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確かに全ての指摘がコメントで行われるのはオープンであり、修正の痕跡がどこかに残るのは、「存在しなくなったものを想像する」には非常に重要な事です。スタンスとしては、僕もそう考えています。
しかし、実運用上はどうでしょうか? 以前編集者(Oliver氏)の日記にも書かれていましたが、記事に付いたコメントはほとんど読まないそうです。活発にコメントを書いていらっしゃる(つまりコメントを読んでいる)編集者の方もいらっしゃいますが、もし、訂正依頼や一般的な要望(最近はページのレイアウトやスラッシュドットのシステムへの要望が記事のコメ
更に意見を述べて頂いてありがとうございます。
確かに、sf.jpへ行く努力をしていない人が多いかもしれません。と言うより、こちらにコメントを付ける方が気楽で手軽だからでしょう。
誤植のコメントへの考えは確かに考え方としては同意できますが、(ここでもやはり実際上の問題にしてしまって恐縮ですが)例えば、誤植のコメントで始まったスレッドが、別の興味深い内容になったりする事があります。そのため、そのようなスレッドを、単に誤植だけの話題として読まないと言うわけにもいきません(別に、全てのスレッドを追っていると言う意味ではないです)。しかし、実際読んでみると、下らない掛け合いだけのこともあります(よくあるパターンが、「その程度で騒ぐな」「だって誤解を招くでしょ?」の言い合いです。他には、ただふざけているだけだったり)。
誤植の指摘ですらコメント(あるいはスレッド)として成り立つのは、コミュニティがオープンである事の証左ですが(それは初めて訪れた人にも好印象となると思います)、もしかしたら、それが、指摘した当人の意図しない中で、全体の議論の質を下げているかもしれません。語弊のある言い方で恐縮ですが、本旨に関係のないコメントが付く事で、他の人が意識的に、あるいは無意識的に、「レベル的に」似たようなコメントを書きやすくしてしまうと言う事です。 記事に本質的に関係ある内容についてだけ意見を交わしたいと思っている人には、それらがただ雰囲気を壊しているだけに映るのではないでしょうか。それを指摘してここを離れると宣言したコメントを読んだ事もあります。門外漢を受け付けないのはもちろん論外ですが、雰囲気によって展開される議論の内容と質は大きく違ってくると思うのです。
誤植の訂正の件に限って言えば、指摘は原則的にメールだけで受け付けて、訂正した記事の最後に修正記録を付記するのがスマートなんじゃないかな、と思っています(むしろその方が「履歴」と言う明確な形を取っていますし)。
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一部のIDもちから (スコア:1)
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Re:一部のIDもちから (スコア:1)
確かに全ての指摘がコメントで行われるのはオープンであり、修正の痕跡がどこかに残るのは、「存在しなくなったものを想像する」には非常に重要な事です。スタンスとしては、僕もそう考えています。
しかし、実運用上はどうでしょうか? 以前編集者(Oliver氏)の日記にも書かれていましたが、記事に付いたコメントはほとんど読まないそうです。活発にコメントを書いていらっしゃる(つまりコメントを読んでいる)編集者の方もいらっしゃいますが、もし、訂正依頼や一般的な要望(最近はページのレイアウトやスラッシュドットのシステムへの要望が記事のコメ
Re:一部のIDもちから (スコア:1)
snowyさんのコメントに対して(元記事ではなく)は、限りなく同意です。運用上の工夫が必要という点に関しては、最近よく記事中や、編集者日記コメントなどへ張り付いていますが、本来sf.jpでリクエストすべきだと感じています(え、あそこはslashcodeの問題だけで、編集方針は違うって?メールで送れって?そうかもしれません)。
丁度、現在進行中の記事で似たような話題が進行していますが(それが日記の動機なのでしょうが)、読みたい人が読めばよく、読んでしまったことで、「犬のうんこ踏んじまったじゃねぇ
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Re:一部のIDもちから (スコア:1)
更に意見を述べて頂いてありがとうございます。
確かに、sf.jpへ行く努力をしていない人が多いかもしれません。と言うより、こちらにコメントを付ける方が気楽で手軽だからでしょう。
誤植のコメントへの考えは確かに考え方としては同意できますが、(ここでもやはり実際上の問題にしてしまって恐縮ですが)例えば、誤植のコメントで始まったスレッドが、別の興味深い内容になったりする事があります。そのため、そのようなスレッドを、単に誤植だけの話題として読まないと言うわけにもいきません(別に、全てのスレッドを追っていると言う意味ではないです)。しかし、実際読んでみると、下らない掛け合いだけのこともあります(よくあるパターンが、「その程度で騒ぐな」「だって誤解を招くでしょ?」の言い合いです。他には、ただふざけているだけだったり)。
誤植の指摘ですらコメント(あるいはスレッド)として成り立つのは、コミュニティがオープンである事の証左ですが(それは初めて訪れた人にも好印象となると思います)、もしかしたら、それが、指摘した当人の意図しない中で、全体の議論の質を下げているかもしれません。語弊のある言い方で恐縮ですが、本旨に関係のないコメントが付く事で、他の人が意識的に、あるいは無意識的に、「レベル的に」似たようなコメントを書きやすくしてしまうと言う事です。
記事に本質的に関係ある内容についてだけ意見を交わしたいと思っている人には、それらがただ雰囲気を壊しているだけに映るのではないでしょうか。それを指摘してここを離れると宣言したコメントを読んだ事もあります。門外漢を受け付けないのはもちろん論外ですが、雰囲気によって展開される議論の内容と質は大きく違ってくると思うのです。
誤植の訂正の件に限って言えば、指摘は原則的にメールだけで受け付けて、訂正した記事の最後に修正記録を付記するのがスマートなんじゃないかな、と思っています(むしろその方が「履歴」と言う明確な形を取っていますし)。