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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
FSFでは (スコア:2, 興味深い)
日本から見たらAppleの(というかiTunesの)やり方はほどよく緩く感じるくらいなのに。
(CDからリッピングしてiPodに入れたり出したりするのに回数とかの制限が無かったり)
囲い込まれているんだろうけど、あまりそれが苦痛に感じないんですよね、日本では(私だけ?)。
他の締めつけがキツいのでそう感じるだけかもしれませんが。
Re:FSFでは (スコア:1, 参考になる)
日本語でその一言のニュアンスは伝わりにくいかもしれないけど、FSFの宗教めいたともいえる頑固さへの揶揄を逆手にとって、彼らは自らを妥協しない存在だと公言してる。
そういうのを理解してれば、彼らが「緩いDRM」に納得しないなんて当然だけどな。賛同するしないは別にして、FSFはそういう存在。
Re:FSFでは (スコア:4, すばらしい洞察)
FSFがひたすらにFreeを目指さなくなれば、そんなのはいらない存在ですし。
極左であることがFSFの良い面でもある。
Re:FSFでは (スコア:0)
Re:FSFでは (スコア:1, おもしろおかしい)
#BSD派なのでAC
Re:FSFでは (スコア:0)
そんな存在、要らんのだがなぁ。
Re:FSFでは (スコア:1)
Softwareがだれでも考えずに同じ物が出来てしまうのであったならば、RMSにはFSFを立ち上げて活動しつづけるなんてことを行うモチベーションは起こらなかったでしょうね。
SoftwareにしてもHardwareにしても、開発者や設計者の意図や思想が自ずと出てしまうものである訳で、絵画や音楽や映画などといった芸術や娯楽と本質的に何が違うの?という疑問が自然と湧いてくる状況というのはけっこうありますよ、
謂わば、RMSと言うかFSFはSoftwareに対する創作性の自由を世間に認めさせるためにこれまでやってきたのであって、その延長線上にDRMと言う形でSoftware以外のものまでもが創作の自由(ここには二次創作やコラージュ・パロディ・サンプリングなどの広義の創作行為から自分が手にしたコンテンツをどう使うかという事まで幅広い意味での自由が存在する訳ですが)を失いつつあることがあると言う現状を変えなくてはいけないと考えているのではないですかね。
Re:FSFでは (スコア:0)
以下無限に続く