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GIFが開発された1987年はIBMPC関連は何が出たか調べてみると、この年はPS/2が出た年でグラフィックは同時に256色発色だったとのことで、GIFならまさに「画質低下なし」だったということですね。Macのほうはこの年はMacintoshIIで、同じく同時には256色だったみたいだ。日本ではX68000、FM-77AVシリーズなど同時多色表示は先行していたということか。
当時、77AV40とX68Kはアーキテクチャ的に1世代違くて、並べられるともやもや感があるがな。それと、全部で256色(例えばMSX2)なのか、65536色中パレットで256色選べるのかでは大分表現力に差があり、IBM PS/2 MCGA 13chの256色は、RGB各6ビットの26万色中の256色なので、RGB各色5ビットのX68kよりある面で優れているとも言える。(※ある面とは、スプライトとかなかったので…。)77AV40と比較するなら、AMIGAのHAM-8だろう [wikipedia.org]。
CPUで言えば、77AV40はファミコン並みの6809(8bit, 2Mhz)で、X68kは68000(16bit, 10MHz)。VRAMで言えば、144KB vs 1MB(テキスト/グラフィックそれぞれに512KB)。メモリ空間と速度の差で、X68000の方は実用的だったが、まあ、77AV40の26万色モードはここを見れば [youtube.com]、フォトフレームレベルにしか使えなかったのが分かると思う(デモの詳しい説明はココ [coocan.jp])。
で、当時の通信事情的には、91年に9600bpsモデムが普及するまでは2400bpsが主流だったので、GIFですらかなーり大きく、もし100KBサイズもの画像をDLしたとしたら5分はかかり、しかもエラーなく5分間も通信できるのはかなり運のいい方だった。何が問題かというと、電話料金で。BBSの相手先が遠いだけで、当時の長距離電話は10秒10円くらい、つまり5分で300円もかかったのだ。パケットじゃないけど、今のパケ死に相当する話は当時もあって、それがイヤな輩は、電話を使わず、アマチュア無線のパケット通信を行っていた。
…80年代のパソコン通信の、特に画像フォーラムは、特権階級が触る代物だったのだ。で、1992年頃にはまだ10万近くした9600bpsモデム [s-sasaji.ddo.jp](10万でハイ・コストパフォーマンスって…)で日本でもHabitatで遊ぶ人が出るようになったものの、高速化したモデムが安価になった1996年頃からはもうインターネットが普及し始め、そこで初めて、一般向けにGIFが本領を発揮し始めたのだ。
> エラーなく5分間も通信できるのはかなり運のいい方だった。
300bpsや1200bps時代は、エラー訂正も何もない垂れ流しでしたけど、2400bpsの時にはMNP4~MNP5が主流で、エラー訂正がありましたよ。「画像」は作成/表示環境がプアなのであまり流行って無くても、プログラム等のバイナリデータのやりとりは普通にやってた。
テキスト主体のBBSでバイナリデータをやりとりするための、バイナリをテキスト化する ishが出たのは1986年アスキーネットで公開、ファイル圧縮ソフトのLHAが1988年にPC-VANのコミュニティで開発公開されてる。この頃には、100kBのプログラムぐらいはパソコン通信でやり取りするのは普通のことでした。
で、パソコン通信の接続先は、「地元の草の根BBS」か、「大手BBS」の方が主流で、大手だと主要都市にはアクセスポイントがあったから、3分10円とか、隣市で90秒10円ぐらいで接続してた人の方が多かったと思う。
まあ、最大手のNiftyは2400bpsで1分10円の有料なんで、通話料よりこっちの方が痛い。9600bpsの高速アクセスポイントにつなぐと1分20円になる鬼畜っぷり。しかも完全青天井。その頃の画像フォーマットといえば、NAPLPSかな。「描画コマンドをまとめたもの」というベクトルフォーマットで、画面に線が引かれて塗りつぶされて、と図形が表示されてくのをぼーっと眺めていくという…
100kBのプログラムぐらいはパソコン通信でやり取りするのは普通
部活の一貫でアマチュア無線のRBBSを触った程度だから体験には差がありそうだ。RBBS自体は1200bpsだったし、NAPLPSもほとんど見てない…多分。一度ナウシカの8色ラスタCGとか受信してたのを横で見てたが(PC自体は他の部員の私物だったので)、もしかしたらNAPLPSコマンドで1ラインごとに描いた力作をやり取りしてたのかもしれん。描画終わるまで大分待ったし。
TOWNSユーザーが使ってた、多分 PRCGS [fc2.com]とかの印象が強く、画像についての体験は、パソコン通信とパケット通信とで差がありそうだ。
LHarcはあるにはあったが、部活で使ってた古い98で圧縮ファ
> 電話料金の10秒10円は記憶違いで、もうちょい安かったのかもしれない。
過去の資料を漁ってみましたが、1991年時点で東京〜大阪間が3分200円(=10秒11.11円)でしたので、おおよそ合ってると思いますよ。
RBBSだと、MAKIやMAGではなかったのかもしれませんね。まぐろ~だ~。
NAPLPSとGIFを同一レベルで語るとかこっちも勘違い野郎だなNAPLPSはどちらかというとKIOSK端末向けの画像伝送プロトコルでパソ通用のものでもなく圧縮手段でもないよ。
私が論じているのは、一般論的な画像フォーマットではなく、パソ通上での画像伝達手段についてです。
そもそもGIF自体は、CompuServeというパソ通上での画像交換手段として生まれたフォーマットなわけですが、その当時パソ通での画像交換としてNAPLPSデータが出回っていたんですよ。通信ソフト利用中にデータをフックしてNAPLPSデータは自動的に画面表示するような常駐ソフトがある程度に。
GIFはいわゆるビットマップ型の既存画像を一定のフォーマットに収めるものNAPLPSは画像を作る段階で基本図形を組み合わせるドロー型の描画手順なので同一レベルで話をするものではありません。前者はBMPやGIFなどの格納(圧縮を含む)手段であり後者はExcelやPowerPointで使う図形といえば理解できますか?
そんな画像形式の違いは理解した上で、パソコン通信の初期の頃は、流通する画像としてはビットマップ形式のGIFなんかほとんど見かけず、ベクトル形式のNAPLPSをよく見かけてた、という話ですよ。BASICでDATA文に座標を羅列して絵を描かせていたような流れ。
むしろNAPLPSの方がマイナーでしたよマイナーすぎてあっという間に消えたしな
無手順プロトコルしか知らない奴の妄想長文にしか
そりゃあ、GIFが世に出た87年~90年まで、Compu ServeもPC-VANも、ASCIIネットもNIKKEIテレコムも、1200bpsまでの無手順でしたから。2400bps以降の世界しか知らんくせに、知ったかぶりしてコメントしている人は、何年の話かも分かってない。出直しな。
モデム間の手順しか知らないのね、可哀想。
MNPでもデータ化けるのは普通だったけどねー。本来は無手順通信でもデータ化けしないはずなのに全然駄目なので、Z-Modemとか普及してた@草の根BBSまぁ伝送路というよりバスマスタとシリアルポートの相性で取りこぼすことの方が多かったが…。時期的には90年代半ば頃かなコレ。95年より前ぐらいか。
画像ファイルは自分の周囲だとMAG、PIC、PIとかでしたね。前者はPC98、後2者はx68kかな。たまーにjpegが出回ってて、PC98で無理矢理多色で見るツールがあった…。高速で2面切り替えとかしてたな。草の根BBSではBBSの宣伝CGを転載するのが流行りだったね。なつかしい。GIFは
相性よりもシリアルポートの「ハンドシェイク設定」(どのピンをハンドシェイクに使う)とシリアルケーブルのハンドシェイク線の結線があっていないレベルの文字化けがほとんどでしたよ。ハンドシェイクなしでも外部ノイズを受けなければ、ある程度は通信ができるのでこの辺を理解できない人たちが右往左往していました。
77AV40と比較するなら、AMIGAのHAM-8だろう
間違えた。 年代的にはHAM6 [youtube.com]。4096色同時表示までだが制御ビット2ビットもあり、この色数で動画表示できたAmigaは、今で言うゲーミングPC扱いだった。
一方の日本では、動画は、スーパーインポーズ機能を用いたビデオ編集という形で趣味人には浸透していて、あまりPCのみでの多色動画にこだわる人は見かけなかった。スーパーインポーズ機能はX68kにもあったが、PCよりは安価な専用デジタイザの形で、そういうのが好みな人には行き渡っていた。(例えばMSX2と連携するSONYのHBI-F900とか [ameblo.jp]。FM-77AVにも似た類のはあったはず)
FM-TOWNSの周辺機器の価格 [coocan.jp]を見れば、フルカラービデオキャプチ
通信速度の問題もあったかもしれんが、日本では4096色中16色の同時発色しかできないPC-9801が主流だったので、16色表示に適した国産独自フォーマットが幅を利かせていたように思う
エラーでも即切断でもないし、プロトコル上も圧縮ファイルでもエラー訂正もされてたけど特権階級とか無知丸出し、Wkikiからコピペのエアプの人ですか?
当時の電話回線の品質をなめてますな。1ビットのエラー訂正だと、だいたい1-2分に一度は訂正できないエラーが生じた。#だからFAXはFAX回線だったし、INSネットが出来たのよ。
LHAを展開できる環境ならCRCが非常に有効だったのは確かだが、MAKIにもMAGにも、CRCなんぞなかったよ。
即切断?ってどこに書いてあるんでしょうね。
エア文字を追う人と話が通じることはないんでしょうけど、当時の学生レベルでのパソコン環境を知らないんでしょう。90年時点では、まだモデム価格的に1200bpsが普通で(PC-VANの2400bpsがようやく90年~)、92年頃からモデム価格含めて大きく通信事情が変わったのだけど、その直前の感じやパケット通信事情は親コメの細部のあるあるに共感できますね。
貴方はモデムを何年にいくらで買いましたか?この質問でいつの時代を指しているのかが分かるから、回答してから参加しましょうね?
>フォトフレームレベルにしか使えなかった
そりゃフロッピーから直接読み込みとかBasicでの演算描画じゃそうなるだろうX68KとかのDoGa(パトレイバーが365歩のマーチに合わせて動く、3D描画で跳び回るビックバイパーから見たビックコアの動画)も知らんの?ポリゴンを直接描くのではなく、前もって描画したものを2次元可逆圧縮して再生したまさに動画圧縮をやっていたわけだが。
親コメントを読んでない頓珍漢なコメントはやめて。
親コメントにある「X68000の方はは実用的だったが、」「77AV40の26万色モードは、(中略)、フォトフレームレベルにしか使えなかった」のどこをどう読めば、Oh!X のDōGAのCGアニメ講座?を知らんことになるのやら。大学の試験で休載とか、本文のページ参照と実際の掲載ページ位置がズレてたり、掲載月そのものがズレてたり…って締め切りやボリュームにルーズで編集者泣かせだったことが丸分かりの、あの集団。…まあ、当時のパソコン雑誌で、学生の手を借りた記事は普通だったから、人の事言えないが…。
あと、パトレイバーじゃなくてパロレイバーな。そしてマーチじゃなくて、ドジョウすくい。そこんとこ間違えないように。コナミのもさらに版権がアレだしな…。作ったのはTaka2さんことモデラー高津氏だっけ?グランツーリスモの丹明彦さんの高度な画像処理関係の記事は当時(も、多分今も)凄かったとしか言いようがなかった。
もはや黒歴史なその名乗りを今頃見てしまうとは思いませんでしたが、
「ビックバイパーから見たビックコアの動画」の方は何なのかよくわかりませんが、
パロレイバーは365歩のマーチであってますよ。見るからに98式AVですが細部はかなりいい加減なのでパトレイバーではなくパロレイバーを名乗ってました。
モデリングした→とりあえず歩かせてみよう→これだけで出来るデモは何かないかな?そうだ、365歩のマーチだ、って流れで、フロッピー2枚で、98式AV風のロボットが水前寺清子の365歩のマーチに合わせて歩くデモを作ったんです。量販店の店頭デモとかでも使われました。著作権的に真っ黒。
当時のX68000のスペック的には、256x256の16bitカラーで、秒10コマってところでしたね。
ああ、やっぱ知らねぇんだなOh!Xと電脳倶楽部がごちゃまぜに中の人が同じでも別団体なのを混ぜてるようではw
エラー時の再送もあったし5分でエラーってどこの北朝鮮ですか?色々数字もおかしいし、こっちも妄想コピペかな下の方じゃモデム間の手順とシリアル通信の手順がごちゃ混ぜになってるし。
どうやら知らんようだが、電話は収容局の設備が古かったり、収容局からの距離が遠いほど損失が多くなるので、広い市の端っこ辺りではパソコン通信の速度が出ないなど、地域差があった。2400bpsでアクセスポイントまでつなげられるかどうかは、そういう収容局の設備事情も大きかった。
これは、ADSLで、フレッツモア3とかで40Mbps近く出た人も居れば、最後まで1Mbpsちょっとしか出なかった人がいたのと同じ話。損失小さくても速度が出ない、ノイズが乗りやすい地域があったことも同じ。
貴方が当時パソコン通信をしてたとしても、単に都会の良い回線のことしか知らない、というだけのことだ。
FM-77AVシリーズは多色が出るのが320×200モードだけなので、点の数が64000しかなく、256色でもなんとかなったんじゃないかって気がする。
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画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:0)
GIFが開発された1987年はIBMPC関連は何が出たか調べてみると、この年はPS/2が出た年でグラフィックは同時に256色発色だったとのことで、GIFならまさに「画質低下なし」だったということですね。
Macのほうはこの年はMacintoshIIで、同じく同時には256色だったみたいだ。
日本ではX68000、FM-77AVシリーズなど同時多色表示は先行していたということか。
Re:画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:2, 興味深い)
当時、77AV40とX68Kはアーキテクチャ的に1世代違くて、並べられるともやもや感があるがな。
それと、全部で256色(例えばMSX2)なのか、65536色中パレットで256色選べるのかでは大分表現力に差があり、
IBM PS/2 MCGA 13chの256色は、RGB各6ビットの26万色中の256色なので、
RGB各色5ビットのX68kよりある面で優れているとも言える。
(※ある面とは、スプライトとかなかったので…。)
77AV40と比較するなら、AMIGAのHAM-8だろう [wikipedia.org]。
CPUで言えば、77AV40はファミコン並みの6809(8bit, 2Mhz)で、X68kは68000(16bit, 10MHz)。
VRAMで言えば、144KB vs 1MB(テキスト/グラフィックそれぞれに512KB)。
メモリ空間と速度の差で、X68000の方は実用的だったが、
まあ、77AV40の26万色モードはここを見れば [youtube.com]、フォトフレームレベルにしか使えなかったのが分かると思う(デモの詳しい説明はココ [coocan.jp])。
で、当時の通信事情的には、91年に9600bpsモデムが普及するまでは2400bpsが主流だったので、GIFですらかなーり大きく、
もし100KBサイズもの画像をDLしたとしたら5分はかかり、しかもエラーなく5分間も通信できるのはかなり運のいい方だった。
何が問題かというと、電話料金で。BBSの相手先が遠いだけで、当時の長距離電話は10秒10円くらい、つまり5分で300円もかかったのだ。
パケットじゃないけど、今のパケ死に相当する話は当時もあって、それがイヤな輩は、電話を使わず、アマチュア無線のパケット通信を行っていた。
…80年代のパソコン通信の、特に画像フォーラムは、特権階級が触る代物だったのだ。
で、1992年頃にはまだ10万近くした9600bpsモデム [s-sasaji.ddo.jp](10万でハイ・コストパフォーマンスって…)で
日本でもHabitatで遊ぶ人が出るようになったものの、高速化したモデムが安価になった1996年頃からはもうインターネットが普及し始め、
そこで初めて、一般向けにGIFが本領を発揮し始めたのだ。
Re:画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:2)
> エラーなく5分間も通信できるのはかなり運のいい方だった。
300bpsや1200bps時代は、エラー訂正も何もない垂れ流しでしたけど、
2400bpsの時にはMNP4~MNP5が主流で、エラー訂正がありましたよ。
「画像」は作成/表示環境がプアなのであまり流行って無くても、
プログラム等のバイナリデータのやりとりは普通にやってた。
テキスト主体のBBSでバイナリデータをやりとりするための、
バイナリをテキスト化する ishが出たのは1986年アスキーネットで公開、
ファイル圧縮ソフトのLHAが1988年にPC-VANのコミュニティで開発公開されてる。
この頃には、100kBのプログラムぐらいはパソコン通信でやり取りするのは普通のことでした。
で、パソコン通信の接続先は、「地元の草の根BBS」か、「大手BBS」の方が主流で、
大手だと主要都市にはアクセスポイントがあったから、3分10円とか、隣市で90秒10円ぐらいで接続してた人の方が多かったと思う。
まあ、最大手のNiftyは2400bpsで1分10円の有料なんで、通話料よりこっちの方が痛い。
9600bpsの高速アクセスポイントにつなぐと1分20円になる鬼畜っぷり。しかも完全青天井。
その頃の画像フォーマットといえば、NAPLPSかな。「描画コマンドをまとめたもの」というベクトルフォーマットで、画面に線が引かれて塗りつぶされて、と図形が表示されてくのをぼーっと眺めていくという…
Re: (スコア:0)
100kBのプログラムぐらいはパソコン通信でやり取りするのは普通
部活の一貫でアマチュア無線のRBBSを触った程度だから体験には差がありそうだ。
RBBS自体は1200bpsだったし、NAPLPSもほとんど見てない…多分。
一度ナウシカの8色ラスタCGとか受信してたのを横で見てたが(PC自体は他の部員の私物だったので)、
もしかしたらNAPLPSコマンドで1ラインごとに描いた力作をやり取りしてたのかもしれん。
描画終わるまで大分待ったし。
TOWNSユーザーが使ってた、多分 PRCGS [fc2.com]とかの印象が強く、
画像についての体験は、パソコン通信とパケット通信とで差がありそうだ。
LHarcはあるにはあったが、部活で使ってた古い98で圧縮ファ
Re: (スコア:0)
> 電話料金の10秒10円は記憶違いで、もうちょい安かったのかもしれない。
過去の資料を漁ってみましたが、1991年時点で東京〜大阪間が3分200円(=10秒11.11円)でしたので、おおよそ合ってると思いますよ。
Re: (スコア:0)
RBBSだと、MAKIやMAGではなかったのかもしれませんね。まぐろ~だ~。
Re: (スコア:0)
NAPLPSとGIFを同一レベルで語るとかこっちも勘違い野郎だな
NAPLPSはどちらかというとKIOSK端末向けの画像伝送プロトコルで
パソ通用のものでもなく圧縮手段でもないよ。
Re:画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:1)
私が論じているのは、一般論的な画像フォーマットではなく、
パソ通上での画像伝達手段についてです。
そもそもGIF自体は、CompuServeというパソ通上での画像交換手段として生まれたフォーマットなわけですが、
その当時パソ通での画像交換としてNAPLPSデータが出回っていたんですよ。
通信ソフト利用中にデータをフックしてNAPLPSデータは自動的に画面表示するような常駐ソフトがある程度に。
Re: (スコア:0)
GIFはいわゆるビットマップ型の既存画像を一定のフォーマットに収めるもの
NAPLPSは画像を作る段階で基本図形を組み合わせるドロー型の描画手順なので
同一レベルで話をするものではありません。
前者はBMPやGIFなどの格納(圧縮を含む)手段であり
後者はExcelやPowerPointで使う図形といえば理解できますか?
Re:画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:1)
そんな画像形式の違いは理解した上で、
パソコン通信の初期の頃は、流通する画像としては
ビットマップ形式のGIFなんかほとんど見かけず、
ベクトル形式のNAPLPSをよく見かけてた、という話ですよ。
BASICでDATA文に座標を羅列して絵を描かせていたような流れ。
Re: (スコア:0)
むしろNAPLPSの方がマイナーでしたよ
マイナーすぎてあっという間に消えたしな
Re: (スコア:0)
無手順プロトコルしか知らない奴の妄想長文にしか
Re: (スコア:0)
そりゃあ、GIFが世に出た87年~90年まで、Compu ServeもPC-VANも、ASCIIネットもNIKKEIテレコムも、1200bpsまでの無手順でしたから。
2400bps以降の世界しか知らんくせに、知ったかぶりしてコメントしている人は、何年の話かも分かってない。
出直しな。
Re: (スコア:0)
モデム間の手順しか知らないのね、可哀想。
Re: (スコア:0)
MNPでもデータ化けるのは普通だったけどねー。
本来は無手順通信でもデータ化けしないはずなのに全然駄目なので、Z-Modemとか普及してた@草の根BBS
まぁ伝送路というよりバスマスタとシリアルポートの相性で取りこぼすことの方が多かったが…。
時期的には90年代半ば頃かなコレ。95年より前ぐらいか。
画像ファイルは自分の周囲だとMAG、PIC、PIとかでしたね。前者はPC98、後2者はx68kかな。
たまーにjpegが出回ってて、PC98で無理矢理多色で見るツールがあった…。高速で2面切り替えとかしてたな。
草の根BBSではBBSの宣伝CGを転載するのが流行りだったね。なつかしい。
GIFは
Re: (スコア:0)
相性よりもシリアルポートの「ハンドシェイク設定」(どのピンをハンドシェイクに使う)と
シリアルケーブルのハンドシェイク線の結線があっていないレベルの文字化けがほとんどでしたよ。
ハンドシェイクなしでも外部ノイズを受けなければ、ある程度は通信ができるので
この辺を理解できない人たちが右往左往していました。
Re: (スコア:0)
77AV40と比較するなら、AMIGAのHAM-8だろう
間違えた。 年代的にはHAM6 [youtube.com]。
4096色同時表示までだが制御ビット2ビットもあり、この色数で動画表示できたAmigaは、
今で言うゲーミングPC扱いだった。
一方の日本では、動画は、スーパーインポーズ機能を用いたビデオ編集という形で
趣味人には浸透していて、あまりPCのみでの多色動画にこだわる人は見かけなかった。
スーパーインポーズ機能はX68kにもあったが、PCよりは安価な専用デジタイザの形で、
そういうのが好みな人には行き渡っていた。
(例えばMSX2と連携するSONYのHBI-F900とか [ameblo.jp]。FM-77AVにも似た類のはあったはず)
FM-TOWNSの周辺機器の価格 [coocan.jp]を見れば、
フルカラービデオキャプチ
Re: (スコア:0)
通信速度の問題もあったかもしれんが、日本では4096色中16色の同時発色しかできないPC-9801が主流だったので、16色表示に適した国産独自フォーマットが幅を利かせていたように思う
Re: (スコア:0)
エラーでも即切断でもないし、プロトコル上も圧縮ファイルでもエラー訂正もされてたけど
特権階級とか無知丸出し、Wkikiからコピペのエアプの人ですか?
Re: (スコア:0)
当時の電話回線の品質をなめてますな。
1ビットのエラー訂正だと、だいたい1-2分に一度は訂正できないエラーが生じた。
#だからFAXはFAX回線だったし、INSネットが出来たのよ。
LHAを展開できる環境ならCRCが非常に有効だったのは確かだが、
MAKIにもMAGにも、CRCなんぞなかったよ。
Re: (スコア:0)
即切断?ってどこに書いてあるんでしょうね。
エア文字を追う人と話が通じることはないんでしょうけど、
当時の学生レベルでのパソコン環境を知らないんでしょう。
90年時点では、まだモデム価格的に1200bpsが普通で(PC-VANの2400bpsがようやく90年~)、
92年頃からモデム価格含めて大きく通信事情が変わったのだけど、その直前の感じやパケット通信事情は
親コメの細部のあるあるに共感できますね。
貴方はモデムを何年にいくらで買いましたか?
この質問でいつの時代を指しているのかが分かるから、回答してから参加しましょうね?
Re:画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:2)
---- 6809
Re: (スコア:0)
>フォトフレームレベルにしか使えなかった
そりゃフロッピーから直接読み込みとかBasicでの演算描画じゃそうなるだろう
X68KとかのDoGa(パトレイバーが365歩のマーチに合わせて動く、3D描画で跳び回るビックバイパーから見たビックコアの動画)も知らんの?
ポリゴンを直接描くのではなく、前もって描画したものを2次元可逆圧縮して再生したまさに動画圧縮をやっていたわけだが。
Re: (スコア:0)
親コメントを読んでない頓珍漢なコメントはやめて。
親コメントにある「X68000の方はは実用的だったが、」「77AV40の26万色モードは、(中略)、フォトフレームレベルにしか使えなかった」のどこをどう読めば、Oh!X のDōGAのCGアニメ講座?を知らんことになるのやら。
大学の試験で休載とか、本文のページ参照と実際の掲載ページ位置がズレてたり、掲載月そのものがズレてたり…って締め切りやボリュームにルーズで編集者泣かせだったことが丸分かりの、あの集団。
…まあ、当時のパソコン雑誌で、学生の手を借りた記事は普通だったから、人の事言えないが…。
あと、パトレイバーじゃなくてパロレイバーな。そしてマーチじゃなくて、ドジョウすくい。そこんとこ間違えないように。コナミのもさらに版権がアレだしな…。
作ったのはTaka2さんことモデラー高津氏だっけ?グランツーリスモの丹明彦さんの高度な画像処理関係の記事は当時(も、多分今も)凄かったとしか言いようがなかった。
Re:画質低下を防ぎながら・・・ (スコア:2)
もはや黒歴史なその名乗りを今頃見てしまうとは思いませんでしたが、
「ビックバイパーから見たビックコアの動画」の方は何なのかよくわかりませんが、
パロレイバーは365歩のマーチであってますよ。
見るからに98式AVですが細部はかなりいい加減なのでパトレイバーではなくパロレイバーを名乗ってました。
モデリングした→とりあえず歩かせてみよう→これだけで出来るデモは何かないかな?そうだ、365歩のマーチだ、って流れで、
フロッピー2枚で、98式AV風のロボットが水前寺清子の365歩のマーチに合わせて歩くデモを作ったんです。
量販店の店頭デモとかでも使われました。著作権的に真っ黒。
当時のX68000のスペック的には、256x256の16bitカラーで、秒10コマってところでしたね。
Re: (スコア:0)
ああ、やっぱ知らねぇんだな
Oh!Xと電脳倶楽部がごちゃまぜに
中の人が同じでも別団体なのを混ぜてるようではw
Re: (スコア:0)
エラー時の再送もあったし5分でエラーってどこの北朝鮮ですか?
色々数字もおかしいし、こっちも妄想コピペかな
下の方じゃモデム間の手順とシリアル通信の手順がごちゃ混ぜになってるし。
Re: (スコア:0)
どうやら知らんようだが、電話は収容局の設備が古かったり、収容局からの距離が遠いほど損失が多くなるので、広い市の端っこ辺りではパソコン通信の速度が出ないなど、地域差があった。2400bpsでアクセスポイントまでつなげられるかどうかは、そういう収容局の設備事情も大きかった。
これは、ADSLで、フレッツモア3とかで40Mbps近く出た人も居れば、最後まで1Mbpsちょっとしか出なかった人がいたのと同じ話。損失小さくても速度が出ない、ノイズが乗りやすい地域があったことも同じ。
貴方が当時パソコン通信をしてたとしても、単に都会の良い回線のことしか知らない、というだけのことだ。
Re: (スコア:0)
FM-77AVシリーズは多色が出るのが320×200モードだけなので、
点の数が64000しかなく、256色でもなんとかなったんじゃないかって気がする。