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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
元記事どこ? (スコア:1, 興味深い)
> GPL が時代のニーズにマッチしてはいないことの証ともいえるだろう
作者や利用者が考える「望ましいライセンス」の数だけ
ライセンスが乱立するのは当然の事であって、
乱立せずに特定のライセンスへ収束する事態は考え難い。
なんつーか、これを書いた人は、よく考えもせずに
「あるべきGPLはあらゆる立場の人間の利害を一致させられる」
と思いこんでいる、歪んだGPL至上主義者なのではないかと思うが、
(「GPL支持者が歪んでいる」と言う意味では無いです。)
> とする、インプレスの記事に同意する。
「インプレスの記事」からはこの様な表現は見つけられなかった。
誰かから指摘されて引っ込めたのだろうか?
インプレスは(誤字修正以外で)書き換えた時には、
その旨を明示する習慣があったと思うので、ちょっと違和感がある。
Re:元記事どこ? (スコア:1, 参考になる)
混乱を招きそうな用語の使い方をした記事とか、
オープンソースのすそ野が広がるにつれ、当初のStallmann氏の哲学は以前ほどの強力な力を持たなくなっている。まる1年を費やして改定されるGPLが、開発者にとって魅力あるライセンスとなるかどうかが注目される。 [impress.co.jp]とかの、
一定のバイアスを掛けたさそうな意図の見える記事とかならありますが。
確かにGNUはソフトウェア共産主義としては最左翼に位置するライセンスでしょうし、それを毛嫌いするソフトウェア資本主義=プロプライエタリストも一部には出るのでしょう。
如何なる素晴らしいGPL/GFDLのソフトウェアやドキュメントも、金や権利をいくら積んだとしても、一部の者が独占しようとする事は不可能ですから。
Re:元記事どこ? (スコア:3, 興味深い)
俺に言わせれば、コピーレフトは無政府主義だ。アナーキズムなんだな。
前提として、より多くのソフトウェアが自由であれば、より多くの人に恩恵があると考えるわけだな。だからこそ、ソフトウェアは「自由でなくてはならない」となるわけだ。
GPLはいわゆる汚染を目的にしているわけじゃない。GPLがライセンス条件の変更を強力に禁じるのは、いったん自由になったソフトウェアは永遠に自由であるべきだと考えたからだ。自由なソフトウェアは誰の所有物でもないのだから。
多くの人は全てのソフトウェアが自由な世界を想像することができない。で、「うちの売ってる○○ソフトウェアが自由じゃ困るじゃん」とかって矮小なところに落ち着いてしまう。
でも、もし、全てのソフトウェアが、あなたのところで売ってるソフトウェア製品も競合他社の製品も、あるいは小さなデバイスドライバから大きな業務システムまで全て自由であったなら、それは幸せなことではないか?