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都会生まれ(そうは見えないとよく言われますが)なせいか背景にある程度の雑音が必要なようです。音楽もある程度ききますが、内容がわからない程度の話し声とかの方がよいようです。
あと私は世間との接点を意識するために適度に人の目があったほうがよいようで、家だと(よっぽど締め切りに終われていなければ)すぐ寝転がって本を読む構え(私の場合世間からの働きかけを意識しない、一人でいる場合のデフォルト・モードがこれらしい)に移行してしまいます。
また、これは私が求める条件とは違いますが独り言が増えるので独り言が邪魔になるほどの人口密度の環境や静寂が維持されている環境では周囲の人が困るでしょうね。
家で仕事する職種の人は同じこと言いますね。
タレコミで飛行機の中がいいってのも、基本的に同じ理屈ですね。
何か消費じゃないことをやっているぞ、というポーズづけがある程度必要な環境で、でも邪魔が入らない、みたいなところがいいんでしょうね。他のコメントでおすすめになっているところも、だいたいそういう場所ですね。
私の場合、ポーズもあるかもしれないけど、それも含めて他に人間がいないと人間社会の一員(かなり端っこかもしれないが)だってことを忘れてしまうというか…。
「おばけにゃ学校も試験も何にもない」という歌じゃないですが、一人でいると世間の科してくる現実的な制約の優先順位がかなり下がってしまうのですよ。
ぶっちゃけ別に俺は俺で、人の視線や社会とのかかわりなんかどうでもいいって思える人なら、確かになんとなくみんなと空気を共有して前向きなことしてるかどうか、って気にならんのかも知れませんね。そういう人は個室だろうが、図書館だろうがいっしょかも。
私はやっぱ凡人なんでそこまで割り切れないですね(笑 社会によるかすかな拘束状態が必要。電車に乗ると部屋ではすぐ飽きて寝ちゃう本でもわりとまじめに読めたりするのも、基本的には同じ衝動が働いてる気が。
あともう一つ仮説がありまして:
私は読むほうに関しては大概のものは寝転がって読むのが一番早いんですが、英語だけは寝転がるとダメで寝てしまいます。眠くならないためには敢えて音読するのが効くようです。(論文とかだとある程度概要がわかってくると音読しなくてもよくなるようなので読み始めだけでよいようです。)また学生時代、講義はわかり過ぎてると退屈で眠くなるし、わからなすぎると意味不明で眠くなるということもありました。これらのことから、言語を聞き取って/読み取って意味を解釈する部分と、受け取った内容について考えたりする部分の処理速度が程よくマッチしてないと眠くなるのではないかと感じていました。
ここから最近では、脳内各部の使われ方が偏ってくると脳の遣われ方を監視している脳内の部分によって「堂々巡り」にハマっていると誤検知され、「飽きた」状態になって疲労を感じた結果眠くなってしまうんではないかと思っています。(「飽きる」と「疲労」の感覚の関連についてのネタ元は「心の社会」マーヴィン・ミンスキー著、安西 祐一郎 訳、産業図書、1990/07)例えば、上記のケースではほどよく処理速度がマッチしていれば、脳内で聞き取る/読み取る部分と思考する部分に適度に処理が散るから誤検知を避けられると考えるわけです。
で、適度にノイズがあるとその刺激に注意を持ってかれて軽く「気が散る」ことで脳内のアチコチが活性化されて「堂々巡り状態」と誤検知されなくなって眠くならずに済むんではないかなと。もしかすると貧乏ゆすりなんかも実はそういう刺激になっていたりしないかなと。
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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
うるさくない程度にざわつき (スコア:3, すばらしい洞察)
都会生まれ(そうは見えないとよく言われますが)なせいか
背景にある程度の雑音が必要なようです。
音楽もある程度ききますが、内容がわからない程度の話し声とかの方がよいようです。
あと私は世間との接点を意識するために適度に人の目があったほうがよいようで、
家だと(よっぽど締め切りに終われていなければ)
すぐ寝転がって本を読む構え(私の場合世間からの働きかけを意識しない、
一人でいる場合のデフォルト・モードがこれらしい)に移行してしまいます。
また、これは私が求める条件とは違いますが独り言が増えるので
独り言が邪魔になるほどの人口密度の環境や
静寂が維持されている環境では周囲の人が困るでしょうね。
Re: (スコア:1)
家で仕事する職種の人は同じこと言いますね。
タレコミで飛行機の中がいいってのも、基本的に同じ理屈ですね。
何か消費じゃないことをやっているぞ、というポーズづけがある程度必要な環境で、でも邪魔が入らない、みたいなところがいいんでしょうね。他のコメントでおすすめになっているところも、だいたいそういう場所ですね。
Re: (スコア:1)
私の場合、ポーズもあるかもしれないけど、それも含めて他に人間がいないと人間社会の一員(かなり端っこかもしれないが)だってことを忘れてしまうというか…。
「おばけにゃ学校も試験も何にもない」という歌じゃないですが、一人でいると世間の科してくる現実的な制約の優先順位がかなり下がってしまうのですよ。
Re: (スコア:1)
ぶっちゃけ別に俺は俺で、人の視線や社会とのかかわりなんかどうでもいいって思える人なら、確かになんとなくみんなと空気を共有して前向きなことしてるかどうか、って気にならんのかも知れませんね。そういう人は個室だろうが、図書館だろうがいっしょかも。
私はやっぱ凡人なんでそこまで割り切れないですね(笑 社会によるかすかな拘束状態が必要。電車に乗ると部屋ではすぐ飽きて寝ちゃう本でもわりとまじめに読めたりするのも、基本的には同じ衝動が働いてる気が。
Re:うるさくない程度にざわつき (スコア:1)
あともう一つ仮説がありまして:
私は読むほうに関しては大概のものは寝転がって読むのが一番早いんですが、英語だけは寝転がるとダメで寝てしまいます。眠くならないためには敢えて音読するのが効くようです。(論文とかだとある程度概要がわかってくると音読しなくてもよくなるようなので読み始めだけでよいようです。)
また学生時代、講義はわかり過ぎてると退屈で眠くなるし、わからなすぎると意味不明で眠くなるということもありました。
これらのことから、言語を聞き取って/読み取って意味を解釈する部分と、受け取った内容について考えたりする部分の処理速度が程よくマッチしてないと眠くなるのではないかと感じていました。
ここから最近では、脳内各部の使われ方が偏ってくると脳の遣われ方を監視している脳内の部分によって「堂々巡り」にハマっていると誤検知され、「飽きた」状態になって疲労を感じた結果眠くなってしまうんではないかと思っています。(「飽きる」と「疲労」の感覚の関連についてのネタ元は「心の社会」マーヴィン・ミンスキー著、安西 祐一郎 訳、産業図書、1990/07)例えば、上記のケースではほどよく処理速度がマッチしていれば、脳内で聞き取る/読み取る部分と思考する部分に適度に処理が散るから誤検知を避けられると考えるわけです。
で、適度にノイズがあるとその刺激に注意を持ってかれて軽く「気が散る」ことで脳内のアチコチが活性化されて「堂々巡り状態」と誤検知されなくなって眠くならずに済むんではないかなと。もしかすると貧乏ゆすりなんかも実はそういう刺激になっていたりしないかなと。