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Symantecが「Security 2.0」を提唱、新パッケージ計画の発表」記事へのコメント

  • by deleted user (13014) on 2006年02月03日 20時12分 (#876634)
    80年代、ポストモダンってのが流行ったらしいですけど、ここんとこでてきた「2.0」は、姿を変えて現れたポストモダンですね。っても、並べて比較するにはポストモダニズムがカワイソウな気もするけど。まぁその、こういう内実が伴わないレトリックはもういいだろ。何か新しい潮流が出たら、なにかに理由つけてああだこうだと分析したがるけど、後になったら、ポストモダン言説がネタだった、と分かったのと一緒で、2.0 はネタだった、みたいなことになるんでしょう。
    • by deleted user (13014) on 2006年02月03日 23時14分 (#876743)
      近代が成熟したら、社会的・文化的に何かあたらしい風潮が出てきたんでんで、それをまとめて、60年代フランスの思想家たちが「ポストモダン」と名づけたと。そのインスタントさが「2.0」と似てるなぁと思うのですが、その先もまた、言葉の使われ方が似てるんですよ。

      70年代アメリカでベトナム戦争経験したりオイルショック起こったりIBMがすごいコンピュータ作ったり、とにかくいろんな変化が起こってきて、時代に乗り遅れちゃマズいという圧力が高まった。で、なにかにつけて「ポスト資本主義」「ポスト近代」「ポストイデオロギー」といった具合に、ポストをつけて何かを論じるのが流行ったらしい。

      そして、イギリスの批評家が「これからは建築もポストモダン」とおっしゃられた。これがウケがよかったらしく、すると他の研究者もポストモダン文学、ポストモダン音楽、ポストモダン映画、と、いろんな領域にポストモダンが飛び火。

      なんでポストモダニズムがこんなにウケたのかというと。ここが Web 2.0 をとりまく空気感と似ているところで。ポストモダンは、学術的な分析、政治学・哲学・社会学を駆使した、高度な議論が展開されています。今の Web 2.0 が全くのインチキというわけじゃなく、それなりの材料に基づいたものであることと同じで、それなりに学術的な意味はあったらしいんですよ。

      ただ、その研究の目的は、どうも人それぞれちがったようで。例えば、地球環境を守ることがポストモダン、労働集約的なものを批判するのがポストモダン、過度に機能的な建築物を否定するのがポストモダン、というふうに、どれもたぶん切実な問題意識に基づいたものだったのだろうと思うんですけどね。たしかに、近代といったって空気は汚すし人は部品のように使い捨てられるし、ロクなもんじゃないなぁと、だから近代の次の話をしたがるのはよく分かります。

      ところが、90年代に入り、ポストモダンったって、それが何だ? みたいな空気が流れはじめます。というよりも、わかっていた人には最初からわかっていたというか。ポストモダンをめぐる議論は乱暴なものが多く、あやしげで、宮台真司さんのような誠実な学者さんは、近代を知らない建築家が作ったポストモダン建築物はテレクラの待ち合わせ場所になってるぜ、と、実践のおまけつきでポストモダニズムを批判されてます。

      要は、この90年代は、ポストモダンとかいう前に、近代をちゃんと勉強したらどうですか。ポストモダンとかいう臭いものより、よっぽど歴史もあるし妥当性もあっていいですよ、という冷静な話が表に出てきたということだと思います。時代認識論・文明論だったものが、方法論、社会運動、芸術作品、といった文化的な潮流へと膨らんでいったのですが、これが、ちょっと洒落にならない、科学的根拠っぽいものを出してきて、そんなのが教科書になってもらっちゃかなわんということで、バッサリと批判なさると、これがソーカル事件というものらしいです。で、ポストモダニズムはネタだったということで決着。今では完全に忘れられてます。

      こうしてみると、Web 2.0 をめぐるコミュニケーションって、ポストモダンの話と似てませんか。もちろん、Web 2.0 はもっとちんけな話で、ぐぐっとスケールダウンしてるのんで、すぐに一周して収斂すると思うんのですが。なんでも 2.0 つければ、それがらしく見える感じって、やっぱり後になってみれば恥ずかしく見えるんでしょう。そして終いには、ポストモダニズム同様、批判されていたことも意識されなくなると、そうなっていくんだろうと思います。

      ただしかし、名前がいいよね。バージョン 2.0 だもんね。Web 2.0 は意味的には「ポストインターネット」「ポストWWW」とかいう感じなんだけど、こう名づけちゃうと、ただのトンデモにしか見えないですから。2.0 ってことだと、それは 1.0 のバージョンアップで、連続性があるっぽく見えます。だから、ポストモダンのあれこれも、よりベターな名前をつけるなら「近代 2.0」「民主主義 2.0」「資本主義 2.0」「建築 2.0」こっちでしょ。
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      • by itinoe (972) on 2006年02月04日 1時29分 (#876831) 日記
        mixiの某コミュで「萌え」の定義という不毛な議論があったのですがこのポストモダンの話はとても参考になります。
        言葉が出てきて商業的に突っ走っている今は意味なんぞ収束しないと思っていて類似の例がないかと思っていたのですが、なるほどポストモダンはぴったりだなと。

        で、名前がいいというのなら今時の政治ネタであるポスト小泉を小泉2.0とでも呼んでみますかw
        それとも個人名につくのはあまりよろしくないから自民党2.0か民主主義2.0?
        --
        見たような聞いたような・・・
        itinoe
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      • Re:2.0 ≒ ポストモダン (スコア:1, すばらしい洞察)

        by Anonymous Coward on 2006年02月04日 5時35分 (#876881)
        ポストモダニズムってのはモダニズムを超えようっていうことだったんですが、結局世の中モダニズムどころか、プレモダニズムに戻ってしまいましたね。

        ネットもそうなるんでしょうかね。何だかんだいって結局はWeb0.5くらいに落ち着くのかもしれませんな。
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      • by oltio (3848) on 2006年02月05日 9時37分 (#877366) 日記
        そこですかさず GhostModern ですよ。
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      • C のポストモダン(2.0)が C++。
    • by Anonymous Coward on 2006年02月03日 20時47分 (#876657)
      対称となっていたのはレヴィ・ストロースなどの構造主義者で、
      ポストモダンは「ポスト構造主義」を題目にあげていたけど、
      結局お前らの掲げる「新しい視点て何よ?」の質問には最後まで答えられず、って感じでしたね。
      単に「構造主義じゃない」ってだけで主張を通そうとしていたし。
      #当時の哲学シーンに詳しい人のフォロー求む。

      サルトルに対する構造主義の疑義は確かにイデオロギー的な対立がありましたけど、
      その後は対立はメディア戦略的な対立でしかない(というか、イデオロギー的な対立軸を準備できない)
      っていう印象ですかね。
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    • Re:2.0 ≒ ポストモダン (スコア:2, おもしろおかしい)

      by toworu (27387) on 2006年02月03日 21時50分 (#876691)
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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