デジタルアートやメディアアートの類が技術デモのようで心に訴えかけるものがない、という批判に対しては、現状そういうものが多いという意味では真摯に受け止めますが、中には新技術を使った新しい境地に触れて感動する人も多い訳で、そういう人を対象にした芸術だとでも思っていただければそれでいいと思っています。言ってみれば小説全体における SF 小説の位置づけと似たようなもので、美しいとか人間の本質に迫っているとかだけでなく、脳内の未開拓領域に鍬が入る感覚を好む人もいるのです。また、昨今のメディアアート・デジタルアートは、何らかの新技術を、人々の心に届く形でプレゼンテーションすることを目的としたもの多々あり、企業の依頼でそうしたものを作るケースもあります(賛否両論ありますが)。
デジタルアート? (スコア:0, すばらしい洞察)
>などいろいろなデジタル技術による作品が展示される。
箱モノを借りて展示する必要が無いコンテンツばかりですな。
わざわざ会場まで足を運ばせて、Webを見せるのは本末転倒では?
#インパクのトラウマなんだろうか。
Re:デジタルアート? (スコア:1, すばらしい洞察)
>>などいろいろなデジタル技術による作品が展示される。
>箱モノを借りて展示する必要が無いコンテンツばかりですな。
↑Web作品を除けば、箱モノ借りなきゃ無料で一般公開できるものではないものばかりだと思いますが。そして、Web作品はごく一部。
というか、これはNHKのデジスタという番組で毎週選ばれた「芸術」作品を一堂に会させて発表する場(それにライブなどをくっつけている)。その作品は、手で押したり触ったりする物理的に存在する作品も多いので、箱モノ借りなきゃ現実問
Re:デジタルアート? (スコア:0)
テクノロジーの展示や機能紹介DEMOのようなものが多かったり好まれたりする現状には納得できません
作品をパッと見て「あの技術を見せたかったんだな」と思わせるようだとくだらないですよね
芸術ならば心に訴えかける何かが欲しいですね
# 最近は 美術・芸術の大学や専門学校も増えてますし
# 芸術なんてものは学校で教わるような分野じゃないと思うんですけど
# おかげで、なんちゃって芸術家が満ちあふれるような・・・。
Re:デジタルアート? (スコア:1)
確かに感性は人に教えてもらうものではない場合もあるでしょうが、こと芸術について言えば、感性だけでは成立しません。心の中の完成予想図を実物体として表現するための、技術なり技法なり、時には集金力や舌先三寸の交渉力まで動員しての行動が伴います。どんなに優れた感性を持っていようとも、それを現実のものとする腕力がなければ何の意味もない。芸術学校や私塾の類は、そうした表現能力を育てるための場であるというのが第一なのです。
才能ある人ならそういう教育の場は必要としないかもしれませんが、そういうのは数も限られており、数を増し層を厚くするためには、残りの人々は専門教育の場でもって量産する必要があるのです。また、規模の大きい作品となると人手も必要となりますから、人材育成は非常に重要な課題です。どんな分野でも、人材の分布はピラミッド型の構造になるでしょう? 芸術だって同じです。頂点だけ見て判断しては駄目です。
実際問題としては、現在の芸術家のデビュー経路は非常に限定されており、大学や専門学校に身を置いていることそれ自体が有利に働く、という話もあります。あと、ぶっちゃけ、講師のポストを確保することで、芸術家への安定収入をもたらすという機能もあったりする。
デジタルアートやメディアアートの類が技術デモのようで心に訴えかけるものがない、という批判に対しては、現状そういうものが多いという意味では真摯に受け止めますが、中には新技術を使った新しい境地に触れて感動する人も多い訳で、そういう人を対象にした芸術だとでも思っていただければそれでいいと思っています。言ってみれば小説全体における SF 小説の位置づけと似たようなもので、美しいとか人間の本質に迫っているとかだけでなく、脳内の未開拓領域に鍬が入る感覚を好む人もいるのです。また、昨今のメディアアート・デジタルアートは、何らかの新技術を、人々の心に届く形でプレゼンテーションすることを目的としたもの多々あり、企業の依頼でそうしたものを作るケースもあります(賛否両論ありますが)。
Re:デジタルアート? (スコア:0)
まあぶっちゃけると今の日本における芸術の世界で
のし上がる一番の武器は「金」で、次が人脈・派閥です
↑
大昔ですが、こんなのが嫌で芸術関係の学校をやめました
うちの母も水彩画と水墨画の教室を開いていますが
生徒さんが展覧会に出展するときに賞を受ける為にはいくらかお金を払うそうで
日本の芸術の世界はヤクザ社会と同じですわ