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聖典の日」記事へのコメント

  • たぶん同じの読んだ事あるけど「イエスさん大暴れ」って感じですねぃ。
    # 宴に呼ばれて「もまいらパリサイ人は形式ばかりだ」とか言ってみたり。
    • >イエスさん大暴れ

      私が読んだのは旧訳聖書の方(イエスが生まれる前の話)ですた(^^;
      一言でいうと、「正しい人にも苦難は来て、そんなときでも神様を
      "正しく"畏れ敬わないといけないよ」という感じですかねぃ☆

      旧訳
      • by Ragamuffin (14676) on 2005年01月12日 22時25分 (#678120)
        旧約聖書へ問言通りに従うのならば、
        むしろ知識で「神へ近づいている」かもしれません。
        神が人を遠ざけたと言えるかもしれません。
        私はそれを原罪であるなどとは思っていません。
        Then the LORD God said,
        "Behold, the man has become like one of Us, to know good and evil.
        And now, lest he put out his hand and take also of the tree of life, and eat, and live forever"
        therefore the LORD God sent him out of the garden of Eden
        to till the ground from which he was taken.
        So He drove out the man; and He placed cherubim at the east of the garden of Eden,
        and a flaming sword which turned every way, to guard the way to the tree of life.

        Genesis 3.22-24
        英文聖書しか手元にないのですが、有名な一節なので充分判りますよね。
        なぜ全能の神が、死、病、苦痛、苦難なども在る世界を創ったのでしょう。
        なぜ世界や人間を最初から完全な存在として創れなかったのでしょう。
        なぜ人間を生命の木から遠ざけたのでしょう。
        私は以下のように思ったりもします。
        「神が人を創ったのではなく、人が神を創ったから。」

        ついでに typo 指摘しておくと、
        神との契約だから「旧約」であって、「旧訳」ではありません。
        親コメント

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