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にわかな奴ほど語りたがる -- あるハッカー
腸と鼻 (スコア:2, 参考になる)
Re: (スコア:5, 興味深い)
いや、その「だけ」っていうことの方がよくわからんのですけどね。
一応、「鼻炎」というか、花粉症(その他、アトピー性皮膚炎とかのI型アレルギー全般を含む)に関しては、その根治療法につながることが期待されてる「Thバランス仮説」ってのがありまして。
そもそも花粉症などのアレルギー(I型アレルギーと分類される)がなぜ起きるのか、というと、花粉に含まれる何らかのタンパク質に対する抗体が血中にたくさん増えるから、です。この抗体は、そのタンパク質と結合す
Re: (スコア:1, 興味深い)
私がy_tambeさんの引用部で言いたかったのは、花粉症の症状軽減策として、休養したり運動したりと、健康的な生活を送ることが言われていて、一方で善玉菌は体を健康にするのだから、善玉菌を採る→健康になる→花粉症緩和であって、善玉菌を採る→花粉症緩和ではないのではないか、つまり、善玉菌が花粉症の特効薬なのではなく、(これまでいわれている通り)善玉菌を採ることを含めた「健康的な生活を送ること」こそが花粉症対策に繋がる、というのがこの研究でわかったことなんではないのか、ということです。
で、引用部の前文と関わる
Re: (スコア:2, 興味深い)
んーと要するに、上で引用した意図というか、ツッコミどころはここなわけです。「善玉菌」というものが存在するということと、それが「健康にいい」ということ、この二つの前提が「ホントウにそうか?」ということ。
これを「ホントウにそうだ」というためには、医学的/科学的な立場から実証しないといけないわけですが、そうなると結局のところ、順序が逆であることに気付くはずなんです。例えば「乳酸菌を採ると○○の症状が緩和された」「△△の症状も緩和された」「××を発症するリスクが下がった」 → 「
Re: (スコア:0)
この論文が初めてその根拠を与えた、ということでしょうか。そうであると考えまして、
この論文で使われているシロタ株配合のヤクルトの食品 [shirotakabu.jp]は特保を取得していますが、これは科学的な根拠を与えてはいないのでしょうか。
いちおう簡単なデータっぽいもの [shirotakabu.jp]もありますし、私は腸内環境の改善に影
Re: (スコア:4, 参考になる)
特保に関しては、そういういくつかの実験を行って効果が証明できれば、「その効果について」宣伝的に述べることが許可されるのであって、無制限に「善玉」だとか「健康にいい」と標榜していいってわけではないんです。そもそも、「血中コレステロールの増加を抑えるけど、糖尿病のリスクを上げる」なんて可能性もないわけ
Re: (スコア:0)
ある物質が、下痢気味とか、便秘気味、という健康状態が、形がよくなったり、回数が増えるたりするようなら、その物質は健康にいい、と考えています。
同時に副作用があまり無いことも重要ですが、特保とるには安全性のデータも必要ですから今は考えなくていいですよね。
先に示したシロタ株配合ヤクルトのデータは医学的でないのでしょうか。
ビフィズス菌が増えることや、腸内大腸菌が減ること、インドールやp-クレゾールが減少することは、健康状態がより良くなることではないのでしょうか。
確かにビフィズス菌は本当に体にいいのか、な
Re: (スコア:1)
>排便回数の改善、便性状の改善等が確認された、等書いてありますが、これらは医学的ではないのでしょうか。
もちろん医学的ですし、科学的です。ここらへん誤解されてるのかもしれないけど、腸内細菌叢の状態が、その人の健康状態に何らかの作用を及ぼす、というのは、私も否定するどころか、正しい考えだと思ってます。しかし、それは「排便回数や便性状の改善」であって、それを「健康にいい」と表現する
Re: (スコア:0)
一晩眠ったら、考える元気が出てきました。
お暇がありましたら、もうしばらくお付き合いしていただけるとうれしいです。
私は健康にいいと表現することは、科学的に観測可能な事実だと思っています。
y_tambeさんも、排便回数や便性状が改善するというデータは科学的である、とおっしゃっていただけていると解釈しましたが、ということは、改善した先にある、より好ましい(標準となる)排便回数や便性状にも、科学的な根拠のある状態がある、と考えていいのですよね。
もしそうならば、その状態を健康な状態と表現してはいけないのでしょうか。
ある
Re:腸と鼻 (スコア:1)
>その人は(排便回数においては)標準的であり、つまり(排便回数においては)健康である
私の主張は、要するに「科学の場では」、「(排便回数においては)標準的であり、つまり(排便回数においては)健康である」と言うのではなく、はっきりと「排便回数においては標準的であり、つまり排便回数においては健康である」と言わないといけない、ということです。
「(漠然とした表現で)健康である→花粉症の症状が和らぐ」は、何となくそうかな?、という気分になりがちなんだけど、これが「排便回数においては健康である→花粉症の症状が和らぐ」だと、何か変だな?、という気分になりませんか? ということでもあります。前者のトリックはしばしば「怪しげな健康商売」をやっている人がよく使う論理トリックでもあるので、「科学の立場で」説明するときには、こういう表現を使うことは避けた方がいいですし、消費者の立場からもしこういう表現を見たら「黄色信号」だと思った方がいいですよ、と考えてもいます。
#なお、私はACさん(という呼び方も変か)が、そういう怪しげな健康商売に関わっている人だとは全く思ってませんし、非難しようとしてるわけでもありません。特に念押しする必要もないかもしれませんが、これだけは誤解して欲しくないので念のため、ということで。
あと「健康にいい」という表現は、「科学の場では」やっぱり使わない方がいい、というか、それできちんとした論文書いたり、学会発表したりするときには、言い回しを考えて使わないといけない、というのはありますね。
例えば、「排便回数や便性状の改善に寄与した(寄与します)」という言葉につづけて、「だから健康にいい(と言える)」と言いきるのは、一般人同士ならもちろんOKだし、医学というよりはむしろ「医療」よりの場、つまりお医者さんが患者に向けて説明する言葉だとか、あるいは一般向けの講演会などで喋る分には、まぁOKかな、と。ただこれが科学よりの場だと、下手にそう言うのはトラブルの元なので、「〜の改善を介して、健康状態の維持に貢献『すると考えられる』」、「することが期待される」、「する可能性が示唆された」などの言い回しに変えるのが普通かな。
だいたいにおいて、基礎医学研究であっても、論文とか学会発表の「締めの一言」としては、自分の研究成果が「実際の医療にも役立つ」ことをアピールするというのは、まぁ普通は許容範囲にあたることです。ただ、この場合も、(先に述べたように)「そういう可能性もある」という著者の推論である、ということが判るようなかたちで(事実と意見を区別して)述べないといけないわけでして。
あと、ここらへん、科学者が「理科系の文章」の中で「可能性が示唆される」と言っている場合は、本当に文字通り「可能性が示唆されてる」というだけの意味しかないのだ、という点については、読む側にも注意が必要なんですよね。新聞記者なんかですら、ここらへんを正しく読み解けずに、的外れな科学記事を書いたりするケースもまま見られますから。前述の『理科系の作文技術』でも、「日本人は、そもそも事実と意見を区別するというトレーニングが不足してる」旨が指摘されてたりしますし。
Re: (スコア:0)
言われていみればたしかに表現が曖昧でしたね。
参考になります。
「排便回数においては健康である→花粉症の症状が和らぐ」だと確かに変な感じがします。
ですが、「排便回数においては健康である→体全般が健康である→花粉症の症状が和らぐ」とするとあまり奇異に感じません。
(#1356489) [srad.jp]でおっしゃられたことは、この「排便回数においては健康である→体全般が健康である」は本当か、ということだと思って続けますが、
以下は科学的事実のない(のかな?)私の意見です。
下痢や便秘なとき、たいてい他の部分にも異常がありませんか。