アカウント名:
パスワード:
私も15年ほど前まではそのように考えてました... が、ある時、少なくとも親子ほども世代が開くと、技術を直接伝承することによって後世に伝えるという手法は破綻していることに気が付きました。技術というのは陳腐化が激しく、子供が社会に出ていこうとするころには親が知っている技術が廃れてしまうのです。建造物や船舶のように20年や50年使うものならともかく、電子や情報のように製品寿命が短い世界では、大学で勉強したことでさえ現場では古くなってしまうこともあります。そんな技術を世代を超えてこと細かく教えるのは無駄な努力にしかなりません。逆にいえば、仕様書通りにパッとモノを作るという技は現場では本質的に要求されてしまっているのです。
では、世代を超えて教えても古くならないものは何か? 例えば絵画や音楽などの芸術、あるいは文学(いずれもクラシックであることが必須)はその範疇に入るでしょう。少なくとも一世紀、場合によっては数世紀以上にわたり、さまざまな側面から批評の目を浴びながらも生き残った作品は、そう簡単には古くなりません(でなければ発表して100年も経てば廃れてしまう)。新しい解釈を加えることによって、いつでも新鮮な印象を取り戻すことができます。特に文学作品は、芸術作品の中ではもっとも安価に入手できます。1本だけでなく、異なる時代や作者の作品を何本も読み比べ、作品間の共通点や差異を発見することもできます。私の経験だと、同じFairy TaleでもCharles Perraultなど17-18世紀のフランスとHans Cristian Andersenでは描く対象が全く違っていて驚いたことがあります。また、これは一部は解説からの受け売りですが(自分で読み調べたから分かった部分もある)、AndersenのThe Snow Queenは冒険旅行を題材とした作品の中でも、強烈な個性を持った悪役がいないという点で際立っています。「指輪物語」と十分張るぐらいに貴重な作品と評されていました。私の親はこのようなクラシックな文学作品を多く読んだことがあり、子供のころの自分にとっても親しみが持てました。このような経験が、ソフトウェア技術に携わるようになった今でも、技術全体から詳細までの比較評価や発見に役立っています。
単にハンダ付けや部品の寄せ集めができる人間が育てば十分というなら、秋葉原でもいいのでしょう。ですが、観察力や疑問の発見に長けた人間を育てるのであれば、実は「急がば回れ」で技術以外のことを教えた方がよいのではないでしょうか。
パーツショップのような小さな店は駅前に展開しているので、いち技術者としてそういった店が少なくなりそうなのが心配なわけです。
ああいう店は、明確にああいう店で売っている商品目当ての人しか元々行かないのではないかと思っているのですが。
目立つ場所にパーツショップが存在し(人に興味を持たせ)、手軽に入手できるという土壌がなくなると、未来の技術者達の芽を摘んでしまうような気がして悲しいですね。
これらの商店に目的を見出せないような人を新規に「こっちの世界」へ招くには目立つ場所にないとねぇ、というところです。
うーん。萌え系ならまだしも、ああいう店の品揃え見て「なんか作ってみたいゼ」とか思うような人っているんでし
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
客の流れが変わる (スコア:1)
sakura2k
Re:客の流れが変わる (スコア:0)
煽りに見えるかもしれませんが、旧来の商店街が消えていくなんて、よくある光景じゃないですか。
ここだけ特別、というのは…理由がわかりません。
Re:客の流れが変わる (スコア:3, すばらしい洞察)
近くに東京電機大学という大学があるのですが、そこの元学長曰く、「我が校は秋葉原という実験室と、神保町という図書館を持った学校である」。秋葉原はその大学だけでなく多くの技術者/技術者のタマゴの実験室であると思います。自らの習得した技術を愛し、自分でモノ作りができる人材なくして技術者達の未来は無いのではないでしょうか。どこからか沸いてきた仕様書通りにモノを作るだけの世界に、新しいものは生まれないと思います。
自称技術大国ならケツを引っ叩いて無理やり勉強させるようなことをせず、良質の技術者を輩出するためにも技術者の感性を刺激するような場所を大事にしても良いと思います。
sakura2k
技術を作らせたければ技術を教えるな (スコア:1)
私も15年ほど前まではそのように考えてました... が、ある時、少なくとも親子ほども世代が開くと、技術を直接伝承することによって後世に伝えるという手法は破綻していることに気が付きました。技術というのは陳腐化が激しく、子供が社会に出ていこうとするころには親が知っている技術が廃れてしまうのです。建造物や船舶のように20年や50年使うものならともかく、電子や情報のように製品寿命が短い世界では、大学で勉強したことでさえ現場では古くなってしまうこともあります。そんな技術を世代を超えてこと細かく教えるのは無駄な努力にしかなりません。逆にいえば、仕様書通りにパッとモノを作るという技は現場では本質的に要求されてしまっているのです。
では、世代を超えて教えても古くならないものは何か? 例えば絵画や音楽などの芸術、あるいは文学(いずれもクラシックであることが必須)はその範疇に入るでしょう。少なくとも一世紀、場合によっては数世紀以上にわたり、さまざまな側面から批評の目を浴びながらも生き残った作品は、そう簡単には古くなりません(でなければ発表して100年も経てば廃れてしまう)。新しい解釈を加えることによって、いつでも新鮮な印象を取り戻すことができます。特に文学作品は、芸術作品の中ではもっとも安価に入手できます。1本だけでなく、異なる時代や作者の作品を何本も読み比べ、作品間の共通点や差異を発見することもできます。私の経験だと、同じFairy TaleでもCharles Perraultなど17-18世紀のフランスとHans Cristian Andersenでは描く対象が全く違っていて驚いたことがあります。また、これは一部は解説からの受け売りですが(自分で読み調べたから分かった部分もある)、AndersenのThe Snow Queenは冒険旅行を題材とした作品の中でも、強烈な個性を持った悪役がいないという点で際立っています。「指輪物語」と十分張るぐらいに貴重な作品と評されていました。私の親はこのようなクラシックな文学作品を多く読んだことがあり、子供のころの自分にとっても親しみが持てました。このような経験が、ソフトウェア技術に携わるようになった今でも、技術全体から詳細までの比較評価や発見に役立っています。
単にハンダ付けや部品の寄せ集めができる人間が育てば十分というなら、秋葉原でもいいのでしょう。ですが、観察力や疑問の発見に長けた人間を育てるのであれば、実は「急がば回れ」で技術以外のことを教えた方がよいのではないでしょうか。
Re:客の流れが変わる (スコア:0)
ああいう店は、明確にああいう店で売っている商品目当ての人しか元々行かないのではないかと思っているのですが。
Re:客の流れが変わる (スコア:1)
自分の発言を引用してみます:-)
これらの商店に目的を見出せないような人を新規に「こっちの世界」へ招くには目立つ場所にないとねぇ、というところです。ちなみにビルが出来たからどうこう、ではなくビルに駅出口が出来るのを問題視しています。
sakura2k
Re:客の流れが変わる (スコア:1)
でも、どうかななぁ買い物客の電気街口の利用者数はさほど変わらないような気がするが。オフィスに通う人たちにとってはビル側に出口があった方が便利だと思うし。
Re:客の流れが変わる (スコア:0)
うーん。萌え系ならまだしも、ああいう店の品揃え見て「なんか作ってみたいゼ」とか思うような人っているんでし
Re:客の流れが変わる (スコア:0)
#魔窟じゃないと{燃え|萌え}ないっっ!