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「苔は剝がさないでください」で済む話よね。器物破損扱いはやりすぎ。
器物損壊で被害届を出したとしても、苔を剥がすことが価値を減じることになると認識していなかったら(この苔に価値があると知らなかったら)、無罪になるのかな。器物損壊に過失罪はないし。
刑事は無罪になるだろうけど、被疑者が特定されるから民事で争えばよいのよ。
刑法第三十八条 第3項> 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
剥がした「行為」が故意ならば(その行為が罪になると知らずとも)罪に当たる。ただし、軽減理由にはなる。※ここでいう過失とは、行為が故意ではない=よろけてぶつかった結果剥がれた、などのこと
器物損壊は親告罪なので、最終的に告訴をしないかまたは取り下げれば罪にならない。
故意の内容(認識・認容対象)は行為だけに限らないでしょ。今回の件はとくに規範的構成要件要素が問題になる事例だからなおさらのこと。コケを落とす行為をしているとの認識があるとしても、それが「損壊」行為に該当するものではない善行だと信じて行っているならば(そして多くの場合、コケを落とすのはコケを付着させる行為よりも肯定的に評価されるでしょう)規範的構成要件である「損壊」の認識が欠けているとして故意が阻却される可能性がある。
事実の錯誤と法律の錯誤の境界事例だなぁ。むささび・もま事件とたぬき・むじな事件 [wikipedia.org]を参照してみるとよいかも。
>「苔は剝がさないでください」で済む話よね。
水掛不動にお参りする人の中に苔を剥がそうとする人が居ることが不思議地域コミュニティが崩壊して、共通認識や共同体意識的なものが瓦解してるんやろね
繁華街にある以上、謂われも名前も知らん人が、偶然立ち寄るとかもあり得るのでは?
それすら許さない「地域コミュニティ」とやらを求めるなら、木材が鈍器でも握った自警団でも組織して、知らない顔を見かけたら「よそ者が来たぞ!」と、総出でボコボコにして追い出すとかすりゃ良いんじゃないかな。
むしろ誰もこないような寺なら納得できる。 ふと立ち寄ったところを汚く感じれば掃除でもしようという気になることもあるかもしれん。
だけど、たくさんの人がくるような寺でそういう状態になっているとしたらそこには謂れがあるんだろうということはごく普通に察せられるはずで、安易に自分の価値観で判断してしまったということには非がある。なんせ場所は宗教施設だ。 イワシの頭も信心から。 明らかに信仰対象として設置してあるものに謂れがあるのは当たり前だろ。どんな謂れか知らんなら勝手なことは避けるのが良識ある人間というものじゃないか。
でも、実際に寺の説明見てみると>https://houzenji.jp/#enkaku400年近い歴史をもつ法善寺ですが、実は“水掛け”の歴史は浅く、戦後すぐに始まったものでした。ある日、法善寺へお参りにやってきた一人の女性が、お供えされていた目の前の水を手ですくい、お不動さんに掛けたのです。「願いを叶えて欲しい」と仏さまにすがる女性の強い思いが、今日まで続く“水掛け”の作法の発祥となりました。
戦後すぐからだからたいして歴史ある由来でもないし、水かけはこの女性が発祥としても、なぜ、「苔を掃除せずそのままにすることになったか」はわからない。」水かけてても掃除してりゃ苔は育たないので。
#他人の持ち物なんだから、勝手なこと(苔を剥がす)するなと言うのは同意する。
生きている人にとっては生まれる前から続いていることは十年だろうと千年だろうと (意識の上では) 大して変わらんよ。人が入れ替わるサイクル一周分で伝統は確立する。(中学校・高校なら三年続けば伝統になるらしいぞ。)人が生まれて死ぬ程度の時間が経過してるんだから信仰上の儀礼として確立するには十分だろう。
地域の人は苔まみれになった像をありがたがってたんだろうけど苔が無かった頃の水をかけはじめた経緯は苔を育てるためじゃなくて像を清めるためだろうしなぁ苔ありがたがってる時点で既に瓦解してんじゃないの
何に信仰を見出すか、ありがたるかなんて人の勝手だからなぁ。常にピカピカであることを「大事にしている」としてありがたることもあれば、ボロボロであることを「苦行の証」としてありがたることもあるわけで。苔まみれなのも信仰の厚さ(同じ考えが広まり、長く伝わっていること)の現れだから、別段おかしいとは思わない。
♪ 君が代は千代に八千代に、さゞれ石の巌となりて苔の生すまで
と「苔」はこの国の象徴ではある。1985年2月26日の閣議で松永光文部大臣は文部省の調査で「君が代」には3番まで歌詞があると報告しているが、それによると「君が代」は全部に、「さゞれ石」1・2番のみに対し、「苔」は1番のみで前2者に比べ扱いは低い。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3#%E6%9D%BE%E6... [wikipedia.org]
そんなのは当人の価値観とかで変わるからな。スペインだかの宗教画の素人修復は酷いかもしれんが、見方によれば日光東照宮の修復もどうかと思えるし。中には「見苦しいコケなら修正の為にはがしてしまおう」って「誠意」を持つ人も居るだろうな。昔馴染みだった煮込み屋が二代目になって結婚した直ぐ後、連休時に寸胴を奥さんが洗ってしまった如く。
オフトピだが寸胴って洗ったらマズいのか?中華鍋は馴染んだ油を落としてはいけないと聞くが
連休中に火を入れていなかったのなら洗ったほうがいい気がするけど…
# 「鍋のタレぜんぶ拭く」って番組つくったら底から何が出てくるんだろ
中華鍋は、黒錆で保護膜を作る説と、油を固化させて保護膜にする説がありますね。前者だと油を落としても全く問題なくて、後者だと食器用洗剤程度では落ちないと言われています。落とすならスチールたわしとかが必要。いずれにしても、後で油を引き直せば全く問題ありません。
動画で見たけど特に掲示無いように見えたね、掲示はあるべきだった気はする。
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
注意書きで (スコア:0)
「苔は剝がさないでください」で済む話よね。
器物破損扱いはやりすぎ。
Re:注意書きで (スコア:2, 興味深い)
器物損壊で被害届を出したとしても、苔を剥がすことが価値を減じることになると認識していなかったら(この苔に価値があると知らなかったら)、無罪になるのかな。器物損壊に過失罪はないし。
Re: (スコア:0)
刑事は無罪になるだろうけど、被疑者が特定されるから民事で争えばよいのよ。
Re: (スコア:0)
刑法第三十八条 第3項
> 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
剥がした「行為」が故意ならば(その行為が罪になると知らずとも)罪に当たる。ただし、軽減理由にはなる。
※ここでいう過失とは、行為が故意ではない=よろけてぶつかった結果剥がれた、などのこと
器物損壊は親告罪なので、最終的に告訴をしないかまたは取り下げれば罪にならない。
Re: (スコア:0)
故意の内容(認識・認容対象)は行為だけに限らないでしょ。
今回の件はとくに規範的構成要件要素が問題になる事例だからなおさらのこと。
コケを落とす行為をしているとの認識があるとしても、それが「損壊」行為に該当するものではない善行だと信じて行っているならば
(そして多くの場合、コケを落とすのはコケを付着させる行為よりも肯定的に評価されるでしょう)規範的構成要件である「損壊」の
認識が欠けているとして故意が阻却される可能性がある。
Re: (スコア:0)
事実の錯誤と法律の錯誤の境界事例だなぁ。
むささび・もま事件とたぬき・むじな事件 [wikipedia.org]を参照してみるとよいかも。
Re: (スコア:0)
>「苔は剝がさないでください」で済む話よね。
水掛不動にお参りする人の中に苔を剥がそうとする人が居ることが不思議
地域コミュニティが崩壊して、共通認識や共同体意識的なものが瓦解してるんやろね
Re: (スコア:0)
水掛不動にお参りする人の中に苔を剥がそうとする人が居ることが不思議
地域コミュニティが崩壊して、共通認識や共同体意識的なものが瓦解してるんやろね
繁華街にある以上、謂われも名前も知らん人が、偶然立ち寄るとかもあり得るのでは?
それすら許さない「地域コミュニティ」とやらを求めるなら、木材が鈍器でも握った自警団でも組織して、知らない顔を見かけたら「よそ者が来たぞ!」と、総出でボコボコにして追い出すとかすりゃ良いんじゃないかな。
Re: (スコア:0, すばらしい洞察)
むしろ誰もこないような寺なら納得できる。 ふと立ち寄ったところを汚く感じれば掃除でもしようという気になることもあるかもしれん。
だけど、たくさんの人がくるような寺でそういう状態になっているとしたらそこには謂れがあるんだろうということはごく普通に察せられるはずで、安易に自分の価値観で判断してしまったということには非がある。
なんせ場所は宗教施設だ。 イワシの頭も信心から。 明らかに信仰対象として設置してあるものに謂れがあるのは当たり前だろ。
どんな謂れか知らんなら勝手なことは避けるのが良識ある人間というものじゃないか。
Re: (スコア:0)
でも、実際に寺の説明見てみると
>https://houzenji.jp/#enkaku
400年近い歴史をもつ法善寺ですが、実は“水掛け”の歴史は浅く、戦後すぐに始まったものでした。ある日、法善寺へお参りにやってきた一人の女性が、お供えされていた目の前の水を手ですくい、お不動さんに掛けたのです。「願いを叶えて欲しい」と仏さまにすがる女性の強い思いが、今日まで続く“水掛け”の作法の発祥となりました。
戦後すぐからだからたいして歴史ある由来でもないし、水かけはこの女性が発祥としても、
なぜ、「苔を掃除せずそのままにすることになったか」はわからない。」水かけてても掃除してりゃ苔は育たないので。
#他人の持ち物なんだから、勝手なこと(苔を剥がす)するなと言うのは同意する。
Re: (スコア:0)
生きている人にとっては生まれる前から続いていることは十年だろうと千年だろうと (意識の上では) 大して変わらんよ。
人が入れ替わるサイクル一周分で伝統は確立する。
(中学校・高校なら三年続けば伝統になるらしいぞ。)
人が生まれて死ぬ程度の時間が経過してるんだから信仰上の儀礼として確立するには十分だろう。
Re: (スコア:0)
地域の人は苔まみれになった像をありがたがってたんだろうけど
苔が無かった頃の水をかけはじめた経緯は苔を育てるためじゃなくて像を清めるためだろうしなぁ
苔ありがたがってる時点で既に瓦解してんじゃないの
Re: (スコア:0)
何に信仰を見出すか、ありがたるかなんて人の勝手だからなぁ。
常にピカピカであることを「大事にしている」としてありがたることもあれば、ボロボロであることを「苦行の証」としてありがたることもあるわけで。
苔まみれなのも信仰の厚さ(同じ考えが広まり、長く伝わっていること)の現れだから、別段おかしいとは思わない。
Re: (スコア:0)
♪ 君が代は千代に八千代に、さゞれ石の巌となりて苔の生すまで
と「苔」はこの国の象徴ではある。
1985年2月26日の閣議で松永光文部大臣は文部省の調査で「君が代」には3番まで歌詞があると報告しているが、それによると「君が代」は全部に、「さゞれ石」1・2番のみに対し、「苔」は1番のみで前2者に比べ扱いは低い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3#%E6%9D%BE%E6... [wikipedia.org]
Re: (スコア:0)
そんなのは当人の価値観とかで変わるからな。
スペインだかの宗教画の素人修復は酷いかもしれんが、見方によれば日光東照宮の修復もどうかと思えるし。
中には「見苦しいコケなら修正の為にはがしてしまおう」って「誠意」を持つ人も居るだろうな。
昔馴染みだった煮込み屋が二代目になって結婚した直ぐ後、連休時に寸胴を奥さんが洗ってしまった如く。
Re: (スコア:0)
オフトピだが寸胴って洗ったらマズいのか?
中華鍋は馴染んだ油を落としてはいけないと聞くが
Re:注意書きで (スコア:1)
Re: (スコア:0)
連休中に火を入れていなかったのなら洗ったほうがいい気がするけど…
# 「鍋のタレぜんぶ拭く」って番組つくったら底から何が出てくるんだろ
Re: (スコア:0)
中華鍋は、黒錆で保護膜を作る説と、油を固化させて保護膜にする説がありますね。
前者だと油を落としても全く問題なくて、後者だと食器用洗剤程度では落ちないと言われています。落とすならスチールたわしとかが必要。いずれにしても、後で油を引き直せば全く問題ありません。
Re: (スコア:0)
動画で見たけど特に掲示無いように見えたね、
掲示はあるべきだった気はする。