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と言っているように、「データとして」考えた場合には、等価なのではないでしょうか? 音楽データ、画像データ(動画・静止画)、プログラムなどなどなど
>作者が最後の一滴の汗まで垂らして仕上げた原稿… >編集者が家にも帰らず(帰れずに)に動き回り、飛び回り… >印刷会社が無理なスケジュールを押し付けられながらも…
アーティストが最後の一滴の汗までたらして打ち込んだコード… リーダが家にも帰らず(帰れずに)に動き回り、飛び回り… プレス業者が無理なスケジュールを押し付けられながらも…
プログラマが最後の一滴の汗までたらして打ち込んだコード… プロジェクトリーダが家にも帰らず(帰れずに)に動き回り、飛び回り… テスタが無理なスケジュールを押し付けられながらも…
…ってネタに引っかかった?私(汗)
ダビデ像は、ダビデ像が彫られる前から一枚岩の内部に存在した。 ミケランジェロはそれを取り出したに過ぎない。 よって、ダビデ像の価値は石という実体にしか認められない。
芸術的価値?そんなものに実体は確実にありません。
「出版物」の方は、たぶんハードウェアとしての例えば『CRAY-2』に相当して、「CRAY-2を使う、というやりたい事」に対して不可分な『複製できない対象』で(CRAY-2以外ではCRAY-2を使ったことにならない)、 「CD」などの方は、ソフトウェアとしての例えば『気象予想プログラム』に当たるもので、これはそのCRAY-2でなくても使える事という『入れ物に依存しない』対象である。
…ということなのじゃないでしょうか? 外れてるかな?
他のかたも書かれていますが、音楽も地図もプログラムも「作品」ですし、出版物もCDも要は「プレス」ですし……。 ユーザー体験として捉えると似たようなものですし。同じ視点になるんかな~と。
全てを電子化しようとしているわけではありません。電子化することが有効なものについては電子化しているのです。文章はデータベース化されることによって新たな価値を見出すのです。演奏を録音し記録として遺すことは、それを聴く行為と生演奏を体感する行為は確かにかけ離れたものですが、そのような演奏が行われたと言う文化的証明として記録に遺す一つの方法としては非常に有効なものであるはずです。
絵画や、直筆で書かれた生原稿には、文化的価値と言うよりはまたちょっと違った価値が付加されているようにも思います。現代アートの方向は、印刷されるものにこそ、価値が見出されようとしています (この辺になるとさすがに、個々の感覚の違いが大きくなってくるので一概には言えないかもしれません)。
なるほど、やっと主旨が理解できました。
“出版物”を無断で貸与すると“物”を作っている人に負担がかかるので、デジタル “データ”をnyで共有しましょうということですね。 なにしろテキストファイルとしてディスプレイに表示される小説は「著作物として考える」こと自体が無理な
すんごい荒れたコメントが連なっとるが、 みんな大切なことを忘れてないか?
GNU's Not Unix!
確かにデジタルはデジタルの中だけで完結してしまう。 しかし、その永久回帰の中に無限の楽しみがあるんだよ。 エディタを作るためにエディタを作るように..... 楽しければそれでいい。それがエンターテイメントだ。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
ふぅ~ (スコア:0)
まさしくITボケ的な発想・発言ですが、出版物は単なるデータではありません。
作者が最後の一滴の汗まで垂らして仕上げた原稿…
編集者が家にも帰らず(帰れずに)に動き回り、飛び回り…
印刷会社が無理なスケジュールを押し付けられながらも…
そんな「人」が作った「モノ」です。
# ---たまにはお外で遊びましょう---
Re:ふぅ~ (スコア:1)
と言っているように、「データとして」考えた場合には、等価なのではないでしょうか?
音楽データ、画像データ(動画・静止画)、プログラムなどなどなど
>作者が最後の一滴の汗まで垂らして仕上げた原稿…
>編集者が家にも帰らず(帰れずに)に動き回り、飛び回り…
>印刷会社が無理なスケジュールを押し付けられながらも…
アーティストが最後の一滴の汗までたらして打ち込んだコード…
リーダが家にも帰らず(帰れずに)に動き回り、飛び回り…
プレス業者が無理なスケジュールを押し付けられながらも…
プログラマが最後の一滴の汗までたらして打ち込んだコード…
プロジェクトリーダが家にも帰らず(帰れずに)に動き回り、飛び回り…
テスタが無理なスケジュールを押し付けられながらも…
…ってネタに引っかかった?私(汗)
/* Seeds */
Re:ふぅ~ (スコア:1)
コーダーが最後の一滴の汗まで垂らして仕上げたソース…
SEが家にも帰らず(帰れずに)に動き回り、飛び回り…
データセンターが無理なスケジュールを押し付けられながらも…
なんて努力をして築き上げたデータで生計を立ててるような人たちです。
あなたの発言は、とてもアナログ神話に偏っていると思います。
#--もう少し、自分の知らないことを勉強しましょう--
Re:ふぅ~ (スコア:1, すばらしい洞察)
一般の人と技術者とのギャップ (スコア:1)
その原因として、元AC氏はアナログとデジタルの間に、
とても大きな距離があるように誤解しているように思えます。
しかし、/.Jにいるエンジニア諸氏にとっては、
アナログとデジタルの間を埋める技術的裏づけや理論的背景を知っているので、その距離を正しく認識できている。
#物によっては人間が認識できる範囲での違いがないなど。
この認識の差が原因で、平行線気味になるのではないかと思います。
そういう意味では技術者側の説明不足があるのだと深く反省したいところです。
また、元AC氏にも/.Jを見ている以上技術的なことに興味があると思いますので、
それに関して調べてみることをお勧めします。
Re:一般の人と技術者とのギャップ (スコア:1, すばらしい洞察)
もともとコピーライトのスレなのに。
Re:一般の人と技術者とのギャップ (スコア:0)
Re:一般の人と技術者とのギャップ (スコア:1)
MOMAに出展する芸術家さんらしいのでその線で。
美術は媒体と表現されたものが表裏一体なのが普通です。
有名な画家の絵を写真に納めたものにさほど価値がないですし、
彫刻にしてもそうです。
本については装丁も作品の一部と見なされることもありますが、
それはあくまで例外だと思います。
そこに書かれているものが作品なんです。
# じゃなきゃ、文庫で再版なんかできやしません。
そこの区別が未分化なんだと思います。
美術の分野ではこの辺りの区別が曖昧ですから。
書籍の場合でいうと、書かれた作品と媒体である紙の束を
一体のものとして考えていることからも混同がうかがえます。
なので「ITボケ」(って言葉に脱力しちゃうわけですが)なんて言葉で
臆面もなく他人を批判することができちゃうんじゃないかなあと。
# 端的に言うとボケてるのはどっちだよ、ってことです :)
もちろん美術にも例外はありまして、
版画や写真や広告芸術なんかが代表ですがコピーを前提に
成り立ってる芸術分野もあります。
現代の広告は制作においてデジタルコピーがなされる工程が
挟まれることがほとんどでしょうから。オリジナルはディスク上の
Adobe Illustratorのファイルであるものが多数あります。
この方が広告芸術についてどうお考えなのか大変興味があります。
あと聞いてみたいのはやはり本、ことに小説ですね。
こちらもデジタルコピーがなされる工程がかならず挟まれます。
といいますか、聞くところによると今ではよほどの大家でもない限り
手書きの原稿は受け付けてもらえないそうです。
これもオリジナルはディスク上のデジタル「データ」です。
さてこの方はこれら「オリジナル」に対してどの様なお考えをお持ちなのか、
お書きいただけることを期待してます :)
Re:ふぅ~ (スコア:0)
作り手の苦労はどんなジャンルにもあります。紙文化が特殊なわけではないでしょう。
元AC再登場! (スコア:0)
ここでいう「データ」とは「複製」という意味。
デジタル・データというのは、ほぼすべて仮想的な複製でしかない。
事実、人間はそんなものがなくって生きていける。
資
Re:元AC再登場! (スコア:1)
やっぱりちょっと考え方が、偏りすぎていると思う。
そして、もし、今回の事を機会にもうちょっと考えてもらえると嬉しいと思うので、もう少し書かせてもらうと。
デジタルデータ(複製)って言っても、それはやっぱり現実的な事なんだよ。
ちょっと目に見えないから、仮想的な事のように思ってしまうかもしれないけど、現実的に複製されたデータは、実際にそこにデータとしてあるんだよ。
事実、人間はそれがないと生きていけなくて、(どうやらこのデジタルデータというのは娯楽とか余暇産業とか音楽とか、そんなもののことを指しているように思うけど)そのためにみんな死にものぐるいでそういうものを作っていると思うんだけど。
逆に、データとして出版物を扱ってしまって何が悪いのか聞きたい。
出版物になっているのが偉い、と考えてるようにしか思えないけど、その理由が汗水垂らして作ったから、と言うのであれば、結構みんないろんなものを汗水垂らして作っているんだ、と思っていた方が良いと思う。
オフトピの上に粘着でスマンね。
元AC再々登場 (スコア:0)
デジタル・データとは、単なる0と1の集合だろ?
今眺めてるブラウザだって、HTMLを読んで表示してるだけ。
そのHTMLもまた、文字の羅列…つまり0と1の集合だろ?
そこに実体は確実にないよね?
明らかなる「仮想的な複製」だよね?
それと本や音楽を一緒にするってのは本格的にやばいんじゃ?
あなたはなぜ、私が「音楽」と言うと、
CDやその元データしか連想できないの?
「音楽」ってのは「音」だよ?
「人」が演奏するものだよ?
いくらクラブでDJがデジタル
Re:元AC再々登場 (スコア:1)
だって、その、データを「仮想的な複製」をして、生計を立てているんだもの。
「仮想的な複製」とか言われちゃうと、こちとらおまんまが食えなくなったりしそうじゃない。
その、0と1の羅列でも、実際にこっちのメディアに複製しているから、音楽がなったりするんじゃないの?
ほんとーにちっちゃくて、目に見えないけど、たとえばハードディスクには0101とか書き込まれてるんじゃないの?
いやいや、音楽でそんな連想をしたことはないのだが………
でも、たとえば、それをCDやその元データにするのは、複製じゃないよね。
そのデータを作成してるんだよね。
そしてその「作成」したデータを「複製」すると言うことは、「仮想的な複製」じゃないよね。
その、いろんなものにデータが入ってない気がしたから、ちょっと口を挟んでみたんだけど、正直、じゃぁ仮想的な複製じゃない複製って言うのはどういうものなんだ?
コピー機でがーと出てきたコピーは仮想的な複製じゃないのか?
スマンが、そのあたりをちょっと教えてくれ。
あと、どうせなら、ステでも良いからIDを作ってみてはどうだい。
Re:元AC再々登場 (スコア:0)
デジタルは所詮仮想。
Re:元AC再々登場 (スコア:1)
「わしはTVの中の書類なんぞわからん!紙で寄こせ紙で!」なヒトですか?(汗
Re:元AC再々登場 (スコア:1)
Re:元AC再々登場 (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:元AC再々登場 (スコア:0)
元首相と同レベルなのではないかと
Re:元AC再々登場 (スコア:1)
で、それがコピーされ、孫コピーされ、何十世代目かでふと誰かが「プリントアウトしてみよう」と思いついて印刷したとたんになにか本質的に別のモノに変身する。
Re:元AC再々登場 (スコア:0)
Re:元AC再々登場 (スコア:0)
>そこに実体は確実にないよね?
>明らかなる「仮想的な複製」だよね?
>それと本や音楽を一緒にするってのは本格的にやばいんじゃ?
つ
Re:元AC再々登場 (スコア:0)
> 今眺めてるブラウザだって、HTMLを読んで表示してるだけ。
> そのHTMLもまた、文字の羅列…つまり0と1の集合だろ?
> そこに実体は確実にないよね?
> 明らかなる「仮想的
Re:元AC再々登場 (スコア:0)
ダビデ像は、ダビデ像が彫られる前から一枚岩の内部に存在した。 ミケランジェロはそれを取り出したに過ぎない。 よって、ダビデ像の価値は石という実体にしか認められない。
芸術的価値?そんなものに実体は確実にありません。
Re:元AC再登場! (スコア:1)
「ITボケ」と云われてしまうかもしれませんが、他の例が思いつかなかったものでご了承ください…
「出版物」の方は、たぶんハードウェアとしての例えば『CRAY-2』に相当して、
「CRAY-2を使う、というやりたい事」に対して不可分な『複製できない対象』で(CRAY-2以外ではCRAY-2を使ったことにならない)、
「CD」などの方は、ソフトウェアとしての例えば『気象予想プログラム』に当たるもので、
これはそのCRAY-2でなくても使える事という『入れ物に依存しない』対象である。
…ということなのじゃないでしょうか? 外れてるかな?
他のかたも書かれていますが、音楽も地図もプログラムも「作品」ですし、出版物もCDも要は「プレス」ですし……。
ユーザー体験として捉えると似たようなものですし。同じ視点になるんかな~と。
/* Seeds */
Re:元AC再登場! (スコア:1)
しかし、出版社やレコード会社は文化や作家を守るという名目の元各種権利を主張しています。
確かに本に関してはまだまだ紙とそれを扱う出版社は捨てられそうにありません。しかし音楽についてはCDやレコード会社を捨ててもいいような土台ができつつあります。それらは技術的な問題であって、将来的にはどちらも少なくとも現在の形のものはいらなくなるでしょう。
すると文化という点においては著作物の中心は入れ物ではなくデータとなり、著作隣接権の重要度は著作権全体の中では低いものとなります。
確かにレコードにはCDにはない文化があるでしょう。しかしそれは音楽自体の文化よりは規模の大きいものではありません。実際、現在多くの(CDやレコードなどに入れられて売られるような)音楽はレコードではなくCDで売られています。将来CDよりも良い媒体ができればそれを使って売られるでしょう。逆に全くレコードがなくなってしまったのではなく今でも少しずつ作られています。しかしそれはデータそのものだけでなくその入れ物も含めて1つのものとした場合で少数派です。
同じようなことが手書の本と印刷された本、生演奏と録音された演奏、手描きの絵と印刷された絵、手紙と電話とメールなどにも当てはまります。
以上から、文化や作家の保護を根拠にした権利の主張に対しては、本当にそれが文化や作家の保護になっているのか調べるために入れ物ではなくデータに注目するというのはごく自然なことと言えます。
もちろん現在はまだ技術的に出版社は必要なのでデータばかりを見るのではなく、少しは入れ物を見るべきだという主張は正しいでしょう。
しかしそれを主張するためにデータに注目することを否定するのは主張の仕方として間違ったものです。
Re:元AC再登場! (スコア:0)
これらを同等のものとしてしまうことこそが、
普通の(コンピュータとは縁遠い)人々から
明確な距離を作っている部分であり、
元AC(私)に「ITボケ」と言われていまう所以では?
たとえそれが遠い未来であっても、
リスナーが生演奏と録音された演奏を同じもの
と捉えるようになったならば、
その頃にはもうミュージシャンなんていませんよ。
画家だって、手描きの絵と印刷された絵が同等のもの
として扱われるくらいなら、絵筆を折ります。
あな
Re:元AC再登場! (スコア:3, すばらしい洞察)
私は読みきれないほど本を買いますが、
私が読んでいる本は、紙に書いてある字を読んでいるわけではありません。
紙に書いてある字を通して描写された、著者が構築した精神世界とその切り口を楽しんでいるのです。
音楽に関しても生演奏なんていうのは既に幻想です。
生演奏が可能な楽曲も存在する、という程度で、
最初のまとまった出力が電子データ、スピーカからしか実質上世界に出ることのできない曲がかなり存在します。
生演奏がアートな方ももちろんいますが、
そうでないスピーカの振動を思うさま操って表現するアートの方もいるわけです。
それを私が聞くときに、スピーカの振動を聞きたいのではありません。
ミュージシャンが何かを伝えたいとして音波を操った、その「伝えたい何か」の方を聞きたいのです。
画家が写真によって仕事を奪われたなんてことがなく、
絵画は絵画で、写真は写真でアートを構成しているのは
物体として存在するものの質感を表現したい、表現を受け取りたいのではなく
その質感の向こうにある何か、を表現したい、受け取りたいからだと考えます。
写真の出回っている彫刻や絵画に対してわざわざ実物を見に行く行為の意味、
あなたはわかってくれなさそうです。
紙とか円盤とか鉄とか絵の具とか木材とかはどうでもいいんです。
表現技法だけでは不足です。
その向こうを見たいんです。
だから途中の、出版業や音楽業界には「その向こう」を邪魔するなら死んでもらうし、助けるならぜひ生きていて欲しいのです。
Re:元AC再登場! (スコア:1)
もし、あなたが一人のアーティストとして、そのような問題定義を投げかけているのであれば、せめて、その謎を残したような書き方ではなく、自分の作品を紹介するか、もしくは、似たような事を表現している作品を紹介するのがすじではないですか?
ただ、普段の作品とこの議論とは違うのだ、アーティストとしてというのは、立場がアーティストとしてなのだ、と言うのであれば、上記の文章は当てはまらないと思いますので、ご面倒でしょうが、お忘れ頂けると幸いです。
(4月からのMoMA展というのは、4月28日から六本木ヒルズの森美術館で開催される「MoMA ニューヨーク近代美術館 ~モダンってなに ?~」展の事でしょうか?)
どうやら読んでいると、あなたは、仮想的な敵を想定して、それと戦っているようにも見受けられます。
そしてもっと残念なことに、この/.jでの経験で、電子コミュニティーと言うのを断定しておられます。
もしあなたが、上記の展覧会に作品の掲示されるような著名な方であると言うのであれば、この残念な気持ちは私の中では何倍にもふくれあがるのですが。
私個人としましては、仕事を侮辱されたのではないという文章を額面通りに受け取り、溜飲を下げております。
もし、インターネットが利用できるから、と言う即物的な理由だけだと、ちょっと悲しいですけどね。
Re:元AC再登場! (スコア:1)
>逆に全くレコードがなくなってしまったのではなく...
の部分でちゃんと古いメディアや生の良さを認めています。
私自身もCGを描きますが一方で切絵なんかも作ります。
しかし私が言いたかったのは多くの作品はそのようなものを必要としていないということです。
昔はレコードしかありませんでしたから仕方無くレコードを使っていてCDが出てきたとき喜んでCDに乗り換えた人がほとんどだった、ということです。そしてレコードを捨てなかった、逆に最近レコードに移った人がいるのも事実ですがそれは小数であった、ということです。
おそらく電子出版が進んでも本を作る人はいるでしょう。しかしそれは芸術の表現方法として本という形式自体を使う場合に限られます。
そのような限られた用途のためだけに手厚い保護は必要ないのではないか、ましてやそれの弊害が大きいならなおさらじゃないか、というのが発言の主旨です。
>4月からのMoMA展で私の作品も並ぶので、
>よかったらどうですか?
>直接会って話せば、お互い通じないものも
>通じ合えると思いますが・・・
ACの方にそのようなことを言われましてもどうしょうもありません。
IDで投稿するか少なくともMoMA展での名前を載せないと釣り、荒らしと取られる恐れがあります。
文化を遺すと言うことについて再考を求めます。 (スコア:1)
全てを電子化しようとしているわけではありません。電子化することが有効なものについては電子化しているのです。文章はデータベース化されることによって新たな価値を見出すのです。演奏を録音し記録として遺すことは、それを聴く行為と生演奏を体感する行為は確かにかけ離れたものですが、そのような演奏が行われたと言う文化的証明として記録に遺す一つの方法としては非常に有効なものであるはずです。
絵画や、直筆で書かれた生原稿には、文化的価値と言うよりはまたちょっと違った価値が付加されているようにも思います。現代アートの方向は、印刷されるものにこそ、価値が見出されようとしています (この辺になるとさすがに、個々の感覚の違いが大きくなってくるので一概には言えないかもしれません)。
むらちより/あい/をこめて。
Re:元AC再登場! (スコア:0)
Re:元AC再登場! (スコア:0)
生原稿には価値があるが、出版物には価値は無いって事やね。
まして最初からワープロで書いてる作家なんて作家とは言えんと。
そうだな。そんな生原稿以外のものに金払ってやる必要は無いな。
コンピュータと縁遠い一般人にはそれが普通の感覚だよ。
ところで、コンピュータと縁遠く暮らせる地がこの日本にもありますか?
Re:元AC再登場! (スコア:0)
あなたが書いた二つの発言には書いてなくて、
あなたが違うと思うから違うだけのことになってしまっている。
>資本主義社会の中で、サービス産業や余暇の増幅によって
>発展してきただけでしょう?
形になった「出版物」ってこの例の最たるものだもの。
#釣りにマジレスなのでAC
Re:元AC再登場! (スコア:0)
>
> デジタル・データというのは、ほぼすべて仮想的な複製でしかな
> い。
「仮想的な複製」ってなんですか?反語的表現ではなく、純粋に意味が
わからないのですが。
# デジタルデータな漫画はどーなるんだろう。
Re:元AC再登場! (スコア:0)
苦しいからもうやめとけって...
#他の皆さんも釣られないように...
Re:ふぅ~ (スコア:0)
出版物というのは,その“データ”をDTPで“出版物”にするのですから.
音楽ファイルやmidiデータを元にCDパッケージが出来上がるのと同じことです.
つまり,出版に関する著作権料問題を音楽と比較したくて(?)
“データとして考える”ことは,かなり的外れです.
ここに来るのが baka_gahaku 氏の
ITボケですみませんが……… (スコア:1)
確かに、出版物を作るには、データを作るだけではいけないわけで、大勢の人でがんばって本を作っていると思います。
しかし、「著者の権利として」出版に関する著作権問題を考えるのであれば、音楽ファイルやMIDIデータと同等に考えるのは、ある意味筋が通っていると思います。
たとえば、今回の件で言えば、そのDTPをシコシコとがんばっている人の話は、(間接的に保護されているのかもしれませんが)入っていないように思います。
それらがデジタルであるかアナログであるかの違いで、比較のしようがないものというのは強引だと思います。
「作品」は、常に、デジタルであるかアナログであるかも含めて、比較されているように思います。
Re:ふぅ~ (スコア:0)
Re:ふぅ~ (スコア:0)
出版“物”においてのデータとは,DTPの材料でしかありません.
そして,あなたは著作権について相当な勘違いをしていますが,
著作権は著作“物”にあるのではなくて,著作“者”にあるものです.
その辺りもまたITボケなのでは?
世の中は“人”で動いているんですよ.
Re:ふぅ~ (スコア:0)
全然文脈と繋がってないよ。
Re:ふぅ~ (スコア:0)
Re:ふぅ~ (スコア:0)
なるほど、やっと主旨が理解できました。
“出版物”を無断で貸与すると“物”を作っている人に負担がかかるので、デジタル “データ”をnyで共有しましょうということですね。 なにしろテキストファイルとしてディスプレイに表示される小説は「著作物として考える」こと自体が無理な
GNU's Not Unix! (スコア:0)
すんごい荒れたコメントが連なっとるが、
みんな大切なことを忘れてないか?
GNU's Not Unix!
確かにデジタルはデジタルの中だけで完結してしまう。
しかし、その永久回帰の中に無限の楽しみがあるんだよ。
エディタを作るためにエディタを作るように.....
楽しければそれでいい。それがエンターテイメントだ。