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言語は音楽を決定するのか?」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward
    日本語って英語などとちがって脚韻を踏みにくいとよく言います。
    (頭韻は楽に使えるが)
    西洋のようにロックだのラップだのリズム重視の歌モノが発生する
    土壌ではないのかもしれませんね。

    流行の日本語ラップでも韻を踏むた
    • > 日本語って英語などとちがって脚韻を踏みにくいとよく言います。

      日本語は脚韻を踏みやすいと思います。
      例を示します。
      この段落は、脚韻を踏んでいます。
      「ですます調」の文章は、ほぼ必ず脚韻です。
      あと、文節ごとに「ね」を挟むような文でつなげば簡単に脚韻を実現できます。
      でもそれは全然面白くないので、体言止なんかと併用した脚韻を使うわけです。

      > 西洋のようにロックだのラップだのリズム重視の歌モノが発生する
      > 土壌ではないのかもしれませんね。

      それはむしろ、脚韻が踏みにくいことよりも、音節が単純であることに原因があ
      • > 日本語は脚韻を踏みやすいと思います。

        何が日本語において「脚韻」であるかを定義しないとそもそも話が始まらないでしょう。

        英語における脚韻と同類のつもりであれば、あなたがあげている例はきちんとした脚韻(完全韻)とは言えない。英語の場合、違う子音で始まりつつ同じ母音を含む音節で終わる必要があるから、たとえば"... station. ... sensation. ... invitation."というような三つの文末の続きは厳密な脚韻ではない。それを日本語にも適用すれば「...です。...ます。...ます。」という続きも完全韻の脚韻とは見なせません。不完全韻でよい、という主張
        • > それを日本語にも適用すれば

          そもそも音節構造が違う英語と日本語の脚韻が同じものになるわけがない、という意見ならば、賛成できます。

          > わざわざ不完全韻しか示せない、というのも実に情ない話です。

          まあいいじゃないか。短時間で書いたからあの程度で。そのくらい許してくれ。
          しかし、日本語は動詞で終わる文が多く、しかも動詞の形はある程度決まっているわけで、やろうと思えば脚韻を踏むことは難しくない、と言うのは正しいでしょう。

          > 一方、日本語では脚韻という概念そのものが希薄なようです。

          動詞で終わる普通の文章で、(不完全ならが)脚韻にするのが難しくないからでしょう。簡単にできるものを技法とは呼びませんからね。
          親コメント

ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家

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