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核恫喝をエスカレートさせるプーチン」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward

    ボケちゃったんじゃないかな
    自分をソ連の大統領だと思っているとか
    なぜキエフが我が連邦から離反しているのだみたいな
    当時のゴルバチョフさんの映像見せたら正気に戻ったりして

    # そして翌日には記憶がループ

    • by Anonymous Coward

      秀吉と同じだと思う。
      天下取って、国内に敵がいないから、殺ることなくなって、いっちょ、大きなことをしたくなったんだと思う。

      • by Anonymous Coward

        ちょっと前から秀吉(あと家康も)天下統一後はスペイン・ポルトガルといかに抗するか足掻いてたって見方強いけどね。

        秀吉の場合、やることなくなったどころかやっと国内を統一し外国からの脅威と戦うための第一歩を踏み出せた的な。
        #秀吉は信長家臣時代からスペイン・ポルトガルとお付き合いがある
        清がどうにも西欧諸国の侵略に対して甘く見てる節を感じて日本が対スペイン・ポルトガルの主導権を握るために
        清への侵攻を行ったという。
        そういう無茶をせざるを得ないほど当時の情報としてスペイン・ポルトガルは強大だったと。
        #スペイン・ポルトガルが割と侵略意思隠しきれてなかった。これは家康の時も同じ。

        家康のころになるとオランダ・イギリスが東方航路を開拓し、交渉カード的にも情報的にも対スペイン・ポルトガルの交渉で
        取れる手が増えたがでかい。

        • by Anonymous Coward

          ×清
          ◯明
          明清交替は1618〜

          当時の日本は世界最大の軍事力を擁していたし、スペインが遠征したくらいでは兵力が限られ過ぎて勝負にならない。ただ、大陸にしっかり拠点を築かれ、補給の問題がなくなれば、それは脅威になる。じゃあ、先んじて大陸を抑えるしかない。そういう秀吉の思考には一定の合理性がある。という説がありますw

          でも、スペインの無敵艦隊がイギリスに敗れたのは1588年、文禄の役は1592年〜。情勢が既に変わっとるがな。

          • by Anonymous Coward on 2022年02月28日 16時35分 (#4207522)

            >スペインの無敵艦隊がイギリスに敗れたのは1588年、文禄の役は1592年〜。情勢が既に変わっとるがな。
            その情報がいつ日本に来たんだって話ですよ。
            スペイン・ポルトガル自身が正式に伝えるわけはないし、
            乗組員の噂話にしてもうのみにするわけにはいかない。

            日本にオランダの船(そしてイギリス人もいた)が初めて来たのは1600年。
            それまで日本にとってスペイン・ポルトガルは遠く異国の地から日本まで手を伸ばせる強大な国って認識は変わってなかった。
            でも敵対国であるオランダ・イギリス人からやっと「スペイン・ポルトガルもそこそこですよ、うちら勝ったし」って情報と、
            造船、火砲技術が多く流入した。だから家康は「あ、別に大それた計画なくてもいけんじゃね?」って判断はできた。
            でも秀吉はそんな情報知らんわけですよ。

            判断そのものに耄碌入ってたかどうかはともかく、全国統一してやることなくなったは絶対になかろう。
            外国問題がなくても中央集権を進めるためにいかに5大老の力をそいでいくかをやっていかなきゃならんかったからね。

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