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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
自覚の差かな? (スコア:4, 興味深い)
ヒーローの場合は「普段もしても良い」という風になってしまうのかも知れない。
ゲームの中では、ヒーローも悪役も「相手をぶちのめす」ことしかしないからなぁ。
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「なんとかインチキできんのか?」
Re:自覚の差かな? (スコア:4, 興味深い)
ヒーローゲームで暴力性が増加する、なんて結論だとまたまたいっそうヒーロー番組への風当たりが強まりそうですね。どうする東映、なんと答える宮内洋?
Re:自覚の差かな? (スコア:0)
だからですか。今のヒーローは変に苦悩して見る側が全然すっきりしないのは。
Re:自覚の差かな? (スコア:0)
でも結局は怪人を必殺技でやっつけてしまう。そんな破壊のカタルシスがある以上本質的には変わらないと思うです。大人にすれば主人公の苦悩がストーリーを深めているように感じても子供にとってはスッキリしないだけで、だから結局は敵倒すんでしょ?さっさと派手にブチかましてくれよ!ってかんじになるのではないのかな?最近のライダーより戦隊の方が人気あるってのはまさにそこにあるんではないかと思うのです。
結局のところいかにアレンジを加えても勧善懲悪の基本フォーマットをこえきれな
Re:自覚の差かな? (スコア:1)
戦争ごっことテレビゲームの戦争モノとの決定的な違いは、「セーブしたところからやり直せるかどうか」だと思うのです。
将棋や
「なんとかインチキできんのか?」
Re:自覚の差かな? (スコア:1)
「や、やられたぁ~…」
「よし、次は…」
「と見せかけて!」
「うお!」
ってのがあるから、そんなに厳密に区別はできんですよ。
戦争ごっこよりむしろ殴り合いの喧嘩があったということの方が、健全な子供を育てる上で重要だったんじゃないかなあ。あとは膝小僧をすりむいたりする肉体的なダメージ。
テレビゲームでは肉体的な暴力まで発展しないじゃないですか。一つには、憎い相手を倒すには画面の中に集中するしかないから。もう一つには、子供がテレビゲームをする環境ってたいがいは屋内だから、親の一人もいるはずでつかみ合いになる前に止めに入る。
空き地や路地裏で親の目を盗んで遊んでいた子供たちには肉体的な痛みが常に伴っていましたよね。こけたり、ひっかけたり、殴り合ったり。そうすると傷つけられた相手の痛みが実感として想像できるようになって、それが一番の抑止効果になったんだと…思いますけど。
ちなみに私の場合は小学校3年生くらいで暴力をふるうことが心底厭になりました。ただどうしても力に頼らざるを得ないことも、その後2度ほどありました。その時はどうしようもなく厭な気分でしたね。
Re:自覚の差かな? (スコア:1)
>「や、やられたぁ~…」
>「よし、次は…」
>「と見せかけて!」
>「うお!」
それは、やられた=苦境に立たされた方にとっては、それなりの学習になると思うので一概に「違う」とは言い切れないかも。
例えばゲームだったら、その瞬間リセットしてやりなおせちゃうのでね。
>戦争ごっこよりむしろ殴り合いの喧嘩があったということの方が、健全な子供を育てる上で重要だったんじゃないかなあ。
「(幼稚園の時に)砂場で学んだ事だけで世の中渡っていける」
みたいなことを西原理恵子がマンガに描いてましたね。
確かに力一杯やった所で大怪我までで済む子供のウチに加減を覚えておくのは必要なのかも知れません。
ケガした時の事を親は心配してしまうけれど、
実際小学校の時、遊びの最中に三針縫うケガして帰ってきた人間としては「そりゃ心配するだろう」と思うけども。
それでも「死ななければ良し」くらいの開き直りを親はしないといけないのかも知れません。
#極論なのは重々承知。
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「なんとかインチキできんのか?」
Re:自覚の差かな? (スコア:0)
>>健全な子供を育てる上で重要だったんじゃないかなあ。
不意打ちと目つぶしが極めて効果的な攻撃法だというのは子供の頃に学びました。
>確かに力一杯やった所で大怪我までで済む子供のウチに加減を覚えておくのは
>必要なの
Re:自覚の差かな? (スコア:1)
> 例えばゲームだったら、その瞬間リセットしてやりなおせちゃうのでね。
ええ。でもそれは戦争ごっこでも一緒ですよ。
私の例えが悪かったかも知れませんが、私が言いたいのは、戦争ごっこでの「死亡」というのは当然バーチャルなもので、それはゲームの「死亡」と実は大差がないということです。
#卑怯なことが有効だった、と言いたいわけではないです。
#いえもちろん、いろいろソレで悟りましたけどね。(^^;
戦争ごっこによる「死亡」は基本的には紳士協定です。明らかに相手に「撃たれた」状況に陥ったら潔く死ぬというルールなわけですが、ルールに従いたくなければ、必ずしも従う必要はありません。
#たいてい口喧嘩に発展しますが(^^;
テレビゲームもそうで、リセットしてやり直すというのは本来のゲームの遊び方から若干逸脱しています。例えばカードゲームや囲碁にもリセットはあります(一般に「待ったを掛ける」と呼ばれます)。ゲームというのは、与えられたルールの中で楽しむのが本来ですから、リセットというのは要するにプレイヤーのワガママです。そしてそれは、「撃たれた筈なのに死にたくない」子供たちと同じ原理に基づいています。
一方、肉体へのダメージはバーチャルではありませんから、殴り合ったり引っ掻き合ったりした傷の痛みは現実として残り、取り返しがつきません。だからこそ学習効果が高いわけです。たぶん。
> それでも「死ななければ良し」くらいの開き直りを親はしないといけないのかも知れません。
私の意見もそれに近いです。加えて、「他人様に迷惑を掛けたら謝罪する」ことさえ教育できれば、まず親として合格だと思います。
Re:自覚の差かな? (スコア:1)
>
>ええ。でもそれは戦争ごっこでも一緒ですよ。
AとかBとか言うの面倒なんで、
私gendohkiとN'gattさんが戦争ごっこやったとします。
で、
というシチュエーションになったとします。
この時、N'gattさんの中で「このやろう、卑怯だ」ってのが出ると思うんですが、
そうっなったN'gattさんはこの状況をリセットする手段は特に無いと思うんですね。
もちろん同じ手を使ってgendohkiを撃つと言う手はありますが、まぁ何度か繰り返したら喧嘩になるでしょう(笑)。
さて。
その結果(喧嘩に発展)について、gendohkiとN'gattさんはリセットできるか?っていうと、出来ないワケです。
それで「じゃぁ、どうしましょう?」となって、例えば謝るとか、とことん殴り合うとか色々出てくると。
私はごっこ遊びはそこまでがセットだと思うわけです。
これがCPU相手だと、リセットした所で文句言われるでもなく、
CPUの卑怯な手(シナリオ)を喰らったところでリセットしてやり直しがあっさり出来てしまう。
強いて言えば、時間が無駄になったくらいで。それはあんまりダメージになりにくい。
イコール、ある意味学ばないで済むものが出来てしまうと。
なので、
>リセットというのは要するにプレイヤーのワガママです。
ワガママやらかした時に、喧嘩になるかならないか、
またそのことで社交性を養う可能性があるか無いか?
と、そんな違いがあるんじゃないかと思うのです。
といった感じなんですが、どうでしょう?
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「なんとかインチキできんのか?」
Re:自覚の差かな? (スコア:1)
はいはい、ばっちり分かりました。同意します。
(#675951)の
> いわゆるネトゲーはそういうことが出来ないから、子供にやらせるんだったらネトゲーなのかも知れない。
これは、
ネットゲームだと相手はCPUではないから、まだ多少は社会性(というか相手の融通を聞かなければならない、という常識)が身に付く、という話ですね。
ただやっぱりネットって相手が目に見えないし、ルール違反も「記憶にしか残らない」ですから、できれば友達の家で角突き合わせて格闘ゲームだかシューティングだかで対戦するのがベターなんですけどね。
#何しろ友達とは明日も明後日も顔をつきあわせるわけで、
#拗らせたままにできないですから。
##ID/ACの話にも通じますねえ。
Re:自覚の差かな? (スコア:1)
上の例でN'gattさんが素直に死んだ場合、
他の人が一連の流れを見てて、「gendohki誘うの?あいつ卑怯だよ」みたいな話が出てきてもおかしくない。
gendohkiとしては次回から遊びに誘ってくれなくなるピンチに見舞われる。
その時に、gendohkiはそうなった現状をリセットしてやり直しってやっぱり出来ないですよね。
次のチャンスが与えられた時にその手を使わないとかして、印象アップを図るか、
その前に何かしらの行動で許しを乞う必要がある。
#まぁ、指摘されなければまたやると思うけど(苦笑)。
CPU相手ってやっぱりそういう意味で気楽だと思います。
そんで、そのCPU相手のノリで人間を相手しようとしちゃう人が時折いらっしゃって困るなぁと。
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「なんとかインチキできんのか?」