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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
誤解じゃなくて (スコア:0)
Re:誤解じゃなくて --ちょっと微妙です-- 長いですが (スコア:5, 参考になる)
ただし、田島先生は「中性子散乱」という原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず、「核エネルギー開発研究は軍の最高機密事項で、仁科先生もこのことに関しては必要な人にだけ必要な事項を述べるだけで」「私たちも気を廻して」(必要なこと以外は)「触れないようにしていた」とのことで、「日本の核エネルギー開発研究の全容を的確に知ることは今
Re:誤解じゃなくて --ちょっと微妙です-- 長いですが (スコア:2, 参考になる)
ええと、「中性子散乱」を使った研究をしている者ですが
> 原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず
中性子散乱=原爆と言われますと、ちとアレです
うちの方では中性子散乱と言えば物質の構造の研究に使っています
> 仁科研で原子核を研究していたグループはサイクロトロンを用いて基礎データを測定することを担当した
原爆を作りたくてサイクロトロンを作ったんでしょうかね。サイクロトロンで研究をやりたくて、その為には軍を喜ばせてやることが必要な時代だったんじゃないですかね。
とは言え中性子科学が原爆と無関係ではないとはおっしゃる通りでしょう。ついでに言えばここ数日、中性子の古い論文を遡っていたら、1940年代のエンリコ・フェルミやエドワード・テラーの論文に到達しましたが、それらはきっと原爆の為の基礎データを取った残りの成果だったんでしょうな……。
Re:誤解じゃなくて --ちょっと微妙です-- 長いですが (スコア:1)
>> 原爆に関係する研究をしていたにもかかわらず
>中性子散乱=原爆と言われますと、ちとアレです
>うちの方では中性子散乱と言えば物質の構造の研究に使っています
すみません。原爆のことを話題にしていたので
中性子散乱=原爆
と受け取れる表現をしてしまいました。
私が学部の頃に、田島先生の弟子にあたる人たちが、コックロフト(もう知る人はいないでしょうね)使って発生した中性子を他の物質に当てて、中性子断面積を測る実験をしていたこともあり、そのへんは(専門は違いますが)よく聞いていたのですが。
>原爆を作りたくてサイクロトロンを作ったんでしょうかね。サイクロトロンで研究をやりたくて、その為には軍を喜ばせてやることが必要な時代だったんじゃないですかね。
理研のサイクロトロンは一号機(小サイクロトロン)と二号機(大サイクロトロン)がありますが、小サイクロトロンの建設の頃は核分裂は発見されていなかったので、当然、小サイクロトロンと原爆は関係ないでしょう。
彼らのモチベーションは、現在の研究者と変わらないと思います。
==========
以下蛇足ですが、
主に田島の本から(田島先生の業績を、特に戦後のそれを、もっと知って欲しいとの思いもあり)まとめると
(1) 1934年 フェルミにより、「種々の元素に中性子を照射することにより新しい新しい放射性元素が造られることを発見」
さらに「ウランに中性子を照射すると」「原子番号93の新元素がつくられることを予測したが」「確認できなかった」
(2) 1936年理研(小)サイクロトロン建設(湯浅光朝「科学文化史年表」による。田島先生はまだ学生で本に記述無し)
(3) 仁科・木村のグループはサイクロトロンを使ってフェルミの予測の確認する実験をおこなうが、非常に多くのβ崩壊が観測され、どんどん原子番号の大きな元素が生まれるという矛盾に悩む。
(4) 1938年の暮 ドイツのO.ハーンとF.ストラスマンが核分裂を発見、翌年学会誌で発表(これにより、(3)の矛盾は解決、実は彼らは核分裂を観測していた)
(5) 田島によれば、仁科は小サイクロトロンの完成の近づく頃から
、より大きなサイクロトロンの建設構想を抱いていた。
ですから、彼らが原爆の生産を目指していたわけではないのは明らか(核分裂の存在を知らずに、建設計画を推進していた)ですが、また当時の研究の興味の中心が(原爆とは直接結びつかないにせよ)核分裂に向いて行くのも、当然の流れでしょう。
また大サイクロトロンの建設の予算要求では当然原爆(というか核開発)の可能性にふれていると思います(政府・軍部との折衝は仁科が一人で行ったようで、ごく一部のものしか知らない)
田島は、1940年頃は「陸軍でも海軍でも核エネルギーに注目し、それぞれ別々に小グループをつくって秘かに検討していたが、ようやく指導的立場にある科学者に接触し始めた頃である。」としている。
また、1944年の戦時研究動員会議に提出された書類で、「(1)重量210トンの電磁石を有するサイクロトロンを用いて、強力な放射性元素を生産すること」と(2)その応用研究をすること、と書かれているのを1982年になって初めて見たと書いている。