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先日Led氏の日記 [srad.jp]に書こうとして止めたのを思い出しました。 いじめの問題は一時的なものに見えるけど、本質は力関係の問題であり、差別や民族紛争も同じ構造を持つ(そればかりでもないが)と。結局力関係の底辺に追いやられた人間は長じてもやはり底辺であり、孤立した人間は何処に行っても仲間に入れてもらえることはなく、その壁を打ち破るには多大なエネルギーが必要なんだと。
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
おめでとー (スコア:1)
うーん…うらやましい。
ありがとうございます (スコア:1)
流石/.J被差別民>俺。週末だからにしてもスルーされ杉。
先日Led氏の日記 [srad.jp]に書こうとして止めたのを思い出しました。
いじめの問題は一時的なものに見えるけど、本質は力関係の問題であり、差別や民族紛争も同じ構造を持つ(そればかりでもないが)と。結局力関係の底辺に追いやられた人間は長じてもやはり底辺であり、孤立した人間は何処に行っても仲間に入れてもらえることはなく、その壁を打ち破るには多大なエネルギーが必要なんだと。
Re:ありがとうございます (スコア:1)
私は小学から中学のころまでなぜかいじめられっこで
高校になっても一部からはいじめられつづけ
大学に進んで地元を離れてようやくいじめから解放されました。
物理的な攻撃よりも心理的なもののほうが多かったと思いますが
もう記憶が薄れているのであまり思い出せません。
(思い出したくないし)
小学3年の春に田舎に引っ越して、周りの雰囲気になじめなかったのが一番の原因なのかもしれない。
周りの子と遊ばずに一人で遊んだり、家にこもったりするので、さらに孤立してました。
今でも地元には全然友達がいないし、幼なじみと呼べる人はほとんどいません。
今みたいな性格になったのは、大学で周りの人間関係がガラッと変わったからなのかな…
環境を変えるために要したエネルギーは大きかったかもしれません。
こんな私なので
「いじめはいじめられる側にも問題が…」なんて発言する大人がいるとむかつきます。
それぞれの主義主張を無視して共同生活させようとする側にこそ問題があるはずなのにね…
って、誕生日のお祝いコメントからずれちゃった (笑
こんど上京するときには会いましょうね。
Re:ありがとうございます (スコア:1)
自分も小学校の高学年の頃に引越しいらいその感じでしたねぇ(ゎ
今となってはふーん。と言った感じですし、あんまり気にしてないですが
当時もあんまり気にしてなかったかも。特に中学時代がアレだった感じですね。
当時から他人と違う事を特に気にしてなかったので(ゎ
#あのぐらいの年頃だと、他人と違うと攻撃されやすいですし
まぁ、あの頃みんなと一緒にいたかった彼らは人並に収まるべくして
おさまっているんだろうと、後で見返してやればそれでよいのですよ。
日々精進いたしましょう。自分の為に...
$ set -o vi
オフトピ失礼 (スコア:1)
現実にはどこまでも封建的で,大勢順応型な社会が今も人の根底的な意識として脈々と続いている.
それは勉強をしたものが受験に打ち勝ち,よい大学へ行くことができ,そして良い企業や研究所へいける.
そういう教育面での受験というものが一つの因子として日本人の性質に大きく影響しているんじゃないかと思う.
そうやって用意された受験という道をえらび,なにも考えず,ただ大勢の仲間と一緒に受験に適応するための勉強を続ける.
こうすることで教養のあって豊かな人間性がもてる.つまり大勢になれる.
ほとんどがそう思っているのだろう.
私はそうやって用意された枠に疑問もなく,
人並みの考察しかせずに選ぶのはなんて安易な道なんだと思う.
大勢に順応することは、自分への注目を避けるだけじゃなく,同時に大きな勢力を手に入れたことになるのかもしれない.
そして,大勢にいるということは常識を疑うことをしないということ.
よく言われる.日本人はいい研究はできるが、
世界的に新しい研究はなかなかできない.
コンセンサスな社会が生んだ現状だろう.
例えば,自分が本当にこうだと思うものがあるんだったら,
乗り換えるときに深い考察もなしに行けるのか?
行けないのであれば,それがきっと個性だと思います.
個性もなく生きていて楽しいのか.ラテン系の人間だとそう思うんじゃないでしょうか.