎだと感じる。吸う人も吸わない人も共生できる社会にしてほしい」
改正健康増進法についてhttps://www.jti.co.jp/coexistence/bunen/law_amendment/index.html [jti.co.jp]> 2020年4月から原則屋内禁煙となりましたが、一定条件を満たすことで以下の対応が可能です
によれば、分煙してても加熱式たばこじゃないと喫煙室は飲食不可と。なるほど。>タイトルリンク先を読めばわかるが、小規模店や既存店は経過措置もあるのに主張がアレすぎて共感できない。どこでもたばこを吸えるようにしてほしいと言ってるようにしか聞こえない。
原告の主張について、同感です。どうも共感できる度合いを越えています。
> 去年4月に全面的に施行された改正健康増進法では、学校や病院、行政機関などは屋内を完全に禁煙にすることや> 規模が大きい店や新たに営業を始める店は喫煙室以外、禁煙にすることなどが盛り込まれ、受動喫煙対策が強化されました。
法律は完全禁煙・排除を謳っている分けではないですし、やはり具体的な不利益ではなく閉塞感や被害者感覚(被差別意識?)に対しての訴えという印象です。そのこと自体に問題はありません。むしろそういった声を公に上げられるというのは良いこと・必要なことだと思います。その上で、
> たばこを吸いながら店で食事をする楽しみを永久に奪われた。
たとえば、店の喫煙席や自宅で仲間内の食事会を催すといったことでは、欲求は満たされないのでしょうか。もしかして、非喫煙者の傍・面前で煙を吐いて食事できるというのも重要な点なのでしょうか。
> 吸う人も吸わない人も共生できる社会にしてほしい
喫煙者と非喫煙者の共生は、大小課題はあれ現在でもできています。既に検討実現された様々な施策・試みでも、問題の対象は人そのものではなく、喫煙行為の結果・あり様でした。つまり、非喫煙者や嫌煙者の居る場所で喫煙することを指して「共生」と呼ぶならば、それは悛めなくてはなりません。
原告が考える「楽しみ」「共生」においては、非喫煙者や嫌煙者の喫煙行為の場所への同席が暗に求められているようです。これは言外に、非喫煙者や嫌煙者が嫌がらずに喫煙に同席すること、喫煙者に嫌悪の情を抱くことなく喫煙行為を認めることを希望しているのではないかと考えます。非喫煙者の被る不利益や不快感を、矮小化して捉えているのでしょう。立場や経験の違い以上に、相手に対する甘えや無思慮・無関心が透けて見え、共感することはできません。
cf. 「異性にセクハラしながら店で食事をする楽しみを永久に奪われた。」 「セクハラに楽しみを見出す人もそうでない人も共生できる社会にしてほしい。」
毒を吐き出す人と毒を吸わされる人がいて、毒を吐き出す側に「共生」と言われてもなぁ。非喫煙者側が「現状厳しすぎるから、もう少し緩くして共生するの、どや?」と言うなら、まだ説得力もあるかもだが。
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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
煙の出るたばこを違法化しよう (スコア:0)
> 「たばこを吸いながら店で食事をする楽しみを永久に奪われた。どこでもたばこを吸えるようにしてほしいとは言わないが、喫煙者だけを排除する法律はやりすぎだと感じる。吸う人も吸わない人も共生できる社会にしてほしい」
改正健康増進法について
https://www.jti.co.jp/coexistence/bunen/law_amendment/index.html [jti.co.jp]
> 2020年4月から原則屋内禁煙となりましたが、一定条件を満たすことで以下の対応が可能です
によれば、分煙してても加熱式たばこじゃないと喫煙室は飲食不可と。なるほど。>タイトル
リンク先を読めばわかるが、小規模店や既存店は経過措置もあるのに主張がアレすぎて共感できない。どこでもたばこを吸えるようにしてほしいと言ってるようにしか聞こえない。
一般とは拠って立つ処が大きく異なり、無自覚なら意思疎通は難しく、丁寧なカウンセリング・教育が必要 (スコア:2, すばらしい洞察)
原告の主張について、同感です。どうも共感できる度合いを越えています。
> 去年4月に全面的に施行された改正健康増進法では、学校や病院、行政機関などは屋内を完全に禁煙にすることや
> 規模が大きい店や新たに営業を始める店は喫煙室以外、禁煙にすることなどが盛り込まれ、受動喫煙対策が強化されました。
法律は完全禁煙・排除を謳っている分けではないですし、やはり具体的な不利益ではなく
閉塞感や被害者感覚(被差別意識?)に対しての訴えという印象です。
そのこと自体に問題はありません。むしろそういった声を公に上げられるというのは良いこと・必要なことだと思います。
その上で、
> たばこを吸いながら店で食事をする楽しみを永久に奪われた。
たとえば、店の喫煙席や自宅で仲間内の食事会を催すといったことでは、欲求は満たされないのでしょうか。
もしかして、非喫煙者の傍・面前で煙を吐いて食事できるというのも重要な点なのでしょうか。
> 吸う人も吸わない人も共生できる社会にしてほしい
喫煙者と非喫煙者の共生は、大小課題はあれ現在でもできています。
既に検討実現された様々な施策・試みでも、問題の対象は人そのものではなく、喫煙行為の結果・あり様でした。
つまり、非喫煙者や嫌煙者の居る場所で喫煙することを指して「共生」と呼ぶならば、それは悛めなくてはなりません。
原告が考える「楽しみ」「共生」においては、非喫煙者や嫌煙者の喫煙行為の場所への同席が暗に求められているようです。
これは言外に、非喫煙者や嫌煙者が嫌がらずに喫煙に同席すること、喫煙者に嫌悪の情を抱くことなく喫煙行為を認めること
を希望しているのではないかと考えます。
非喫煙者の被る不利益や不快感を、矮小化して捉えているのでしょう。
立場や経験の違い以上に、相手に対する甘えや無思慮・無関心が透けて見え、共感することはできません。
cf.
「異性にセクハラしながら店で食事をする楽しみを永久に奪われた。」
「セクハラに楽しみを見出す人もそうでない人も共生できる社会にしてほしい。」
Re: (スコア:0)
毒を吐き出す人と毒を吸わされる人がいて、毒を吐き出す側に「共生」と言われてもなぁ。
非喫煙者側が「現状厳しすぎるから、もう少し緩くして共生するの、どや?」と言うなら、まだ説得力もあるかもだが。