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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
高部眞規子裁判長… (スコア:1, おもしろおかしい)
Re:高部眞規子裁判長… (スコア:1, 参考になる)
なんでこんな人が裁判官なんてやってられるんだ?
逆にマトモでは?(Re:高部眞規子裁判長…) (スコア:5, すばらしい洞察)
…「三権分立」の原則に基づく「司法の独立性」を鑑みれば、ネット世間の風問とは逆に、非常に模範的な裁判官だと思いますが。
# しかし、行政である法務省に媚びる裁判官が出世する現状の司法システムでは
# 出世は難しいでしょうけど(;´Д`)
Re:逆にマトモでは?(Re:高部眞規子裁判長…) (スコア:2, 興味深い)
都合良く利用しようとする行政の思惑は排除するべきと思いますが、
立法の趣旨や思惑を可能な限り排除しちゃいかんのではないですか?
それをやって良いなら、「司法が独立」ではなくて「司法が判例という形で立法もやる」になってしまうんではないか・・・・と。
Re:逆にマトモでは?(Re:高部眞規子裁判長…) (スコア:3, 興味深い)
↑はよく言われることですが、私はある一言を聞いてそうではないと納得しました。
「プログラムも法も、意図したとおりではなく作ったとおりに動く」
成文化された時点で、意図ではなく解釈の問題に変わるのです。
Re:逆にマトモでは?(Re:高部眞規子裁判長…) (スコア:1)
が、法は人間が解釈するんだから、作ったとおりにしか動かないものではないですよね。
それから、多分その一言はこの流れの話とはちょっと違って、「最初は崇高な目的で法案が提出されたけれど、いろいろあって骨抜き。だから有効に機能しません。でも作ったとおりに動いてます。」みたいな話ではないですかねえ。