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などの、抽象性の高い便利さは、すでにコンピュータの世界から切り捨てられ、初心者にしか便利に思えないようなユーザインターフェースなどにどんどん取って代わられつつあります。昔、DOS では毎日のようにワイルドカードとか標準入出力とかリダイレクトとかをユーザの立場で使ってたけど、そういう抽象性の高い (からこそ便利な) 機能は GUI では実現できないですから。
PDF も、それと同じ流れにあると見ていいでしょう。ただ、便利さをあまりにも性急に捨てすぎているので、現時点では大部分のユーザにとって使いにくいものであると思いますが。ただ、現在の大部分のパソコンユーザがワイルドカードを知らなくても不便だと感じないように、未来のパソコンユーザは PDF を何とも思わない人が大部分になるのかもしれません。
しかしそういう抽象性を切り捨てていくことでこそ、ユーザの底辺を広げ、市場を拡大できたのかもしれません。そういう意味で、Linux/BSD 用の「簡単な」デスクトップ環境が整備されつつある状況には、複雑な思いがします。
市場が拡大してなにがうれしい、って言われればそれまでですが。
手話は私は知らんのですが、絵文字(ピクトグラム)に関しては、すべてのインスタンスがだれでも事前知識なしで正確に理解できるというのは俄には信じられません。「世界共通のやつがあるじゃないか」とおっしゃるかも知れませんが、実はこれは人間がISOでわざわざsemanticsを定義 [sphere.ne.jp]してやっと使いものになっているんです。
あるいは海外の道路にある信号機。矢印入りの燈火は日本と異なり、道路形状をそのまま描いたものを採用している国もあります。これを日本人が見たら戸惑うだろうなぁ...
以上の点では、computer-human interfaceとしてのGUIは、先輩の弱点をそのまま受け継いでいるというのが正しい素性です。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
PDF (スコア:0, オフトピック)
紙に印刷する必要があったからかな?
テキストファイルの便利さ (スコア:1)
などの、抽象性の高い便利さは、すでにコンピュータの世界から切り捨てられ、初心者にしか便利に思えないようなユーザインターフェースなどにどんどん取って代わられつつあります。昔、DOS では毎日のようにワイルドカードとか標準入出力とかリダイレクトとかをユーザの立場で使ってたけど、そういう抽象性の高い (からこそ便利な) 機能は GUI では実現できないですから。
PDF も、それと同じ流れにあると見ていいでしょう。ただ、便利さをあまりにも性急に捨てすぎているので、現時点では大部分のユーザにとって使いにくいものであると思いますが。ただ、現在の大部分のパソコンユーザがワイルドカードを知らなくても不便だと感じないように、未来のパソコンユーザは PDF を何とも思わない人が大部分になるのかもしれません。
しかしそういう抽象性を切り捨てていくことでこそ、ユーザの底辺を広げ、市場を拡大できたのかもしれません。そういう意味で、Linux/BSD 用の「簡単な」デスクトップ環境が整備されつつある状況には、複雑な思いがします。
市場が拡大してなにがうれしい、って言われればそれまでですが。
Re:テキストファイルの便利さ (スコア:1)
せめて、今たまたまメジャーなGUI構成では実現できない、
というふうに言ってください。おねがいですから…。
GUIそのものが悪いわけじゃないんすよ。
もっと遥かに良いGUIを作ればいいのであって。
それが証拠に、そもそもこの世はまずGUIです。
#少なくとも目の見える人にとってはね。
#そうでなくても光が別の媒体に置きかわるだけで、同じようなものかと。
ほかに、絵文字とか、手話とか、色々素晴しいGUIの先輩が
この世にはいらっしゃるわけでして。
そして問題は、今主流のGUIが手話や絵文字的な要素を
「ほとんど全く」持ちあわせてない、という点なんじゃないかなと。
つまり先人から学んだ量が少なすぎる。
#俺も数分(笑)さわったことがあるだけですが、
#AppleのNewtonって凄かったそうですね。
あ。オフトピついでに言うならば、CUIだってまだまだです。
ピクトグラムは意味論を決めないと使えない (スコア:2, すばらしい洞察)
手話は私は知らんのですが、絵文字(ピクトグラム)に関しては、すべてのインスタンスがだれでも事前知識なしで正確に理解できるというのは俄には信じられません。「世界共通のやつがあるじゃないか」とおっしゃるかも知れませんが、実はこれは人間がISOでわざわざsemanticsを定義 [sphere.ne.jp]してやっと使いものになっているんです。
あるいは海外の道路にある信号機。矢印入りの燈火は日本と異なり、道路形状をそのまま描いたものを採用している国もあります。これを日本人が見たら戸惑うだろうなぁ...
以上の点では、computer-human interfaceとしてのGUIは、先輩の弱点をそのまま受け継いでいるというのが正しい素性です。
Re:ピクトグラムは意味論を決めないと使えない (スコア:1)
そうですね。ただ、知らなければ判らないという意味では、
文字も単語も全く同じですんで、まあ。
逆にいえば、漢字なんてアイコンとして凄く優秀(笑)。
>というのは俄には信じられません
>おっしゃるかも知れませんが
とりあえず「俺は今回は」そんなことは一言も言ってないので、
信じてほしいわけでもないです(^^;
まあ巷の人は時折言うようですが、さすがにそれが嘘だってのは俺でも判る。
>先輩の弱点をそのまま受け継いでいるというのが正しい素性です。
ふむ。ある意味で正しいと思います。
というのは、今主流のGUIは、「さわってみればそれが何であるか推測できる」
という性質が希薄で、動きも作用もない「絵」に近い、我々はそれを
「いじる」ことができず、ただ「解釈する」ことしかできない、という意味で。
せっかくの計算機なんだから、動きとかインタラクションとかを
もっと気の効いたものにすれば良いのに…と思います。
Re:オフトピックだろ (スコア:0)
Re:オフトピックだろ (スコア:0)
素晴らしい洞察:)
Re:テキストファイルの便利さ (スコア:0)
全部をGUIに持っていく必要も無いのでは。