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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
おいらもホテルで (スコア:1)
# 宴に呼ばれて「もまいらパリサイ人は形式ばかりだ」とか言ってみたり。
Re:おいらもホテルで (スコア:1)
私が読んだのは旧訳聖書の方(イエスが生まれる前の話)ですた(^^;
一言でいうと、「正しい人にも苦難は来て、そんなときでも神様を
"正しく"畏れ敬わないといけないよ」という感じですかねぃ☆
旧訳
Re:おいらもホテルで (スコア:1)
あ、ちがいましたか。
>昔の神様は元気というか感情豊かというか...
んー。私ゃ「今より人間が傲慢だった」からなんじゃないかと思うナ。
もっとも、傲慢だったからこそ宗教として力を持てたわけなんだけど。
例えば人格神を認めな
今より傲慢だったから? (スコア:1)
私には傲慢さかどうかを時系列で評価することができないのですが
(時系列上にあるという点からも、他人を評価する能力に欠けるという点からも)
神様も人も、宗教自体にも力があったということですか。。
宗教が必要かどうか、とか、宗教の意味について、とかを考えるとき、
私はいつも、宗教と信仰の関係/違い/etc・・・につ
Re:今より傲慢だったから? (スコア:1)
昔は人が無力で、それゆえに/その分神様と宗教に力があったという意味です。
それとは別に、人が無知ゆえに人自身を絶対的な存在と捉えていた(ここが傲慢)から神様が人格を持ったんでしょう。
あるいは逆に、当時の人々には人格神をもつ宗教でないと理解できなかったり、ちっとも魅力的でなかったりしたので人格伸を持つ宗教が残ったのかも知れません。
>宗教と信仰の関係/違い
信仰は個々人の世界解釈の一種で、宗教は特定の信仰のミームが流布している集団だと考えています。
例えば預言者の信仰のミームが宗教とい
原罪 (スコア:1)
私が聞きかじったキリスト教の知識だと、
人間の原罪は心が神様の方を向いていないことだそうで、
その説明だと蛇の誘いに乗ったことも、神様を畏れない態度も
神の子を死なせたことも、納得がいく気がします。
仏教だと「人には迷いとか煩悩が
Re:原罪 (スコア:1)
当然といえば当然です。
今の日本の仏教はわけわからないことになっていますが、
「絶対的なものなぞ存在しない」の一言に尽きますから。
そして仏教では煩悩も否定してはいません。
他の生命を奪わなければ餓死して個体存続ができなくなりますし、
性を否定してしまえば種の存続ができなくなります。
だからそれらは全然悪いものではないと考えます。
ただ、仏教が否定しているのは「煩悩にとらわれること」です。
たとえば座禅で空腹や眠気を感じても構わないけれど
それに心をとらわれるな、って感じです。
また、性善説的であることもキリスト教と大きく異なります。
仏教の視点から見ると原罪なんてものはないのです。
キリスト教の原罪については
傲慢で妬む神への抵抗を抹殺する考えだと思います。
それが罪だとは私には思えないのです。
「心の目が開かれた」のを神が妬んだことに抵抗してどこが悪い、と。
ええ、異端だってことは判っています。
政治の道具として使う時に便利な考え方だったのですね。
「宗教なんて政治の道具に使われるのでろくなものでない」
という主旨のことを言ったのは、他ならぬナザレのヨシュアなのですが。