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GPL を束縛だと感じるのは、GPL なコードを流用して別の作品を作成しようとする人ですよね。流用対象となる GPL なコードの作成者ではありません。
ライセンスは著作者 (この場合、流用対象となる GPL なコードの作成者) の意思で自由に決めるものですから、GPL が適用されているということは、そのもろもろの「束縛」も著作者の意思と解釈されるべきです (それがいやなら、自分の作品に GPL を適用しなければいいだけの話だから)。というわけで、その「著作者の意思」を守らせることができている (つまり、束縛がはたらいている) ということは、「作成者の自由」 (つまり、自分の著作物の扱いを自分で自由に決めるということ) を守っていることになると思うのですが。
というか、上記コメントに続くスレッドは、もともと「作成者」が「だれか別の人が作った GPL なコードを流用してプログラムを作る作成者」の意味なのに、いつのまにか「作成者 vs 利用者」という枠組みにおきかえられてしまって、それで話が変になっているように思うのですが。
スレッドの根っこである#90246は、GPLに束縛感を感じる非GPLコードの著作者のコメントでした。 #90253も内容的にはGPLでライセンスした著作者のことに限定されているようには読めません。 それを受けて#90254以降は、 (a)GPLに束縛感を感じるとすればそれは著作者だけである (b)GPLで確か
でも、これでいいんです。GNUが守っているのはあくまで「利用者の自由」なので。もしGNUがもともと「作成者の自由」も守りたいのであれば、ぜんぜん駄目ですけど。 ということで、GNUが守りたかった自由が「利用者のもの」に限定されていると理解すれば、難しい問題にはならないと思います。
すでに公開してしまった GPL ソフトウェアを利用している人に対しては、著作者といえども一方的にライセンスを変更することはできません。これは、ライセンスは契約なので、一方的な契約の変更にあたります。それは認められません。その利用者には、GPL に基づいて当該ソフトウェアのソースを要求したり、配布したりする権利が発生していますので (そして、配布を受けた人にも GPL に基づいて同じ権利が発生しますので)、開発者がそのソフトウェアのバイナリおよびソースを公開された世界から抹殺することは事実上不可能です。
が、そのソフトウェアを新たに配布する際に、著作者は別のライセンスを設定することは可能です。それは、GPL なコード (自分で書いたものに限る) を含んでいたとしても、です。これは、著作者は自分の著作物のライセンスを自由に決める権利を持っているからでして、言い換えれば、著作者自身はライセンスよりも上位の立場に立っているからで、GPL の性質ではありません。
というわけで、同じソフトウェアをきのうダウンロードした人は GPL に基づいて自由に利用・配布・変更できるけど、きょうダウンロードした人はだめ、ということが、理論的には可能です。もちろんそんな場合、きょうダウンロードした人は、きのうダウンロードした人からコピーしてもらえば、自由な利用ができるようになりますので、ライセンス変更はほとんど無意味ですが。(著作者が非難と冷笑を浴びるだけでしょう)
同様に、著作者は、自分が書いた GPL なコードを、フリーではないソフトウェアと組み合わせて、全体としてフリーではないソフトウェアとして配布すること (他人がやれば GPL 違反) が可能です。
というのは正しいでしょうか > mhatta さん
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
GPL採用しません (スコア:1, 興味深い)
個人的にはGPLは理解しているつもりですが、仕事で利用しようとするとほとんどの場合無理だったりします。
なぜかというとほとんどの人がGPLを理解していないからです。
またGPLをすこしでも知っている人の理解は、GPLの利用はリスクを伴うという認識です。
GPLを利用するとGPLコミュニティ(?)から監視させる事になるためです。
また、ほんの少しでもまちがうと永久的にたたかれつづけるためです。
何年たってもそれを修正しても、たとえ以後二度と間違いを犯さなくても。
あすこは以前ああいう事したと引き合いにだされる。
非常なまでにリスクの高いものだという認識です。
Re:GPL採用しません (スコア:0)
GPL の リスクとは具体的には何をいっているのですか?? GPL違反じゃなくても、ダメダメなときは叩かれるし、M$みたいに。
Re:GPL採用しません (スコア:0)
のが嫌なのでGPLは原則自分のコードに適用しません。
BSD ライセンスにします。
もちろん自分のコードである以上、複数のライセンスを
設定すれば良いわけですが、それはかなり格好悪いと
思ってますので。
GPLっておもしろい (スコア:2, 興味深い)
これが、GPLに対する誤解かどうかは判断できないけど。
「自由」って難しいね。
Re:GPLっておもしろい (スコア:0)
一方でGPLに束縛感を覚えているのは、コードの作成者だよね。
だから別に難しくないんじゃない?
Re:GPLっておもしろい (スコア:2, 興味深い)
GPL を束縛だと感じるのは、GPL なコードを流用して別の作品を作成しようとする人ですよね。流用対象となる GPL なコードの作成者ではありません。
ライセンスは著作者 (この場合、流用対象となる GPL なコードの作成者) の意思で自由に決めるものですから、GPL が適用されているということは、そのもろもろの「束縛」も著作者の意思と解釈されるべきです (それがいやなら、自分の作品に GPL を適用しなければいいだけの話だから)。というわけで、その「著作者の意思」を守らせることができている (つまり、束縛がはたらいている) ということは、「作成者の自由」 (つまり、自分の著作物の扱いを自分で自由に決めるということ) を守っていることになると思うのですが。
(ちなみに、GPL なコードを流用してプログラムを作るだけなら、制限はありません。束縛がはたらくのは、それを配布しようとしたときです。FAQ のここ [gnu.org]参照)というか、上記コメントに続くスレッドは、もともと「作成者」が「だれか別の人が作った GPL なコードを流用してプログラムを作る作成者」の意味なのに、いつのまにか「作成者 vs 利用者」という枠組みにおきかえられてしまって、それで話が変になっているように思うのですが。
Re:GPLっておもしろい (スコア:0)
スレッドの根っこである#90246は、GPLに束縛感を感じる非GPLコードの著作者のコメントでした。
#90253も内容的にはGPLでライセンスした著作者のことに限定されているようには読めません。
それを受けて#90254以降は、
(a)GPLに束縛感を感じるとすればそれは著作者だけである
(b)GPLで確か
Re:GPLっておもしろい (スコア:1)
その場合、普通、作成者も利用者なわけだから。
GPLコードの利用者である作成者(個人なり、法人なり)は、自分が作成したコードはクローズにしたいけど、GPLなものを含んでると...
だから、そうするには、いろいろ面倒だし、じゃあGPLなものは利用しないようにしよう。ってことになる。
結局、GPLな自由は享受したいけど、自分が手をいれたコードは自由にされたく無い場合、束縛感を感じるんじゃあないのかな。
個人的には、GPLでは、作成者の権利と利用者の利用の自由を、主張していると思っているのですが
その場合、利用の「自由」がどの程度、あるいはどうしたら「自由」なのかが結構、難しいんです。
その辺が、会社とかでは使いづらいと判断されるところだと思うんですが。
Re:GPLっておもしろい (スコア:1, 興味深い)
束縛感はなにか、という点についてはまったく同意見です。
で、ですね。
作成者が束縛されたと感じるその権利、つまり「自分のコードの利用者の自由を制限する権利」はそもそも利用者にはなく、作成者にのみあるものですよね。
だから、利用者の自由はなにも失われていません。
一方で、作成者の自由は一つ失われる。
でも、これでいいんです。GNUが守っているのはあくまで「利用者の自由」なので。もしGNUがもともと「作成者の自由」も守りたいのであれば、ぜんぜん駄目ですけど。
ということで、GNUが守りたかった自由が「利用者のもの」に限定されていると理解すれば、難しい問題にはならないと思います。
ジャイアニズムとGPL (スコア:0)
GPLはジャイアニズムを否定しています。
Re:GPLっておもしろい (スコア:2, 参考になる)
このあたりの行間を読むことになるのだろうか。
FAQとしては致命的な欠損にも思えるが、英語では誤解されにくいことなのだろうか?
char *A;
モータースポーツ部 [slashdot.jp]
Re:GPLっておもしろい (スコア:2, 参考になる)
すでに公開してしまった GPL ソフトウェアを利用している人に対しては、著作者といえども一方的にライセンスを変更することはできません。これは、ライセンスは契約なので、一方的な契約の変更にあたります。それは認められません。その利用者には、GPL に基づいて当該ソフトウェアのソースを要求したり、配布したりする権利が発生していますので (そして、配布を受けた人にも GPL に基づいて同じ権利が発生しますので)、開発者がそのソフトウェアのバイナリおよびソースを公開された世界から抹殺することは事実上不可能です。
が、そのソフトウェアを新たに配布する際に、著作者は別のライセンスを設定することは可能です。それは、GPL なコード (自分で書いたものに限る) を含んでいたとしても、です。これは、著作者は自分の著作物のライセンスを自由に決める権利を持っているからでして、言い換えれば、著作者自身はライセンスよりも上位の立場に立っているからで、GPL の性質ではありません。
というわけで、同じソフトウェアをきのうダウンロードした人は GPL に基づいて自由に利用・配布・変更できるけど、きょうダウンロードした人はだめ、ということが、理論的には可能です。もちろんそんな場合、きょうダウンロードした人は、きのうダウンロードした人からコピーしてもらえば、自由な利用ができるようになりますので、ライセンス変更はほとんど無意味ですが。(著作者が非難と冷笑を浴びるだけでしょう)
同様に、著作者は、自分が書いた GPL なコードを、フリーではないソフトウェアと組み合わせて、全体としてフリーではないソフトウェアとして配布すること (他人がやれば GPL 違反) が可能です。
というのは正しいでしょうか > mhatta さん
Re:GPLのものをクローズにすること (スコア:0)
>ェアと組み合わせて、全体としてフリーではないソフトウェアとして
>配布すること (他人がやれば GPL 違反) が可能です。
GPL違反になるのは、他人が無許可でやればってことで
Re:GPL採用しません (スコア:0)
こんなにスレのびてたのか(笑 #90246です。
いまさら読むやついるかどーか知らんが一応。
開発者はライセンスより上位であり、好き勝手できるのは
俺、ちゃんとわかってるよ。
俺が「縛られるのが嫌」って感じる理由は、
「ライセンスを採用する以上はそのライセンスの思想を
理解したうえで実践するべ