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英語版は、既に記事が多くて内容も充実してるように思う。細かい部分とか、言い回しがどうこうとか、どこまで正確かは、私の英語力が乏しいので私には判断できない。
日本語版に関しては、・要出典だらけの記事、書きかけの記事が目立つ・分野によっては非常に充実しているのだが、分野によってはあんまり充実していない・百科事典にしては、無駄な言い回しが多い気がしなくもないなど、まだ終盤に入るには早いかなぁ。
個人的には、根本的治療が必要な時代に突入しているように思います。
>要出典だらけの記事、書きかけの記事が目立つ元情報が雑誌やかつて存在したサイトの場合、既に無くなっている物も多く、その書かれたタイミングでは、ごく当たり前のことでも時間がたってから、(最近の要出典の流行により)要出典が貼られていたり今現在でもその地方では当たり前のことでも、サイトに書かれていなかったら「出典がないから認めない。」ような風潮があったり。
>分野によっては非常に充実しているのだが、分野によってはあんまり充実していないこれは以前にここ(スラド)に理由を書いた人がいたはず。自
あなたの言っていることは、ほとんどユーザー側のミスというか勘違いというか……なので、「根本的治療」などとWikipediaの方針・規則に問題があるかのように言ってしまうのはおかしい。
>その書かれたタイミングでは、ごく当たり前のことでも>時間がたってから、(最近の要出典の流行により)要出典が貼られていたり>今現在でもその地方では当たり前のことでも、サイトに書かれていなかったら>「出典がないから認めない。」ような風潮があったり。
百科事典に載せるようなレベルの事柄ならどこかに出典がある(評論なりなんなりの形で世に出ている)はず、逆に言えば、出典が無いならそれは世界的にどうでもいい瑣末なことで、従って百科事典に載せるレベルの内容ではないというのがWikipediaにおける出典というものの捉え方。公的な情報が一切無い事柄を「当たり前のこと」で押し通そうという考えが無理筋。我々が普段「常識で考えればわかる」で済ませていることだって、探せばそれなりの出典が見つかる。「当たり前だから」と出典を省いた者の手抜かり。
> 自分の知っている(最先端の知識ではない)情報で、巻き戻しをされてしまい> 書かなくなった。と。
説明すりゃいいし、すべき。半可通に差し戻されてさっさと止めてしまうような人間なら問題解決は話し合いで、という理念のWikipediaにはそもそも不向き。その理念・方針を知った上で編集に参加しているはずなのだから、これはWikipediaの問題ではなく個人の問題。
>「本来の百科事典ではこの位の情報しかないのだから、この位の量にまとめるべき!」>ってノートが書かれてるページがあって、ものすごく引く。
そんなこと言ってるノートが特異でおかしいのであって、Wikipedia全体としては> 本の百科事典よりも、もっと多くの情報があるのが> webの百科事典のwikipediaの形だと思っているんですけどという考えが一般的。↑の通り言ってしまえば、正当性のある反論などなかろう。
> ついでに言うと、IPユーザーは引っ込んでろ。ノートの議論に参加するな。> みたいな風潮がまたひどい。
「風潮」と言うとそれがWikipediaのID大半の考えであるかのように読めるが、そんなのは少数派だ。出典は無いが。だいたいそういうこと言い出すIDはその場で他の人間から突っ込まれるし、後にそのIDが取り沙汰されたときにも糾弾ネタとして使われたりするので基本的にはカウンターが効いている。また、IPはそんな戯言を無視して発言し続けてしまえば済む。議論の結果が変わるわけでもないし、問題ない。
> 編集をするタイミング以外、>「このページにはノートがあります」とか「編集制限中です」とか>出ないようにして欲しい。
優先順位を考えて欲しい。メッセージが出ていれば、ノートであれこれ話し合っていることを知らない人が、その話し合いの存在に気づく。記事を読んでみた⇒ノートで議論しているようだ⇒その疑問の答えなら知っている⇒議論参加で解決という流れが成り立つ。一方、メッセージが出ない場合は、何がしか記述しようとしている人間で無いと、議論に気がつかなくなる。これは閲覧者が読み易いという以外のメリットが無い。読みやすいにこしたことはないが、(比較的)急務ではない。Wikipediaは百科事典の作成が目的なのだから、記事内の問題解決や内容充実を優先するのは当然のこと(←ソースは方針)で、メッセージはむしろ目立って結構。読み易さなんてものはその後で考えればよい。あるいは同時進行でもいいが、少なくとも優先事項ではない。
> 「根本的治療」などとWikipediaの方針・規則に問題があるかのように言ってしまうのはおかしい。別に「Wikipediaの方針・規則に問題がある」とは書いてないからいいんじゃない?
> ほとんどユーザー側のミスというか勘違いというかそれを根本的に直す必要があるのでは?あなたの考えはWikipediaを使っている(見ている)一般ユーザーには伝わってませんよ?
>別に「Wikipediaの方針・規則に問題がある」とは書いてないからいいんじゃない?ユーザー個人の話をせず、「Wikipedia」を指して話しているところで「根本的治療」などと言い出せばそれはWikipediaの根本に問題がある、という意見に読める。Wikipediaの根本と言えば、方針や規則のことだ。
> それを根本的に直す必要があるのでは?> あなたの考えはWikipediaを使っている(見ている)一般ユーザーには伝わってませんよ?この場で一般ユーザーなど無関係だろ。元ACに向けて言っている。元ACが言っているのは結局「Wikipediaは自分好みのスタイルになってほしい」ということであり、それを根本的治療が必要な状態などと捉えるのは誤り。
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
英語版の話だよね? (スコア:1)
英語版は、既に記事が多くて内容も充実してるように思う。
細かい部分とか、言い回しがどうこうとか、どこまで正確かは、私の英語力が乏しいので私には判断できない。
日本語版に関しては、
・要出典だらけの記事、書きかけの記事が目立つ
・分野によっては非常に充実しているのだが、分野によってはあんまり充実していない
・百科事典にしては、無駄な言い回しが多い気がしなくもない
など、まだ終盤に入るには早いかなぁ。
1を聞いて0を知れ!
Re: (スコア:0)
個人的には、根本的治療が必要な時代に突入しているように思います。
>要出典だらけの記事、書きかけの記事が目立つ
元情報が雑誌やかつて存在したサイトの場合、既に無くなっている物も多く、
その書かれたタイミングでは、ごく当たり前のことでも
時間がたってから、(最近の要出典の流行により)要出典が貼られていたり
今現在でもその地方では当たり前のことでも、サイトに書かれていなかったら
「出典がないから認めない。」ような風潮があったり。
>分野によっては非常に充実しているのだが、分野によってはあんまり充実していない
これは以前にここ(スラド)に理由を書いた人がいたはず。
自
Re:英語版の話だよね? (スコア:1, すばらしい洞察)
あなたの言っていることは、ほとんどユーザー側のミスというか勘違いというか……なので、
「根本的治療」などとWikipediaの方針・規則に問題があるかのように言ってしまうのはおかしい。
>その書かれたタイミングでは、ごく当たり前のことでも
>時間がたってから、(最近の要出典の流行により)要出典が貼られていたり
>今現在でもその地方では当たり前のことでも、サイトに書かれていなかったら
>「出典がないから認めない。」ような風潮があったり。
百科事典に載せるようなレベルの事柄ならどこかに出典がある(評論なりなんなりの形で世に出ている)はず、
逆に言えば、出典が無いならそれは世界的にどうでもいい瑣末なことで、従って百科事典に載せるレベルの内容ではない
というのがWikipediaにおける出典というものの捉え方。
公的な情報が一切無い事柄を「当たり前のこと」で押し通そうという考えが無理筋。
我々が普段「常識で考えればわかる」で済ませていることだって、探せばそれなりの出典が見つかる。
「当たり前だから」と出典を省いた者の手抜かり。
> 自分の知っている(最先端の知識ではない)情報で、巻き戻しをされてしまい
> 書かなくなった。と。
説明すりゃいいし、すべき。
半可通に差し戻されてさっさと止めてしまうような人間なら
問題解決は話し合いで、という理念のWikipediaにはそもそも不向き。
その理念・方針を知った上で編集に参加しているはずなのだから、
これはWikipediaの問題ではなく個人の問題。
>「本来の百科事典ではこの位の情報しかないのだから、この位の量にまとめるべき!」
>ってノートが書かれてるページがあって、ものすごく引く。
そんなこと言ってるノートが特異でおかしいのであって、Wikipedia全体としては
> 本の百科事典よりも、もっと多くの情報があるのが
> webの百科事典のwikipediaの形だと思っているんですけど
という考えが一般的。↑の通り言ってしまえば、正当性のある反論などなかろう。
> ついでに言うと、IPユーザーは引っ込んでろ。ノートの議論に参加するな。
> みたいな風潮がまたひどい。
「風潮」と言うとそれがWikipediaのID大半の考えであるかのように読めるが、そんなのは少数派だ。出典は無いが。
だいたいそういうこと言い出すIDはその場で他の人間から突っ込まれるし、
後にそのIDが取り沙汰されたときにも糾弾ネタとして使われたりするので
基本的にはカウンターが効いている。また、IPはそんな戯言を無視して発言し続けてしまえば済む。
議論の結果が変わるわけでもないし、問題ない。
> 編集をするタイミング以外、
>「このページにはノートがあります」とか「編集制限中です」とか
>出ないようにして欲しい。
優先順位を考えて欲しい。
メッセージが出ていれば、ノートであれこれ話し合っていることを知らない人が、その話し合いの存在に気づく。
記事を読んでみた⇒ノートで議論しているようだ⇒その疑問の答えなら知っている⇒議論参加で解決
という流れが成り立つ。
一方、メッセージが出ない場合は、何がしか記述しようとしている人間で無いと、議論に気がつかなくなる。
これは閲覧者が読み易いという以外のメリットが無い。読みやすいにこしたことはないが、(比較的)急務ではない。
Wikipediaは百科事典の作成が目的なのだから、記事内の問題解決や内容充実を優先するのは当然のこと(←ソースは方針)で、
メッセージはむしろ目立って結構。
読み易さなんてものはその後で考えればよい。あるいは同時進行でもいいが、少なくとも優先事項ではない。
Re: (スコア:0)
> 「根本的治療」などとWikipediaの方針・規則に問題があるかのように言ってしまうのはおかしい。
別に「Wikipediaの方針・規則に問題がある」とは書いてないからいいんじゃない?
> ほとんどユーザー側のミスというか勘違いというか
それを根本的に直す必要があるのでは?
あなたの考えはWikipediaを使っている(見ている)一般ユーザーには伝わってませんよ?
Re: (スコア:0)
>別に「Wikipediaの方針・規則に問題がある」とは書いてないからいいんじゃない?
ユーザー個人の話をせず、「Wikipedia」を指して話しているところで「根本的治療」などと言い出せば
それはWikipediaの根本に問題がある、という意見に読める。
Wikipediaの根本と言えば、方針や規則のことだ。
> それを根本的に直す必要があるのでは?
> あなたの考えはWikipediaを使っている(見ている)一般ユーザーには伝わってませんよ?
この場で一般ユーザーなど無関係だろ。元ACに向けて言っている。
元ACが言っているのは結局「Wikipediaは自分好みのスタイルになってほしい」ということであり、
それを根本的治療が必要な状態などと捉えるのは誤り。