密教で使われる言葉。正確には 「あぼーむ:A Boh Om」 と発音する。
「Om(オーム)」 という発音は密教やサンスクリットでは極めて重要視される言葉で、
これは、神に対する、或いは神自身の言葉である、という意味である。
「阿某穏」 とは 「神よ彼を攫え」 という意味を持つ言葉で、
汚らわしき存在を呪殺する際に使われ、
使われた対象は神の御手により存在すら忘れ去られるという。
"Om"を使う例文
Jai Guru Deva Om(神に感謝致します)
A Boh Om (神よ、彼を攫え)
当然これは神聖視される言葉であり、
必然的に 神聖なる場 で 然るべき段階 を経なければ、
決してその言葉は届かないとされる。
テキストOnly系 (スコア:1)
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜い2ch住人はスラド住人のストレス解消のいい的。
スラドはオープンソース信者、アンチMSを多数輩出してるし、2ch住人はかなり彼らに見下されている。
(2ch住人はスラド住人には頭があがらないため
民明書房 (スコア:1)
「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、
全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。
そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。
煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば
煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。
肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから
庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。
酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、
これを専門とする者も現れ始めた。
彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。
己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
Re:民明書房 (スコア:1)
密教で使われる言葉。正確には 「あぼーむ:A Boh Om」 と発音する。
「Om(オーム)」 という発音は密教やサンスクリットでは極めて重要視される言葉で、
これは、神に対する、或いは神自身の言葉である、という意味である。
「阿某穏」 とは 「神よ彼を攫え」 という意味を持つ言葉で、
汚らわしき存在を呪殺する際に使われ、
使われた対象は神の御手により存在すら忘れ去られるという。
"Om"を使う例文
Jai Guru Deva Om(神に感謝致します)
A Boh Om (神よ、彼を攫え)
当然これは神聖視される言葉であり、
必然的に 神聖なる場 で 然るべき段階 を経なければ、
決してその言葉は届かないとされる。
民明書房刊 『これで貴方もインド通! カーマ スートラ四十八手』 より抜粋
Re:民明書房 (スコア:1)
8世紀前半、唐は第六代皇帝李玄宗(AD712-756)の統治下にあり
最盛期を迎えていた。後に「開元の治」と呼ばれる時代である。
この時、玄宗皇帝は広く臣民の意見を集めるための掲示板を設
置し治世の助けとした。この掲示板では活発な議論が行われたが、
時に議論が収束せずいつまでも結論が出ないということがあった。
このような時、皇帝自らが確認し結論を預かることの意として
「宣唐李」と署名したが、後年専門の官吏を設け「宣唐吏」と変
化した。この役職は事実上皇帝の意見の代弁者であり、これに選
ばれることは非常に名誉であるとされた。
現代掲示板にて競って行われる「1000取り」は、「宣唐吏
(せんとぅり)」の音のみが残り表記が変化したものであるのは
言うまでもない。
民明書房「珍説・電脳用語事典(2003)」より
Re:民明書房 (スコア:1)
古来、中国では印田阿熱闘(インターネット)という娯楽が盛んであった。
その中でも特に民衆がこよなく愛していたのが敬磁万(ケイジバン)の書き込みであった。
民衆は数々の敬磁万の中で自己主張や、悩み、思い、果てはニュースまで思いを素麗努(スレッド)にぶつけ、
人々に話題を振りまき民衆を楽しませたという。
その中で大きく分け、苦粗素麗(クソスレ)と言うものと利酔素麗(リョウスレ)というものがあり、
苦粗素麗は民衆を苦しめる地獄の使者として言い伝えられ、
利酔素麗とは民衆を笑いの渦や感動へと運ぶ箱舟として伝えられていた。
この敬磁万の素麗遊びは過度の使用特殊な電磁波のせいでは外へ出なくなるという中毒性があったため、
民衆の中には気の抜けた若者が現れ非気蝙蝠(ヒキコモリ)というものが増え、
その自由な生活スタイルにあこがれ
民衆が真似をし、中国全土に多大なる危機的影響を与えたという。
この状況を重く見た、時の皇帝が、
この印田阿熱闘を禁じたという。
民明書房「中国娯楽大観」より
Re:民明書房 (スコア:1)
太古の中國地方では戦乱が絶えなかった。
手足に防具を纏った戦士達は自国の勝利の為
夜を徹して戦った。しかし、そんな時代も終わりを告げ
身体の強い者ではなく、より賢い者が高い位に就くようになった。
野に下った豪傑たちは盾に映った自らの獣の様な顔を見て
名士になるには己の頭脳を極めなければいけないと悟った。
利口でなければ、生きていくことは出来ないのである。この故事から
多くの事を学び、冷静に判断することを「盾余観」と呼ぶようになった。
知力に優れたもののみが厳しい社会を生き残れるというのは、今も昔も変わらない。
( 民明書房刊 「中國故事から学ぶビジネスのノウハウ」 より )
Re:民明書房 (スコア:1)
元来は「はげ、どういにしくす」と訓む。
前漢王朝を簒奪し新王朝を興し即位した王莽は、周代を理想とし、政治体制から
貨幣・文物に至るまで時代錯誤なまでに復古を追求した。
その末期に出された法令に「胴衣令」がある。
朝廷に仕えぬ庶民が冠・帽をかぶることを「官職にあるものと紛らわしく礼に反する」とし、
また庶民が華美な衣服をまとうことを「贅沢である」とし、ただ胴衣のみを纏うよう命じた
ものである。
とりわけ禿頭の者にとって、この時代既に帽は不可欠なものであり、長安の民は帽なしに
いかに頭の寒さをしのぐか四苦八苦したという。しかし、新王朝の官吏を目にするや、
処罰をおそれて帽を取り套を脱ぎ、胴衣令への恭順を装ったのである。
もっともこのような現実離れした復古政治のために新はわずか十数年で滅び、胴衣令も
長安周辺以外では厳しく行われないうちに赤眉軍・緑林軍らにより事実上廃止された。
このように「禿四苦胴衣」「禿しく胴衣」あるいは「禿胴」とは本来「同意して
いないが表面上同意を装う様」を指す故事であり、「深く同意している様」と
するのは誤用である。
なお、このとき長安のある禿頭の男が、「冠や帽でなければいいのだろう」と
藁を頭にかぶって嘲笑されたのが「禿藁」の語源であることは言うまでもない。
民明書房刊 「禿、その苦難の歴史」より