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「電車男」映画化決定」記事へのコメント

  • いゆわる「電車男」事件の主人公は決して"電車男"自身ではなかったと思う。
    これほどまでの共感を得られたのは、観測者が"電車男"や"エルメス"の視点ではなく
    彼らに共感し応援した身も知らずの匿名の毒男板の住人であったからだ。

    もし今までの感動を映画化したいのならば、現実には知り合え得ない年齢も立場も違う2ちゃんねる住人同士が
    インターネットの匿名掲示板を通じて共感し、あるいは反発して実現させた"交差点の奇跡"を描くのが近い。
    • by Anonymous Coward
      電車男の一連の出来事を見て、真の主人公は毒男板住人であると
      気が付ける人は、無意識に自分を毒男の側に分類できる人だけでしょう。
      フツーに恋愛できる人は、何の疑問もなく、当然のように
      恋愛する役回りの側に自分を投影するから。
      そして世
      • そしてそのように「恋愛する側」の視点を当然と考える人々は、
        「電車男」のどこがそれほどまでに特別であったのか理解することなく、
        とりあえず「流行ってるっぽいから『ヨカッタ』って言っとこう」と、
        上っ面だけ感
        • by Anonymous Coward on 2005年03月07日 18時55分 (#705240)
          >「電車男」のどこがそれほどまでに特別であったのか理解することなく、

          これは確かにあるかもしれません。しかし、

          >上っ面だけ感動したフリをしておくのでしょう。

          これは違うかもしれません。むしろ素直に感動するのではないでしょうか。
          たとえばあるオタクっぽい毒男が、ゲーム等による度重なる刷り込みによって「めがねにショートカット」の女性を
          見た瞬間に萌えてしまう、などというケースと同様に、
          恋愛スキルのある人達は「純真な二人による純愛物語」を見た瞬間に感動してしまうでしょう。
          それは半ば条件反射的な行動ではありますが、多分ウソの感動でも偽物の感動でもないです。本当に心から感動しているのです。 ただ、入力と出力の間に、自分の視点に対する疑問点を差し挟む余地も、必要性も感じないのです。
          断絶の根は常に知覚の外にあります。だからこそ溝は埋まらないのです。
          親コメント

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