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いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
もう一個、別な地球を用意して、そっちは宗教なしで発展させてみる、というような対照実験が出来たら「やっぱり科学とか技術だけじゃ駄目で、宗教も必要だったぞ」って言えるんだけどね。そんなことは神様じゃないと無理だもんね。
その実験に近いことは、すでに行われていると考えられるのではないでしょうか。何故かと言うと、すべての人間が何らかの宗教を信じるというわけでは決してないからです。信仰心の薄い人はいっぱいいます(つーか、現代ではそっちのほうが多いように思えます)。
つまり、信仰心の薄い人間の集団が発展する可能性はありました。宗教にはコストがかかります(むやみにでっかい神殿を建てたりとか、いちいち集まってお祭りをやったりとか)。そんなコストを支払わなくてすむ集団があったら、そっちのほうが発展してもおかしくはなかったのです。しかし、ご存知のように、そうはならなかった。ではそれは何故か?と言うことです。
宗教とは影響力の桁が違うプラス要素が別に存在し、その寄与によって人類は生存、繁栄をした可能性を忘れてはいけません。 例えば科学とか、技術とかね。(鉄器や火薬が、どれほど祖先達の生存の助けになったでしょう)
信仰の問題は、人間がいかにふるまうか、と言う問題なので、単なる技術である鉄器や火薬とはちょっと違うと思います。あなたは極論と言っていますが、犯罪が一番近いでしょう。同列に語っても別に問題ないと思いますが。
さて、あなたの言うように、信仰心の影響なんて大したことはなく、別に生きるのに必須と言うわけではなかった。単に邪魔にならなかったから今もあるんだ、程度のものであったと考えることもできます。しかし、それにしては世界中に見られすぎると思いませんか?ローカルなコミュニティが、様々なマツリを通じて結束している例は人類すべてに見られると言って過言ではないですし、さらに今も世界中で新興宗教がおこり続け、多数の人々が入信し続けていると言う事実があるのです。
私には、これほど普遍的に、莫大なコストを支払ってまで現在進行形で維持されている「信仰心」と言うものが、無意味で、不必要なものであると決めつけるのは、論理的な態度であるとは思えません(あなたが決めつけていると言ってるわけではないです。世の中には決めつけている人が多いので…)。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
アインシュタインでさえ (スコア:2, 興味深い)
いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
Re:アインシュタインでさえ (スコア:2, すばらしい洞察)
例えば科学とか、技術とかね。(鉄器や火薬が、どれほど祖先達の生存の助けになったでしょう)
極論すれば、宗教を麻薬や犯罪と同列に語ることもできるのです。
「多くのリソースが投じられたから」は、論理的には全く信仰と生存の相関を示すものではありません。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
もう一個、別な地球を用意して、そっちは宗教なしで発展させてみる、というような対照実験が出来たら「やっぱり科学とか技術だけじゃ駄目で、宗教も必要だったぞ」って言えるんだけどね。そんなことは神様じゃないと無理だもんね。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
その実験に近いことは、すでに行われていると考えられるのではないでしょうか。何故かと言うと、すべての人間が何らかの宗教を信じるというわけでは決してないからです。信仰心の薄い人はいっぱいいます(つーか、現代ではそっちのほうが多いように思えます)。
つまり、信仰心の薄い人間の集団が発展する可能性はありました。宗教にはコストがかかります(むやみにでっかい神殿を建てたりとか、いちいち集まってお祭りをやったりとか)。そんなコストを支払わなくてすむ集団があったら、そっちのほうが発展してもおかしくはなかったのです。しかし、ご存知のように、そうはならなかった。ではそれは何故か?と言うことです。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
信仰の問題は、人間がいかにふるまうか、と言う問題なので、単なる技術である鉄器や火薬とはちょっと違うと思います。あなたは極論と言っていますが、犯罪が一番近いでしょう。同列に語っても別に問題ないと思いますが。
さて、あなたの言うように、信仰心の影響なんて大したことはなく、別に生きるのに必須と言うわけではなかった。単に邪魔にならなかったから今もあるんだ、程度のものであったと考えることもできます。しかし、それにしては世界中に見られすぎると思いませんか?ローカルなコミュニティが、様々なマツリを通じて結束している例は人類すべてに見られると言って過言ではないですし、さらに今も世界中で新興宗教がおこり続け、多数の人々が入信し続けていると言う事実があるのです。
私には、これほど普遍的に、莫大なコストを支払ってまで現在進行形で維持されている「信仰心」と言うものが、無意味で、不必要なものであると決めつけるのは、論理的な態度であるとは思えません(あなたが決めつけていると言ってるわけではないです。世の中には決めつけている人が多いので…)。
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1)
そんなものがなければ、現在の国際的問題はかなり減っただろうとは思うが、戦争を通じた科学技術の発展も遅かったろうな。(ギリシャ・ローマ時代の多神教が続いてた方が、科学だけは進んだかも)
the.ACount