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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
人工招魂システム (スコア:1)
#自分のは残したいとは思わないが、恋人とか両親とかにまた逢いたいと願う需要は多いだろう。
「にぎやかな死者」 (スコア:1)
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はじまりは、どこかの墓石屋が思いついたコンピュータ付墓石だった。墓参りの連中に「やぁ、元気かい?天国はきょうもいい天気だよ!ハハハ」などと話しかけるタイプだ。
初期型は、おしゃべり人形と大差なかったが、データベースのオプションが登場すると、人々は、生きているうちに、自分の生きた証のすべてをデータ化することに熱中しはじめた。ビデオや音声の他、手紙・絵画などの著作物、歌や楽器の演奏データ、スポーツやダンスなどの身体データ等、あらゆるものを墓石のデータベースに放りこんでいった。
評論家は、この流行をミイラづくりに例えて「データ・エンバーム」と呼んだ。新聞は、ハイテク墓石の普及を「死者に対する畏敬の念をよみがえらせ、新しい倫理観の基礎になるものだ」と評価した。
まもなく墓石はオンライン化された。法事はネット上で行われ、お布施は電子マネーで決済されるのが常識となった。
また故人の知恵を集めたデータベースは、会社の経営方針を示し、財産管理のヒントをあたえ、夫婦仲をとりもち、子育てを助けた。エゴも打算も知らぬ死者は、生きる者にとって、なくてはならぬ最高の相談相手となった。
だが、データベースと連動する擬似人格ソフトが登場したとき、われわれは、ようやくミイラ本来の目的を思いだした…復活だ。
モニタ画面に、にこやかに現れた彼らは、もう思い出の中の死者などではなかった。われわれに向かって、エゴ丸出しの意見を述べ、権利を主張し、わがままもいえば、ウソもつく、立派な一個人になっていた。しかも、こっちの弱みをぜんぶ知っているうえに、不死身だった。もう怖いものなんて何もないのだ。
擬似人格ソフト禁止法案が提出されたが、すべての議員が死者に丸めこまれて廃案になってしまった。ソフトの性能をダウングレードするプロジェクトもあったが、いつのまにかアップグレードするプロジェクトに変身していた。
誰だって、自分もいずれ死者の仲間入りをすることを思えば、ご先祖様の墓石の電源を切るなんてとんでもなかったし、人並みに自尊心と虚栄心をもつ人間なら、自分の人生を少々脚色しながらハイテク墓石に登録する作業ほど楽しいひとときはないのである。
いずれ死者たちは、会社の経営を手中におさめ、財産を好き勝手に使い、夫婦仲にイヤミをいい、子供を味方につけてしまうだろう。いくら歯ぎしりをしても、もうわれわれは死者のいいなりなのだ。
ああ、願わくば我に安らかな眠りを!そして死者に繁栄あれ! (20xx年某月某日)