アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
>神霊は神社という場所や空間に鎮座するもので (スコア:1)
そうですか。
ぽっと出に付物神は宿らない? (スコア:3, すばらしい洞察)
神道ってアニミズムじゃなかったの?と問いたくなる内容だなぁ。
#そりゃ神を祀る施設ではあるけどさぁ
Re:ぽっと出に付物神は宿らない? (スコア:4, すばらしい洞察)
「神社に祀られた神様をネット経由で参詣すること」でしょ。
つまり対象ではなく手段の話題。
神社本庁の「足を運んでもらうのが基本」ってコメントからもそれは伺える。
例えば、毎年お祓いに行ってる(遠隔地の)実家の神社から毎年ヒトガタ送ってきて
郵送ベースでの神事もお願いできるので、一見ネットでの参詣と変わらない気もしますが、
実はヒトガタ使うってあたりで従来の儀式から大きく逸脱していないからね。
気持ちが大切...と宗教ではよく言いますが、
儀式の意味が薄れると彼らの存在意義はなくなりますからねぇ。
なお、元のタレコミの話題から派生した*別の*話題として、
対象に関しての議論や、神道ではない宗教の話題に話を広げるのは
アレゲな雑談としてアリだとは思います。
# 元のタレコミを勘違いしたり曲解したりは論外として
Re:ぽっと出に付物神は宿らない? (スコア:0)
近代的な郵便というメディアがないころには、
郵送ベースの神事もなかったわけなのですから。
Re:ぽっと出に付物神は宿らない? (スコア:2, すばらしい洞察)
昔からのやり方だと思いますので、「作法」は今までどおりかと。
「神事」そのものは祈願者と祈祷者で通常通り行われるわけだし。
ともあれ、「新しい作法」を編み出すとしても、
・一般人がありがたく感じるくらいの神秘性
・これまで積み上げてきた理論と矛盾しないこと
は最低限必要だと思います。
で、Webでのネット参拝は双方の意味でもダメダメだから突っ込まれたのでは。
# Webで神社の紹介したり、祈祷受付することは批判されてないよね?
Re:ぽっと出に付物神は宿らない? (スコア:1, 興味深い)
始まったときには、そんなんで大丈夫なのか?と
思った人もいるでしょう。今よりは納得させやすかったかも
しれませんが。神道理論も垂迹説などのように、割と
後付け的で、歴史的に神道というのは新しく流入したものに
柔軟だったのではないでしょうか。
まー基本的には、神様がおられるなら、ネット参拝を認めるかどうかは
神様がお決めになることだと思いますけどねw
Re:ぽっと出に付物神は宿らない? (スコア:1)
特に日本の神道に関しては。
ただ、ヒトガタ・カタシロという儀式手段については、
神道が体系化される以前の土着呪術的な頃から
儀式手段として使われてきたものだと思われるので、
例としては適切でないのでは。
新しいデバイスによるコンタクトで効果があるかどうか、
本当のところは「神様の言うとおり」ってことでw