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通信と放送は水と油?」記事へのコメント

  • 放送って1つのことをみんなに一方向で押しつけるようにバラまくから、「国民的コンセンサス」とか「国民の持つべき常識」とか、そこまで固くなくても「みんなの共通の話題」を提供することによって「あなたと私は同じ国の住人なんだよね」という「根拠のない安心感」とか「根拠のない一体感」とかいう、使い方によってはとてもアブナイものを作る仕組みですよね。どこの国でも。

    対してインターネットとは自分が見たいものしか見ないよ、とか、使いたいから使う、とかいう「個人個人をつなぐ」メディアだと思うんですね。ネットで作られた一体感もあって、これは国家とかが公
    • by kubota (64) on 2001年12月11日 11時11分 (#45426) ホームページ 日記

      テレビは、根拠のない「塊」「集団」意識を造成しことさらに強調するのに役立っている、という点で責められるべきであるだけではなく、その「塊」「集団」が「国」だけに偏りすぎているという点でも責められるべきだと思います。(同一の話題を提供する、というだけなら、「同じ国の人」ということにただちに結びつくわけではありません)。

      つまり、「個」に対する「塊」「集団」は、「国」だけではない。「国」だけであるべきではないのです。むしろ、国は、人が属する様々な集団のうちのひとつにすぎない。人は、地域、年齢層、性別、家族、学校や職場、任意団体、思想信条、宗教、など様々なものに同時に属しているのです。そのなかで、「××国人である自分」だけがホンモノで、あとの「男性/女性である自分」とか「××会社に勤める自分」とか「××語をしゃべる自分 (これは日本においてはほぼ一致しますが)」とかは仮の姿なのでしょうか? そんなことはないはずです。もちろん、それとは別に、「自分は自分」という個人も存在する。

      テレビの本質がその中央集権性にあるのだとすれば (技術的な観点からのみその中央集権性を改めようとしても [たとえば多チャンネル化]、それはテレビじゃなくなってしまう)、その権力を (国だけが独占するのではなく) いかに分散させるか、ということが課題になります。「国」に対する「個」の優位とまではいかなくとも、せめて、「国」以外の様々な集団が「国」と対等の立場くらいにならないものか。テレビの中央集権性がもしその役に立つなら、それはそれで悪いことではないと思うのです。が、もしそれが不可能なのなら、解体されてしまうべきだということになるでしょう。

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