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3回目も不要だったのではないかという指摘も出てくるでしょう。
ワクチンの効果や感染抑制策の効果について医学的な議論はできます。ただ、超過死亡が減ったのだから社会全体としては過剰な対策だったのではないでしょうか。
何をもっていきなり「不要だった」「過剰だった」という根拠も無い推論が出てくるんでしょうか?感染予防効果については2回目でも数か月で減少し、予防効果が3回目で回復するというのは、多くのデータが出ています。
これは入院可能な病院、および病棟数、および病院のスタッフ、および呼吸器などハードウエア的な社会的リソースが短時間で整備できない状況で、できるだけ感染を先延ばしにして、負荷をかけないようにするためには必要なことだと思います。
森を見て「超過死亡が減った」=「全体としては過剰な対策」というのは余りにも、入院できずに死亡した方や後遺症が出ている方に対しては暴論だと思います。なぜなら仮定としてコロナで手術やインフルエンザによる診療等が減っていますので、副次的にそちらの要因で超過死亡が減った可能性もあります。これは更に「3回目も不要だったのではないか」という直接的な因果関係は見つかりません。
コロナ対策による損害を一例だけあげると、自殺者数の増加です。他にも多種多様な犠牲が今もって続いています。ワクチンにこだわらず、ウィズコロナへ切り替えていれば少しは緩和されていたのではないかと思います。
新型コロナによる直接の死傷と、コロナ対策の副作用による犠牲と、どちらが大きいかどう判断すればよいでしょうか?
どうしたら社会全体としてのリスク・ベネフィットを考えることができるでしょうか?
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
3回目と4回目との違いは何か。 (スコア:1)
3回目も不要だったのではないかという指摘も出てくるでしょう。
ワクチンの効果や感染抑制策の効果について医学的な議論はできます。
ただ、超過死亡が減ったのだから社会全体としては過剰な対策だったのではないでしょうか。
推論、指摘と科学的データ (スコア:0)
何をもっていきなり「不要だった」「過剰だった」という根拠も無い推論が出てくるんでしょうか?
感染予防効果については2回目でも数か月で減少し、予防効果が3回目で回復するというのは、多くのデータが出ています。
これは入院可能な病院、および病棟数、および病院のスタッフ、および呼吸器などハードウエア的な社会的リソースが短時間で整備できない状況で、できるだけ感染を先延ばしにして、負荷をかけないようにするためには必要なことだと思います。
森を見て「超過死亡が減った」=「全体としては過剰な対策」というのは余りにも、入院できずに死亡した方や後遺症が出ている方に対しては暴論だと思います。なぜなら仮定としてコロナで手術やインフルエンザによる診療等が減っていますので、副次的にそちらの要因で超過死亡が減った可能性もあります。これは更に「3回目も不要だったのではないか」という直接的な因果関係は見つかりません。
Re:推論、指摘と科学的データ (スコア:2)
コロナ対策による損害を一例だけあげると、自殺者数の増加です。
他にも多種多様な犠牲が今もって続いています。
ワクチンにこだわらず、ウィズコロナへ切り替えていれば少しは緩和されていたのではないかと思います。
新型コロナによる直接の死傷と、コロナ対策の副作用による犠牲と、どちらが大きいかどう判断すればよいでしょうか?
どうしたら社会全体としてのリスク・ベネフィットを考えることができるでしょうか?