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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
156-衆-安全保障委員会-2号 平成15年02月27日 (スコア:1)
国の安全保障に関する件について調査を進めます。
お諮りいたします。
議員中山正暉君から委員外の発言を求められております。これを許可するに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○田並委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
中山正暉君。
○中山(正)議員 先般の当委員会の審議に際しまして、参考人に来られました佐藤勝巳氏の証言がありました。その証言に関しまして、当委員会理事の皆様にお願いをして、私も当委員会の委員長を務めたことがございますし、私も三十四年間の国会議員、連続十一回当選させていただいております者として、私の晩節を汚すわけにもいきませんので、ここで理事各位にお願いをし、今委員の皆様方の御許可を得まして、また委員長の御配慮をいただいて、発言の機会をお与えいただきましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。
実は、前の委員会、十二月の十日に平沢勝栄議員が御質問になりました、「北朝鮮のスポークスマン、応援団になったのが日本の国内にはいっぱいいるんです、これが日本の国益を大きく損ねてきたと私は思うんですけれども、佐藤参考人、いかがですか」という質問に対しまして、これは佐藤勝巳さんのお話でございますが、「ずっとおりました。それは現在の社民党、それから前の社会党、こういうような政党、さらに前の日本共産党というようなものは、理由はどうあれ、北朝鮮の意向を体して積極的に議会内において、さらには議会外において擁護してきた、これが拉致問題を阻害してきたかなり大きな理由です。九〇年代以降は、自民党の中に、もうはっきり名前を申し上げますけれども、金丸信さん、さらに渡辺美智雄さん、さらに加藤紘一さん、野中さん、中山正暉さん、こういう方たちが、北朝鮮の意を体して、絶えず米を出すとか拉致問題を不問に付して日朝交渉をやれとかいうさまざまな動きをやってきたことが、今日、拉致問題が長年問題にならなかった理由の大きな一つだと理解しております。」こうおっしゃっておられるのです。
私は、ここに、「帰国事業二十年」、一九五九年から一九七九年という本を持ってまいりましたが、これは、「帰国事業二十年」、新潟県在日朝鮮人帰国協力会の記録、非売品でございます。
この中に、佐藤勝巳氏という方は、元川崎汽船の労働組合にいた方のようでございまして、この方が、一九六二年と六四年、六二年は十一月の十日、それから一九六四年は九月の二十三日、このときに朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章受賞者、いわゆる北朝鮮から勲章を二回もらっておられる方でございます。二回もらった中に、横田めぐみさんの救出の会の会長小島晴則さんも入っております。佐藤勝巳さんに関しては、二回も勲章をもらっておられるわけです。
この二回勲章をもらっておられる方、どこでどう転換されたのかわかりませんが、これまた国会図書館で、私は佐藤勝巳さんの論文をいろいろ取り寄せてみました。これは国会図書館で取り寄せたものですが、「謀略と本質」という、質問された平沢先生も警察御出身でございますが、警察に対する、公安当局に対する大変な誹謗を、この論文の中で旭洋丸事件に関していろいろ書いておられます。
全部申し上げると時間がかかりますが、「北朝鮮のスパイを凄惨、陰惨な北朝鮮というイメージアップに利用、両国人民の離反に使っているような卑劣な行為と断定せざるを得ない、治安当局は、現体制を維持するため、つまり現体制を批判、変革しようとする者を弾圧するために存在しているべきものである。しかし旭洋丸事件は、それが単に国内にとどまらず、国際的な、朝鮮民主主義人民共和国をも諜報、挑発、攪乱するものであるという具体的な証拠を提示し、しかも、その手口が直接、間接に日本の植民地支配の犠牲者である在日朝鮮人を、恥知らずにも脅迫、利益誘導し、スパイに仕立て、みずから祖国を売り渡させて、二重、三重の国家犯罪を犯しているのである。」
とにかく、いろいろおっしゃっているのですが、この帰国事業というのは何かというと、この帰国事業は、一九七九年から二十年の間に九万三千二百十五名の在日朝鮮人を送り込んだ。この中に、御承知のように千八百三十二名の日本人妻が入っていたわけでございます。今これは脱北者という形でどんどん出てこられて、むしろ佐藤勝巳さんなんかは、今は皆さんに水色のリボンをつけさせておられますが、このときは、ここにも載っておりますように、黄色いリボンをつけさせて、いわゆる北朝鮮に送り込むシンボルにしておられました。今皆さんに水色のリボンをつけさせておられますが。混血の子供が六千人、その方々が今脱北者となってどんどん五月雨のような気の毒な形で出てきておられる。むしろ、その問題をこの方は救援の活動の中心にすべきではないかと思っております。
この拉致の家族を支援する会といいますのは、今五人の方々をとめ置いている。私なんかは、外務大臣にもお願いしておきたいと思うんですが、本当は三十八度線の離散家族の接見場所を拝借して家族の方々と会わせるとか、それから北朝鮮の大使館があります北京で日本の大使館との間で交渉の場をつくるとか、そんなことをすべきじゃないかと思うのでございますが、時間も十分しかありませんから意を尽くせませんが。
私は、ここに社会新報を持ってきております。この社会新報では、社会新報の中に私のことを書いてくださっています。「会談が一転険悪な雰囲気に変わったのは、森自民党団長がいわゆる日本人拉致疑惑問題に言及し、金養健朝鮮労働党国際部長が、この問題を我々と結ぶのは侮辱であると発言したにもかかわらず、自民党中山正暉衆院議員がさらに追及したことによる。」
私は、自民党の治安対策特別委員長というのをやっておりまして、その治安対策特別委員長として横田めぐみさんの問題を、安明進という北朝鮮の工作員、ちょっと年が若過ぎるので、横田めぐみさんを見られたという年に、年齢が適合しないようにも思えて、私は、あなた、横田めぐみさんを見たということになると、七歳か八歳か九歳じゃなかったんですかと御本人に言ったことがあります。非常に不思議な背景を持っておられる方でございますが、この方が横田めぐみさんの話をされたときに、マスコミが大騒ぎになりまして、桜井新先生、今参議院に移られましたが、この方が私のところへ飛んでこられて、中山さん、あんた治安対策をやっているんだから、治安の問題として拉致の問題をやってくれ。私の母の中山マサと申しますのが、昭和二十五年にこの衆議院にありました海外同胞引き揚げの促進に関する調査特別委員会の委員長をしておりました。そのときに、キリスト教の斉藤理事長と、それから外務省のアメリカ・倭島公使と、それから私の母が、ちょうど委員長という立場で国連の人道委員会に提訴をしたものですから、その提訴をした故事に倣って、私は自分が拉致の会長になったときに国連の人道委員会に提訴をして、北朝鮮は国連に窓口を持っているから、そこで交渉をしようと思ったわけでございます。
ところが、突然私に、三党訪朝団、自社さきがけでございますが、その副団長として入ってくれとのことで訪朝会談に出ました。森団長があいさつをされて、それから小野清子さんが、いわゆる北朝鮮に行った千八百三十二名の御婦人の代表が第一団で帰ってこられた、そのお礼を言われて、野中さんが事務局のこれからの運営の方式を言われて、私が一時間半にわたって拉致疑惑問題、七件十人を私が初めて北朝鮮代表団に説明をしたわけでございます。説明をして、そして一時間半の休憩後、向こうから、南という北朝鮮の教育大学、女性の学長でございましたが、この方が立ち上がって、何だと。大脇雅子それから堂本暁子、小野清子という三名の女性議員がいながら従軍慰安婦問題に触れないというのは何事かと、大喝一声始まりました。
皆さん、あっけにとられておられましたので、私が手を挙げて、実は一九一七年にロシア革命が起こりました、そのときに、どんどんシベリアに赤軍が出てきて、それに対して五カ国がシベリア出兵をやってその赤軍の拡張を防ごうではないか、日本に一万五千人の兵隊を近いから派遣してくれと要求されて、イルクーツクに本部を置いて、二年八カ月という間シベリア出兵をやりました。ところが、一万五千人のうちの七千五百人が梅毒にかかって帰ってきました。その梅毒を家庭の奥さん方、また恋人にうつさないためにも、それからロシアのお嬢さんを強姦しないために、昭和三十年まではそういう組織がありましたので、それに依頼をして実は慰安所を設けてもらった。これは世界的な軍隊の常識でございました。
私は昭和七年生まれでございますが、私の意識の中には、従軍慰安婦というのは、全く意識はありません。慰安婦は知っています。従軍看護婦、従軍記者というのは知っていますが、慰安婦に従軍のついたものは聞いたこともありませんと言いましたら、一回で終わりました。
そのほかにもいろいろありました。第二回目に私が団長で行ったときには、金容淳さんが、座るといきなり、三十六年間日本が朝鮮半島を併合した理由は何かと。それに対して私は、それは、清国、ロシアというのは、いろいろ極東木材会社、鴨緑江木材会社という架空の会社をつくって、軍服を脱いだ軍人を送り込んできた。いろいろな悲劇があったが、最大の理由は、その当時、西郷隆盛以来、朝鮮半島は日本の領土にすべきだというのに対して、一人反対していた人は伊藤博文であった。伊藤博文公は、ハルピン、今の瀋陽、奉天ですね、この三つに名前変わりましたが、そこで安重根という人が撃ち殺したでしょう。日本人には、マッカーサーという米軍司令官、ちょうど伊藤博文のような方が日本におられましたが、日本人にはマッカーサーを撃ち殺すようなばかはいませんでした。こういうことを言いましたら、金容淳さんが、安重根に対しては我々と韓国の評価が違います、これで会談はスムーズに動き出しました。
何で三十八度線で分けたか、その次にはその質問が来ました。三十八度線で分けたのは我々ではありません。ヤルタというところで一九四五年の二月の四日から十一日までヤルタの秘密協定が行われている。日本が知ったのはそれから十年後、米ソ冷戦構造ができ上がってから、アメリカがロシアとの秘密協定を日本にばらした。その交渉のときに、ルーズベルトにスターリンが、中立条約があったから日本をごまかすために、そのとき参加するとは言いませんでしたが、満州をよこせ、北朝鮮をよこせ、それから樺太をよこせ、千島列島をよこせという要求は具体的には占領行政命令一号という形で、八月十六日にそれが日本に提示された、マッカーサー元帥からです。それを受けたのは東郷外務大臣でした。
東郷外務大臣というのは、五歳まで朴さんという名前で、あの方は朝鮮人でありました。四百年前に日本に来た朝鮮人でありました。その朴さん、後の東郷茂徳外務大臣、この方が、三十八度線から上、いわゆる三十四方面軍関東軍、関東軍はソ連軍に武装解除をしろ、それから南側は第十七方面軍、これは、米軍に武装解除をしろという命令を受けたのは、あなた方朝鮮人の血を引く外務大臣が受けたんだ。これは、瀬戸物をつくる陶工を東郷に置きかえたんですね。そんな話をしました。
もう時間が来ましたという電報が参りましたから、これ以上申し上げることはできませんが、私は、この拉致を支援する会の人たちは一体何を考えているのかと。北朝鮮は孤立しているように見えますが、百五十四カ国と国交があります。EUは去年だけで二十五億ドルの食料支援をWFPを通じてやっています。ことしになってもう十二億ドル。アメリカはまた食料支援をしようとしているんですね。
しかし、この朝鮮人民軍参謀本部指令というのには、五〇二七作戦という米軍の北朝鮮侵攻作戦が実は北朝鮮に漏えいしました。これが一九九八年の十二月の二日に朝鮮軍参謀本部から、その五〇二七作戦に協力をする日本を攻撃の対象にすると世界じゅうに公表しているんです。
私は金容淳氏に、拉致の日本のマスコミが発表したもの、それから、よど号犯九名が九名の奥さんをもらって、三十二名の家族になっている、今七人日本に帰ってきていますが。その話と、それから、柴田泰弘という人は、よど号が昭和四十五年の三月三十一日に乗っ取られたときには、一番若い十六歳でございました。十三年前に日本に帰ってきて神戸で逮捕されて、五年の刑を受けて、もう今民間でコンピューターの会社をやっております。その彼の裁判記録、これは、よど号犯を帰してくるつもりで、私は北朝鮮と交渉したときに、のどに刺さった二本のとげを抜きに来ました、一本は拉致問題七件十人、そのときは七件十人、今は十件十五人になっていますが。そして、もう一本はよど号犯の引き渡しですと言いました。
私は、今よど号の問題が全く出てこないのは不思議でなりません。そのころは、拉致の問題は疑惑ということで、犯人は特定されていませんでした、平成九年の警察白書です。ところが、よど号犯ははっきり、三十二名の家族がいるということがわかったものですから、これを連れて帰ってくれば、私は、拉致の情報を持っているだろうと思ったのです。小泉さんが行ったときには向こうが謝ったんですが、私のときには対立していたわけです。徹底的にこっちの言うことに対抗したときに我々が闘ったということが、世の中には余り知られていません。どういうわけか、マスコミには私のような実際に交渉した者が全く呼ばれずに、平沢勝栄先生も警察におられましたが、一回も向こうに行かれたことはないようでございますが、その方が毎日テレビに出てしゃべっておられるという異様な現象が起こっております。
そういう中で、この参考人として呼ばれた佐藤勝巳さんの本当の姿を、特にもうきょうは時間がありませんから、小田実の「私と朝鮮を論ずる」、この中で、彼が大転換をした、今の立場に変わったことを書いております。これはいずれ、もし御興味がおありの方がありましたら、御要求いただきましたらコピーして差し上げたいと思いますが。
金容淳さんに私が申しました。あなたがボタンに手をかけたら、日本にミサイルは八分で飛んでくる、四分で見つけて四分で撃ち落とすのは不可能、そのことを言いながら、私は、昼飯のときに隣に座ったので、背中に隠していた資料、森団長にも野中さんにも相談せず、相談したらやめておけと言うだろうと思いましたから、私は彼をあおりました。平成九年、日本の国会が周辺事態対処法を審議していたときに、今日本でやっているのはあなたが怖いからだよと言ったら、何で怖いんだと。ノドンというのは潮岬までが射程に入る。千キロ飛ぶ。だから、その千キロの範囲内には東京が入っていないから、大阪の私はあんたにねらわれておるという話をしたら、そんなことせぬと言いますから、そんなことせぬと言うけれども、あんたの持っているテポドンは、そのころ千五百キロ飛ぶと言われている。沖縄が射程に入る。アジアでの米軍の最大の基地が射程に入る。
それは、TMDなんてつくったって、近いから、撃ち上げてくるミサイルと迎撃のミサイルがうまく会わない。二兆円もかかるものが日本に役に立たぬと、そんなことせぬよとおっしゃるから、そうおっしゃったのが、あなたがボタンに手をかけたら八分で来ますよ。そんなことせぬとおっしゃるから、私が背中からどっと資料を出して、これを見てくださいと言いました。説明したときには受け取ってもらえなかった資料を、昼飯の席で金容淳の鼻の先に突きつけたわけでございます。そうしましたら、中山さん、私がそれを直接受けるわけにいかぬから、そこにいる黄哲審議官に渡してくれと。まあ、一瞬、冷凍庫に入ったようになりました。
その資料を黄哲という人に渡して、その人が明くる日、タラップに乗って帰ってこようとしたら、中山さん、初めて拉致の資料をいただきましたと礼を言われました。
横田めぐみの話をしたのは、私が五年前にしたんです。それをなぜ、去年の三月になって、八尾恵が有本恵子さんを誘拐したという話が自民党の役員会で出てきましたから、官房副長官、ちょっと待ってくれ、何で今、私が言ったときには追加せずに、八件十一人にせずに、今何で追加するんだと言ったら、きょうの昼からの裁判で八尾恵が証言をしますからとおっしゃいました。証言をした後に発表するならいいけれども、証言をする前に発表するというのは何事かと、私は自民党の役員会で官房副長官に申しました。
とにかく、ほかに百人とか二百人とか、韓国に至っては四百六十八名の拉致者がいる。その人たちをどうするのか。五名を、ただ佐藤勝巳さんらの指揮によってマスコミを支配し、週刊誌も全部支配してこの人たちを置いていることは、百九十カ国とおつき合いがある日本が、ODAを振りまいておいて、金をまきまくったって、一発のミサイルが飛んでくれば日本は終わりです。それなのに、一カ国だけおつき合いのない国を、せっかく小泉総理大臣が意を決して北朝鮮との交渉の幕を開いたのに、それを阻止して、何とか北朝鮮を日本と引き離しておこうというその背後の勢力に、皆さん方ひとつ、これは一体何のことなのかと考えてみてください。
中国は、二十四発の原爆を持ち五十四回の実験をしています。そのNPTという、この国会で核拡散防止条約が批准されるときに、私は賛成討論をしました。その賛成討論をする前に松野頼三政調会長のところに行って、いいんですか。五カ国だけが核を持つ、あとは持っちゃいかぬ、おまえらの懐は見せろ、おれの中身は見せないという、そんな世界一の不平等条約、核拡散防止条約を批准していいんですかと、私は政調会長のところへ行きました。中山君、いざというときは、そんなものは超法規、そんな、法律も条約も切ればいいんだと申されました。
○田並委員長 中山議員に申し上げますが、申し合わせの時間が参りましたので、簡単にお願いいたします。
○中山(正)議員 わかりました。本当はまだまだ一時間半ぐらいいただきたいと思うんですが、簡単な話ではございません。
本当に、日本を愛する、この場にいらっしゃる安全保障というものに特別の御興味をお持ちの方、ひとつ、この不思議な集団の動きをどうぞよく、深く理解をしていただいて、国家安全保障のために御対応をいただきますようにお願いをし、浜田先生から、次は自分の持ち時間だから少しぐらいははみ出してもいいよと言ってくれました。私はお父さん幸一先生と、昭和四十四年に初当選したときに、議席が隣同士でございまして大の親友でございますので、その親友の御令息の御配慮に心から感謝をし、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。