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「単純にW3Cの勧告している文法に準拠にするだけ」なのなら、もったいないなぁ。コストは殆ど変わらないのに出来上がるものには違いがある。
文書内の「ある文字列/ある部品の役割とは何か」に注目しなければ、W3Cの勧告に準拠したところで「ただ見える」だけです。HTMLがもつ付加的な恩恵はハイパーリンク以外受けようがありません。「意味を伝える」という機能を無視しています。それと同時に様々な環境で内容が明確に伝わる可能性を狭めています。
HTMLとは文書の構造を、もっと端的に言って文書の「ある部品の意味を示すこと」に一つの大きな特徴があるのです。それが欠けていると、HTMLと
補足というか、頭に沸いてきたことをどこに返信したらよいかわからないのでここに書きます。
まず、我々の自然言語の文書を電子的に扱うことの弱点についてです。
電子的に文字を扱うことは、どうしてもレイアウト情報と文字を分離する形をとるか、文字情報とレイアウト情報を融合させて新しいフォーマットを用いるかを選択することとなります。前者を採ったのがプレーンテキストやHTMLで、後者を採ったのがPDFです。結果としてカジュアルに使われるようになったのはHTMLです。(後述)
我々の自然言語の文書は、少し色が使えなかったり、違うレイアウトで見えてしまったりするだけで、意図が通じなくなることがあるのです。例えば引用なんてのがそうなると思います。製作者はある文字列に特別な意味と区別を持たせたいのに、単なる文字列はその程度のことすら明確に伝えることはできません。
HTMLとPDFはそれぞれの特徴を生かしたアプローチでこれを解決しています。PDFはPostscript系のレイアウトを生成するための仕様ゆえに、あらゆる環境で同じレイアウトを再現しようとします。これによってDTP的に自然言語の文書とその意図を再現しています。
一方HTMLは、UserAgentで比較的容易に処理できるように決められたText形式のフォーマットで、処理を容易にするためにレンダリングなどをUserAgentに(悪く言えば)丸投げしています。そのため、予め意味を定めた記号を用いてレンダリング時(ユーザに伝える実装。音声などの場合もある)に参考になる意味を伝える方法で文書再現を支援しています。というより、文書再現を支援するための情報をUserAgentに伝えることこそがHTMLの目的なのだと思います。
ともかく、レンダリング情報をHTMLは保有しないわけですから、部品の意味を伝える以外に直接の再生支援をできませんし、それ以上のことは──画像レンダリングの高速化のためのサイズ指定などの良識ある便宜的な例外を除いて──してはならないと思います。
余談ですが、HTMLとPDFでなぜHTMLが多く使われるようなったかといえ、処理が容易で負荷が少ないからアプリケーションの製作が比較的容易で、実行環境でも割とストレスなく使用できるからでしょう。仮に負荷が変わらないのであれば、人間の感覚的に文書を再現しているPDFの方がユーザは好んで用いたかもしれません。
上記のようなことから、私はHTMLに求められているのは抽象性であると思っています。「HTMLは環境を限定しない。特定環境に合わせない。依存しない。」ということが求められていると思います。その性質上、特定環境に最適化すればHTMLとしては不十分になり、良くも悪くもどっちつかずがHTMLのスタンスであるべきだと思います。
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人生unstable -- あるハッカー
W3C準拠にする意味って何? (スコア:2, 興味深い)
何か、合理的な理由ってあるんでしょうか?
より多くの人に、より多くの環境で読めるようにでしょうか?
それなら、IE第一に考えるのが当然でしょうし、
古いブラウザのために、多少W3C標準から外れていた方が良い
ケースもあるのではないでしょうか。
HTMLが「美しい」こ
Re:W3C準拠にする意味って何? (スコア:3, 興味深い)
「単純にW3Cの勧告している文法に準拠にするだけ」なのなら、もったいないなぁ。コストは殆ど変わらないのに出来上がるものには違いがある。
文書内の「ある文字列/ある部品の役割とは何か」に注目しなければ、W3Cの勧告に準拠したところで「ただ見える」だけです。HTMLがもつ付加的な恩恵はハイパーリンク以外受けようがありません。「意味を伝える」という機能を無視しています。それと同時に様々な環境で内容が明確に伝わる可能性を狭めています。
HTMLとは文書の構造を、もっと端的に言って文書の「ある部品の意味を示すこと」に一つの大きな特徴があるのです。それが欠けていると、HTMLと
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
補足?その1 (スコア:2, 興味深い)
補足というか、頭に沸いてきたことをどこに返信したらよいかわからないのでここに書きます。
まず、我々の自然言語の文書を電子的に扱うことの弱点についてです。
電子的に文字を扱うことは、どうしてもレイアウト情報と文字を分離する形をとるか、文字情報とレイアウト情報を融合させて新しいフォーマットを用いるかを選択することとなります。前者を採ったのがプレーンテキストやHTMLで、後者を採ったのがPDFです。結果としてカジュアルに使われるようになったのはHTMLです。(後述)
我々の自然言語の文書は、少し色が使えなかったり、違うレイアウトで見えてしまったりするだけで、意図が通じなくなることがあるのです。例えば引用なんてのがそうなると思います。製作者はある文字列に特別な意味と区別を持たせたいのに、単なる文字列はその程度のことすら明確に伝えることはできません。
HTMLとPDFはそれぞれの特徴を生かしたアプローチでこれを解決しています。PDFはPostscript系のレイアウトを生成するための仕様ゆえに、あらゆる環境で同じレイアウトを再現しようとします。これによってDTP的に自然言語の文書とその意図を再現しています。
一方HTMLは、UserAgentで比較的容易に処理できるように決められたText形式のフォーマットで、処理を容易にするためにレンダリングなどをUserAgentに(悪く言えば)丸投げしています。そのため、予め意味を定めた記号を用いてレンダリング時(ユーザに伝える実装。音声などの場合もある)に参考になる意味を伝える方法で文書再現を支援しています。というより、文書再現を支援するための情報をUserAgentに伝えることこそがHTMLの目的なのだと思います。
ともかく、レンダリング情報をHTMLは保有しないわけですから、部品の意味を伝える以外に直接の再生支援をできませんし、それ以上のことは──画像レンダリングの高速化のためのサイズ指定などの良識ある便宜的な例外を除いて──してはならないと思います。
余談ですが、HTMLとPDFでなぜHTMLが多く使われるようなったかといえ、処理が容易で負荷が少ないからアプリケーションの製作が比較的容易で、実行環境でも割とストレスなく使用できるからでしょう。仮に負荷が変わらないのであれば、人間の感覚的に文書を再現しているPDFの方がユーザは好んで用いたかもしれません。
上記のようなことから、私はHTMLに求められているのは抽象性であると思っています。「HTMLは環境を限定しない。特定環境に合わせない。依存しない。」ということが求められていると思います。その性質上、特定環境に最適化すればHTMLとしては不十分になり、良くも悪くもどっちつかずがHTMLのスタンスであるべきだと思います。
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--