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ネット人格もってます?」記事へのコメント

  • ネット人格を使い分ける、という人は、
    幾つくらいの「人格」を持っているのでしょう?

    携帯電話のメール機能とか、書き込みとかで、
    言葉遣いを変えると、それ専用の、「バーチャルな自分」が
    実行されているような、そういう気分になりますが、
    そういう時には、ふと、
    「本当の自分は、どれだろう?」
    とか、感じることがあって、
    なんか、自分を見失ってくような気分になることがあるのですが。

    • 人格って社会的なものだから(対人関係なしに人格は意味を持たないと思われ)、
      行動の場である社会が変われば人格も変わって当然でしょう。
      ネット上でも実社会と同一人格の人は、セルフイメージを強く持っている人だと
      思います。
      性格が変わる人が、変かどうかじゃなくて。

      自分にとっての「社会」が存在しない場所に行けば、表層の人格に邪魔されず
      自分の内面と話が出来ます。

      旅をしましょう。
      親コメント
    • by Nowake (5100) on 2002年03月26日 23時47分 (#75515)
      いや,富士山なんかと一緒で,見方によってさまざまな
      「自分」があるもんなんだけど.

      表富士,裏富士,富嶽三十六景……でも,全部富士山でしょ?

      #「自分について考えているという状態,それこそが『自分』
      # というものが存在する証なのだ」
      #ってデカルトは言うけど,結局「観察される自分」というのは
      #『実際の自分』とはちょっと違うんですよね.
      #まあ,社会から見た場合,それこそが「自分」なんですけど

      富士山と一緒で,直接『自分』そのものを知ることができないから
      観察される「自分」をより集めて,間接的に『自分』を類推する
      しかないんですよねぇ……
      おっと,駄文失礼……
      親コメント
    • 観測点によって「自分」の見え方は異なるわけで、
      本当の自分なんてものは最初から存在しないのです。
      • 確かに自分の見え方は異なっていて、自分の努力次第ではわざと異なる要に見せることもできますが、ワタシは「ホントの自分は初めから存在している」と思います。

        自分がいなくても全ては進みますが、ソレを認識しているのは自分じゃないかな?と。
        親コメント
        • たぶんホントの自分はいるでしょう。確かに 我思うゆえに我あり でしょうから。

          で、その自分とは何かとなると、色々な場面での色々な反応や行動の 集合体 ではないかと。
          その反応や行動の種類が多いほど環境適応能力が高く、環境にも優しいのでは?(^_^)

          つまり色々な顔("マスク"や"仮面"って言葉でもいいか)を持っているのは悪い事じゃなくて、良いことだと思えるのです。

          包丁もって料理している時は自分と他人を傷つけない様に慎重な面が出ていい。
          わいわい飲んでいるときは大胆な面が出た方がみんなを楽しませやすい。
          気弱な人とコミニケーションするときは気を使って出来るだけ相手に話させる様にしてみる。

          俳優とかカウンセラーなんかはこんな風に自分の顔を切り替える事が仕事ですね。
          (もちろん他人の利益ではなく自分の利益を追求するのもよし、ヒドすぎないならね)

          そんな色々な顔の全てをひっくるめて 本当の自分 だろうと思います。

          多重人格とかアイデンティティなんて言葉が独り歩きしてるので、
          個人に色々な顔があることが悪いようなニュアンスで語られやすい。
          だけど、ある顔から他の顔への切り替えが意識してコントロールが効くのであれば、それは異常ではない。
          顔の種類が増えていくのは生きていく力がちゃんと成長していることだと思います。
          意識でまったくコントロールできないで環境に過剰に適応した顔が出てくる状態に陥るとマズイですが。

          なんか、今回の読売の記事はそのへんで結論を何とか悪く持っていこうと、がんばって引用を利用した感じがしてます。

          #なんか解りづらかったらごめんなさい。まだまだこのテーマは考え続けている最中で旨くまとめられない...。_(-_-)_
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          • 「まだまだこのテーマは考え続けている最中で」という,そんなあなたのための参考文献など。

            環境と人格は別。パトリシア・ウォレスの『インターネットの心理学 [bk1.co.jp]』によれば,ネットでの態度の変化は人格より環境要因によるところが多いという。特に大きいのが,匿名性と攻撃性の相関で,これは國領二郎の研究(pdf) [u-tokyo.ac.jp]でも,同様の結果が得られている。つまり,「2ちゃんねる」に書き込む人が攻撃的なのではなく,「2ちゃんねる」で書き込むと攻撃的になりやすい。というだけ話し。

            それから,文章と人格も別物。どちらかといえば,こちらのほうがクセモノである。私は文章をそのネタにあわせて変えるから,多重人格といわれても困る。文章と人格を同一視する態度や意見というものは,私を含めて,つい行ってしまうものだ。これは文章読本さんの呪いかもしれないので,斎藤美奈子が8年かけて [bk1.co.jp]書いた,『文章読本さん江 [bk1.co.jp]』を読んで,のろいを解いておくのが吉。

            ロールプレイングゲームのように,キャラクターを立てるのも悪くない。おそらく,かなりのマニアでもなければ複数のキャラは立てられないだろう。それなら,そのキャラは人格を代表するものと言っても良い。たいていは,かっこいいキャラにしようと努力するわけで,成功したら自分の人格として回収(統合)することも問題なく行えるだろう。うまくいかなければ,やり直せばいい。

            ともかく,うろたえて「自分探し」を始めるのが,いちばん良くないと思う。私は。(田口ランディ風)
            --
            斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
            親コメント
    • どちらの自分も本当の自分でしょ。
      どちらかが本当で、どちらかがウソであると主張するならば、ただそれは自分で自分を否定しているだけ。結局は自分で生み出したもの。認めたくないと思っているだけ。自分の気に入らない・違うと思うところを否定したいだけ。

目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond

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