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この件については、リスク評価の第一人者である中西準子は 「米国輸入牛肉のリスク:プリオン専門調査会は解散した方がいい」 [nifty.com]でこう述べています:
では、リスクはどのくらいか? それを簡単に実感できる事実がある。30ヶ月齢以下については、日本への輸入肉のような危険部位除去を行わず、また20ヶ月齢以下という条件のない牛肉を食べている米国の状況を見ることである。 米国からの輸入牛肉で、日本に100年
では、リスクはどのくらいか? それを簡単に実感できる事実がある。30ヶ月齢以下については、日本への輸入肉のような危険部位除去を行わず、また20ヶ月齢以下という条件のない牛肉を食べている米国の状況を見ることである。
米国からの輸入牛肉で、日本に100年
お疲れ様です。こういう場に中西準子氏を持ち込む人は、いつも決定打のつもりで出すんですが、なぜかいつも全然支持されませんねえ。スラドでも2chでも。
いや、なぜかじゃありませんね。環境リスク学の予備知識のない人が、彼女の意見を目にしてまず感じるのは、違和感だと思います。素直な現状認識に反する内容が多すぎるんでしょう。リフレ派の現状とダブって見えて、物悲しいです。
中西準子氏の紹介文としては、YNU(横浜国立大学広報)第2号インタビュー(2000.10.18) [nifty.com]が一番いいと思います。これを読むだけで、これは大した人だなあと私は思いました。
余談
環境リスク学の予備知識のない人が、彼女の意見を目にして まず感じるのは、違和感だと思います。素直な現状認識に 反する内容が多すぎるんでしょう。
元コメントのAC [srad.jp]です。どうも書き方がまずかったので、少し長く補足させてください。
スラドの議論の特徴は、基本的にコメント本文が勝負で、本文に興味がなければ、誰もリンク先は読まないということです。ところが環境リスク学は、一つのコメント欄だけで語れるほど分かりやすい学問ではない。勢い、コメントは断片的な内容になってしまい、それに対する反応は批判ばかりということになりがちなのです。
しかし、それだと今までここに書いたことは自己満足で終わってしまう。何とか「環境リスク学」とは何か、その概要だけでも語ってみようと思います。
まず、vnさんの868172 [srad.jp]における批判は見事に正しくて、中西氏の見積もりはこ
そして、ここがもっとも重要な点ですが、例えば、BSE対策に慎重になって多くの予算を注ぐことは誤りだと、環境リスク学は考えるのです。なぜなら、その予算を出すためには、BSE以外の他の予算を削らなければならない。そうなれば、他の予算で救われたはずの人命が失われてしまうからです。
まったく同意見です。そして、米国産牛肉を輸入禁止することの コストは何か、ということについて、たぶん何層かに分けて 考察しなければならないと思います。 ひとつは、禁輸します、と宣言することの直接的な行政コスト。 これは実質的にゼロです。むしろ輸入す
興味深いご意見をいただきましたので、また少し長くコメントさせてください。
vnさんの1.と2.については、私はだいぶ違う見方をします。経済学を使って、社会のさまざまな現象を抽象化して、一気に結論に到達するからです。
まず、貿易というものは、できる限り自由化することによって、貿易当事者国双方の福利が最大化されることが、経済学によってすでに結論されています。それは食料についてもです(意外なことに、一般に信じられている、食糧自給率を保つべきという、マルサスの食糧安全保障論は誤りです)。
よって、(もし安全であったなら)米
では、私も箇条書きで返答しましょう。
政府が生産者ばかりの利益を代表しているのは、まさにそのとおりです。日米両政府の農産物貿易交渉は、どちらもタフな交渉を行いますが、実は両当事者国の福利を最大化しておらず、むしろ損失を与えています。
このようなことになってしまう理由は
経済学的には、もたらした被害と同額の損害が返ってくることが、加害者と被害者の双方にとって最善の選択なのですが(外部不経済の内部化)。
情報の非対称性
遅くなりました。なかなか面白い点を突いてきますね。これは経済学の根幹ではなく、補正項の一つになってしまうのですが「情報の非対称性」という問題です。私はあまり良く知らないのですが、聞きかじりで説明を試みてみます。
アカロフの「レモン市場」
この問題を取り扱ったのが、経済学者アカロフの「レモン市場」という概念です。
アカロフはアメリカの中古車市場にこのモデルを当てはめて、現実をよく説明できることを示し、その業績でノーベル賞を取りました。放任された市場が失敗する理由を一つ新しく見つけたわけですね。
なお、消費者による購入のボイコットは、この市場の縮小のプロセスにあたります。消費者にとっては合理的な行動ですが、最終的には消費者自身にも損失になっているのです。
対策
レモン市場になってしまっては売り手も困りますから、これを防ぐために、売り手も国も、そして消費者もさまざまな努力をするわけです。例えば、
ブランド化
特定の生産者が、低品質の業界水準を抜きん出ることによって、消費者の信頼を得ようとするものです。各企業の自助努力に委ねるので、経済効率が一番良いです。しかしこれは長期的には形骸化します。具体的には、ブランドにあぐらをかいた低品質の製品や、逆にコストを度外視した高品質の製品を出したりして、消費者のブランド離れを招きます(例:偽ブランドや100円ショップの流行)。
公的機関による規制
国が業界の品質を検査、規制するものです。品質保証の内容はきわめて安定しており、市場の影響を受けません。しかしこれは、検査が高コストとなり、また検査内容が形式化、形骸化して行きます。また利権にたかる不正利得者が発生します(例:車検制度、公教育(中でも英語))。
業界団体による規制
上二つの中間的なものです。国の代わりに民間の団体が、品質を検査、規制するものです。国の検査に比べてコストが安く、また検査内容が実質的になります。しかし逆に検査内容が業界の圧力でゆがめられやすくなります。検査者も市場のプレイヤーの一人だからです(例:耐震強度の偽装問題)。
消費者が専門知識をつける
最近流行している「賢い消費者」「自己防衛」と呼ばれるものがこれです。情報の非対称性自体が消滅するので、根本的な解決になります。しかしこれには限界があります。少し専門的な製品になれば、必要な知識を学ぶのに必要な時間が、あっという間に跳ね上がります。この「学ぶ時間」は実は大きなコストです。なぜなら、その時間に働けば得られた利得を失ってしまうからです(機会費用)。「餅は餅屋」ということで、分業に特化した方が双方に利益があるのです。
万能の対策はない
どの対策も、一長一短です。どれか一つだけを実行すれば良いというものはありません。一番厳しいのは公的機関による規制、一番ゆるいのはブランド化ですから、その中間のどこかに存在する、最適な点を探すことになります。具体的には、国が業界の状態や消費者の知識を見極めて、どこまで規制するかのさじ加減をします。
そのときの指標は、前回のレスのとおり、「規制をかけることで生産者の負担するコストの額と、かけないことによって消費者の受ける被害額が、つりあうあたり」です。それ以上でも以下でも、国民全体の利益は最大化されません。
なお、どの市場もいずれは成熟し、成長は止まり、商品知識も消費者に(問題がなくなる程度には)広まり、レモン市場の可能性は下がっていきます。そうなるときまで何らかの形での国の介入は(多少なりとも)続く必要があるわけです。
ジエチレングリコール入りのワイン
では最後に、ジエチレングリコール入りのワインの話をしましょう。
消費者がこの会社の製品全般にボイコットをするのは、先に述べたとおり、これは情報が非対称である、つまり消費者に十分な情報がないという前提において合理的です。とにかく消費者に分かるのは、このメーカーはルールを破ったということだけなのですから、そのメーカー全般をただ避けることが合理的になるわけです。結果、キッコーマンのマンズワインというブランドは潰れたわけですが。
情報が対称で、消費者に十分な知識があったら、逆にジエチレングリコールの添加を国に認可させるよう、消費者が運動を起こしたかもしれません。アブサンという有毒な酒が再認可されましたが、それよりはるかに安全で合理的なのですから。余談ですが、私はジエチレングリコール自体を少量なめたことがありますが、甘くてなかなかおいしいものでした。
もっとも、日本ではワインという商品は高級感が売り物ですから、そのような選択肢はありえないでしょう。この高級「感」というセールスポイントは、まさに情報の非対称性によって生まれるわけですが。
いずれにせよ、過剰な制裁は良くありません。わずかなミスに多くの制裁が加えられるなら、生産者はわずかなミスも防ぐために、過剰な注意を払わなければなりません。そのコストは製品価格に上乗せされ、結局、消費者は高価格の製品しか手に入れることができなくなります。これは双方にとって利益がありません。日本ではこの過剰な品質要求が、生産現場の苛酷な労働条件や、高い物価の原因になっています。
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アメリカの牛がそんなに危険なら… (スコア:1)
この件については、リスク評価の第一人者である中西準子は 「米国輸入牛肉のリスク:プリオン専門調査会は解散した方がいい」 [nifty.com]でこう述べています:
なぜかウケの悪い中西準子 (スコア:0)
お疲れ様です。こういう場に中西準子氏を持ち込む人は、いつも決定打のつもりで出すんですが、なぜかいつも全然支持されませんねえ。スラドでも2chでも。
いや、なぜかじゃありませんね。環境リスク学の予備知識のない人が、彼女の意見を目にしてまず感じるのは、違和感だと思います。素直な現状認識に反する内容が多すぎるんでしょう。リフレ派の現状とダブって見えて、物悲しいです。
中西準子氏の紹介文としては、YNU(横浜国立大学広報)第2号インタビュー(2000.10.18) [nifty.com]が一番いいと思います。これを読むだけで、これは大した人だなあと私は思いました。
余談
Re:なぜかウケの悪い中西準子 (スコア:1)
当っていないように思います。
引用は、読者の実感に訴えて納得させようとする文章です。
しかし、この手法では例えば次のようなインチキを述べることも可能です:
「体長 1cm のアリを 1m の高さから落とすことは、
人間を身長の100倍の高さ (およそ 170m) から突き落とす
のと同じくらい深刻なダメージを与える。」
このウソに反論するにはいくらか力学の素養が必要です。
そういう、たとえ自分の思ったことでも斜めから見直してみる
という作業をこの筆者は怠ったのではないかと、疑っております。
「環境リスク学」とは何か (スコア:0)
元コメントのAC [srad.jp]です。どうも書き方がまずかったので、少し長く補足させてください。
スラドの議論の特徴は、基本的にコメント本文が勝負で、本文に興味がなければ、誰もリンク先は読まないということです。ところが環境リスク学は、一つのコメント欄だけで語れるほど分かりやすい学問ではない。勢い、コメントは断片的な内容になってしまい、それに対する反応は批判ばかりということになりがちなのです。
しかし、それだと今までここに書いたことは自己満足で終わってしまう。何とか「環境リスク学」とは何か、その概要だけでも語ってみようと思います。
まず、vnさんの868172 [srad.jp]における批判は見事に正しくて、中西氏の見積もりはこ
Re:「環境リスク学」とは何か (スコア:2)
まったく同意見です。そして、米国産牛肉を輸入禁止することの
コストは何か、ということについて、たぶん何層かに分けて
考察しなければならないと思います。
ひとつは、禁輸します、と宣言することの直接的な行政コスト。
これは実質的にゼロです。むしろ輸入す
ついでに経済学も山盛りに (スコア:0)
興味深いご意見をいただきましたので、また少し長くコメントさせてください。
vnさんの1.と2.については、私はだいぶ違う見方をします。経済学を使って、社会のさまざまな現象を抽象化して、一気に結論に到達するからです。
まず、貿易というものは、できる限り自由化することによって、貿易当事者国双方の福利が最大化されることが、経済学によってすでに結論されています。それは食料についてもです(意外なことに、一般に信じられている、食糧自給率を保つべきという、マルサスの食糧安全保障論は誤りです)。
よって、(もし安全であったなら)米
Re:ついでに経済学も山盛りに (スコア:2)
どんどん長くなる返答 (スコア:0)
では、私も箇条書きで返答しましょう。
政府が生産者ばかりの利益を代表しているのは、まさにそのとおりです。日米両政府の農産物貿易交渉は、どちらもタフな交渉を行いますが、実は両当事者国の福利を最大化しておらず、むしろ損失を与えています。
このようなことになってしまう理由は
Re:どんどん長くなる返答 (スコア:2)
例えば、かつて一部の輸入ワインに意図的にエチレングリコールが
添加されていたことが明らかになった、という事件がありました。
エチレングリコールは、それだけを飲むと有害ですが、エタノールと
一緒に飲むと無害である、というのが(少なくとも当時の)定説でして、
実際に国内での健康被害の報告はゼロだった、と記憶しています。
この場合、日本の消費者はこれを添加した業者の製品をボイコット
すべきではない、という結論が導かれてしまうことになりますが、
それは正しいでしょうか。
もしそうならば、たぶん経済学は信頼に値しない学問なのでしょう。
しかしそれは恐らく経済学に対する誤解でしょう。
情報の非対称性と、アカロフのレモン市場 (スコア:0)
情報の非対称性
遅くなりました。なかなか面白い点を突いてきますね。これは経済学の根幹ではなく、補正項の一つになってしまうのですが「情報の非対称性」という問題です。私はあまり良く知らないのですが、聞きかじりで説明を試みてみます。
アカロフの「レモン市場」
この問題を取り扱ったのが、経済学者アカロフの「レモン市場」という概念です。
アカロフはアメリカの中古車市場にこのモデルを当てはめて、現実をよく説明できることを示し、その業績でノーベル賞を取りました。放任された市場が失敗する理由を一つ新しく見つけたわけですね。
なお、消費者による購入のボイコットは、この市場の縮小のプロセスにあたります。消費者にとっては合理的な行動ですが、最終的には消費者自身にも損失になっているのです。
対策
レモン市場になってしまっては売り手も困りますから、これを防ぐために、売り手も国も、そして消費者もさまざまな努力をするわけです。例えば、
ブランド化
特定の生産者が、低品質の業界水準を抜きん出ることによって、消費者の信頼を得ようとするものです。各企業の自助努力に委ねるので、経済効率が一番良いです。しかしこれは長期的には形骸化します。具体的には、ブランドにあぐらをかいた低品質の製品や、逆にコストを度外視した高品質の製品を出したりして、消費者のブランド離れを招きます(例:偽ブランドや100円ショップの流行)。
公的機関による規制
国が業界の品質を検査、規制するものです。品質保証の内容はきわめて安定しており、市場の影響を受けません。しかしこれは、検査が高コストとなり、また検査内容が形式化、形骸化して行きます。また利権にたかる不正利得者が発生します(例:車検制度、公教育(中でも英語))。
業界団体による規制
上二つの中間的なものです。国の代わりに民間の団体が、品質を検査、規制するものです。国の検査に比べてコストが安く、また検査内容が実質的になります。しかし逆に検査内容が業界の圧力でゆがめられやすくなります。検査者も市場のプレイヤーの一人だからです(例:耐震強度の偽装問題)。
消費者が専門知識をつける
最近流行している「賢い消費者」「自己防衛」と呼ばれるものがこれです。情報の非対称性自体が消滅するので、根本的な解決になります。しかしこれには限界があります。少し専門的な製品になれば、必要な知識を学ぶのに必要な時間が、あっという間に跳ね上がります。この「学ぶ時間」は実は大きなコストです。なぜなら、その時間に働けば得られた利得を失ってしまうからです(機会費用)。「餅は餅屋」ということで、分業に特化した方が双方に利益があるのです。
万能の対策はない
どの対策も、一長一短です。どれか一つだけを実行すれば良いというものはありません。一番厳しいのは公的機関による規制、一番ゆるいのはブランド化ですから、その中間のどこかに存在する、最適な点を探すことになります。具体的には、国が業界の状態や消費者の知識を見極めて、どこまで規制するかのさじ加減をします。
そのときの指標は、前回のレスのとおり、「規制をかけることで生産者の負担するコストの額と、かけないことによって消費者の受ける被害額が、つりあうあたり」です。それ以上でも以下でも、国民全体の利益は最大化されません。
なお、どの市場もいずれは成熟し、成長は止まり、商品知識も消費者に(問題がなくなる程度には)広まり、レモン市場の可能性は下がっていきます。そうなるときまで何らかの形での国の介入は(多少なりとも)続く必要があるわけです。
ジエチレングリコール入りのワイン
では最後に、ジエチレングリコール入りのワインの話をしましょう。
消費者がこの会社の製品全般にボイコットをするのは、先に述べたとおり、これは情報が非対称である、つまり消費者に十分な情報がないという前提において合理的です。とにかく消費者に分かるのは、このメーカーはルールを破ったということだけなのですから、そのメーカー全般をただ避けることが合理的になるわけです。結果、キッコーマンのマンズワインというブランドは潰れたわけですが。
情報が対称で、消費者に十分な知識があったら、逆にジエチレングリコールの添加を国に認可させるよう、消費者が運動を起こしたかもしれません。アブサンという有毒な酒が再認可されましたが、それよりはるかに安全で合理的なのですから。余談ですが、私はジエチレングリコール自体を少量なめたことがありますが、甘くてなかなかおいしいものでした。
もっとも、日本ではワインという商品は高級感が売り物ですから、そのような選択肢はありえないでしょう。この高級「感」というセールスポイントは、まさに情報の非対称性によって生まれるわけですが。
いずれにせよ、過剰な制裁は良くありません。わずかなミスに多くの制裁が加えられるなら、生産者はわずかなミスも防ぐために、過剰な注意を払わなければなりません。そのコストは製品価格に上乗せされ、結局、消費者は高価格の製品しか手に入れることができなくなります。これは双方にとって利益がありません。日本ではこの過剰な品質要求が、生産現場の苛酷な労働条件や、高い物価の原因になっています。