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謝罪を判決・命令・和解の条件にされた場合、それは本来の謝罪と言えるのかという疑問は常にある。また選択の余地がなかったのに「あなたは謝罪して認めたのだから」という議論になるのも正当とは言い難い。強制された謝罪が誤りであった場合もある。共産主義における自己批判とか。
あえていえば「~に対して謝罪できないような人間であればより重い罰を下すに値する」と正当化の余地はあるだろうか。例えば行為自体が明確で争いがない場合、つまり本件だと「ChatGPTを使用したこと」、仮にそれで謝罪が出来ずその理由が「判例を参照する際にChatGPTを使用することは正当だと考えている」という場合。それなら「謝罪をしない」というのは「今後も同様の行為を継続する」ということになり、弁護士として正当な資格を持っていないとさえ言える。つまり実質は謝罪の強制だが、「謝罪テスト」のような判定手段だと考えればアリなのかもしれない。
昨年陸上自衛隊の郡山駐屯地で起きたセクハラ事件、加害者5人は謝罪文を書いて被害者に謝罪したけど損害賠償を求めあっれると「性的暴行はなかった」と主張を変えて争う姿勢に
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/543917?display=1 [tbs.co.jp]
ホント、形だけの謝罪なんて意味ないんだな
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
確かにねえ (スコア:0)
謝罪を判決・命令・和解の条件にされた場合、それは本来の謝罪と言えるのかという疑問は常にある。
また選択の余地がなかったのに「あなたは謝罪して認めたのだから」という議論になるのも正当とは言い難い。
強制された謝罪が誤りであった場合もある。共産主義における自己批判とか。
あえていえば「~に対して謝罪できないような人間であればより重い罰を下すに値する」と正当化の余地はあるだろうか。
例えば行為自体が明確で争いがない場合、つまり本件だと「ChatGPTを使用したこと」、仮にそれで謝罪が出来ずその理由が「判例を参照する際にChatGPTを使用することは正当だと考えている」という場合。
それなら「謝罪をしない」というのは「今後も同様の行為を継続する」ということになり、弁護士として正当な資格を持っていないとさえ言える。
つまり実質は謝罪の強制だが、「謝罪テスト」のような判定手段だと考えればアリなのかもしれない。
Re:確かにねえ (スコア:3, 興味深い)
昨年陸上自衛隊の郡山駐屯地で起きたセクハラ事件、加害者5人は謝罪文を書いて被害者に謝罪したけど損害賠償を求めあっれると「性的暴行はなかった」と主張を変えて争う姿勢に
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/543917?display=1 [tbs.co.jp]
ホント、形だけの謝罪なんて意味ないんだな