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子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥、道之以徳、齊之以禮、有恥且格
顔が見えない存在との議論を嫌悪する気持ちはわからなくもないですが、相手の顔が見えない市場のモラルの話がいつの間にか相手を見て物を言う話になってしまうのは、正直困りものですね。
確かにモラルが重要な場面も社会にはあるでしょうが、市場のように厳格なルールが定められている場所で主観的なモラルを重視しすぎるのは、行き過ぎた情緒主義の弊害を招きませんか? それの最悪ケースのひとつが、敬遠作戦を実行した高校生たちをマスメディアまでが全国的な包囲網を敷いて叩いた、かの超集団的イジメ事件でしょう。「ピッチャーゴロを打って全力疾走するのはいいが、敬遠はけしからん」という主張に類する主観主義は、ある意味、お金で解決する話よりも恐い面があります。
すでに多数の指摘があるように、他のプレーヤーのミスに乗じるのは、スポーツの世界でもフェアプレーの範疇として認められていることです。まして経済には『機会損失』という概念があり、利益を得る機会をみすみす逃すのは損をするのと同じ、という考え方が定着しています。それにこの件では、モラルを中途半端に説いたところで、誰も抜け駆けしない、という保証がなければ意味がありません。まして、みずほや東証の手抜かりが市場を撹乱させたことは厳然たる事実ですよ。そのしっぺ返しはやむを得ないと思いますが。
立場の差が解らなければ、その差を説明することできない、と言うだけです。
もとのAC氏は、別に差を知りたかったわけじゃないと思いますけど…。
これはtsuyaさんと私で、共通の立場ですよね?
まぁそうなんですが、弊害が大きくなることを『行き過ぎ』というのでしょう。それを逆にしてトートロジーっていうのはどうも。
それは、プレイヤー達とファン達の中の閉じた世界ですよね。 「野球は卑怯だからキライだ」というサッカーファンもいますね。 サッカーだってフェイントを使ったりするわけですが。
そういうサッカーファンを私は知りませんが、多分いるのでしょうね。そして、それは閉じた世界であれ、その範疇で意味のあることとして認められていることであって、別に広い世界から非難されたからといって、必ずしも動揺しなければならないものでもないでしょう。
今回の本題でいうと、市場参加者は自分のリスクを精一杯管理すべきであって、他者に頼ってはいけないし、他者に気遣いできるほど余裕のあるものでもない、という論理は、人間味が感じられないようでも、市場を公明正大に運営するルールとしては合理的ですよ。この件の場合、明らかな誤りの売り注文に応じるべきでない、というなら、では買いたい市場参加者はいくらで注文すればよかったのでしょうか。
一概に言えるものではないと思います。
もちろん一概には言えないんですが、たとえば隠し玉は走者の緊張感を高めて注意を散漫にさせようとする立派な戦術、ともいえますし、やってよい敬遠と悪い敬遠の差も明確にするのは困難でしょう。作戦批判の多くは、それが見世物だから、という理由で行われるものです。つまりこの手の批判は、特定の立場からの主観的なものであることが多いんです。それを確かめるためには、もとのAC氏のように、ではどんなやり方なら正しいのか、ということを(立場に関係なく)問うてみたくなるものではないでしょうか。それにくらべれば、市場ルールの客観性は高いと思いますよ。
定義:弊害が大きくなることを「行き過ぎ」と呼ぶ。 定義より、「行き過ぎ」ならば、弊害が大きくなっている。 何か問題でも?
…ああ、確かにそういうのを『トートロジー』と言うんでしたね…。
であれば、「立場が違う」の一言で、議論は終了でしょう。 そうしないのは何故でしょうか?
もとのAC氏に立場の内容を尋ねたのはあなたの方では? まぁ確かに私は立場の説明を求められたわけではないし、この後の方を見ても、そうするのが最善のようですね…。
困難なことは、最初からあきらめる、ということでしょうか? … 客観性は高いと思います。 しかし、客観的だから格しいとは限りません。
客観的でないものの正しさをどう説明するんです? あきらめずに待っていればいずれわかる、と信じて待たなければいけないのでしょうか? 野球ファンの立場にもいろいろあるだろうし、「敬遠はなぜ教育に悪いのか」も説明できていない(別に敬遠以外のネタでもいいけど)。
しかしまぁ、立場が違うのであれば、それで結構です。 「敬遠は教育上何も悪くない」と思う人間の立場を尊重してくださるのならば。
であれば、「立場が違う」の一言で、議論は終了でしょう。そうしないのは何故でしょうか?
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一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け -- Malcolm Douglas McIlroy
システムの事は分かりませんが (スコア:2, 興味深い)
個人投資家がたくさん居る事に、嫌悪感を覚えました。
#システムのミスなら、ジェイコムに係る取引すべて
#なかったことにしたら?と思ったり。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
儲かれば何でもありの世界なんだなあと。。。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:4, すばらしい洞察)
野球で守備がエラーをしたら誰でも進塁します。
あなたはこの光景を見て嫌悪感を覚えますか?
彼らはスポーツをやっている訳ではなく、金を儲けるのが仕事なんです。
よって当然の事をしたまでです。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:2, 興味深い)
法にさえ従っていれば、何をしてもいい、
という恥知らずをうむこと。
「法」というルールの中では、あなたの言っていることは正しい。
しかし、社会としてみた場合にそれはどうなのか?
このパラダイムの差を意識しないと。
> 野球で守備がエラーをしたら誰でも進塁します。
> あなたはこの光景を見て嫌悪感を覚えますか?
エラーの場合は嫌悪感は憶えないけど、
隠し玉とか記録達成を阻むための敬遠には
嫌悪感を憶えることはあります。
個人的には株屋がどうなろうが知ったことではありませんが。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:0)
>隠し玉とか記録達成を阻むための敬遠には
>嫌悪感を憶えることはあります。
ちなみに、
1.エラーは相手のミスに付込む行為
2.隠し玉は相手を騙す行為
3.記録達成阻止の敬遠は...なんだ?
になると思うのですけれど、何故、1には嫌悪感を憶えなくて、2,3 には嫌悪感を憶えるのでしょう?
その差は何?
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
お釈迦様も、「相手を見て法を説け」と言いましたし。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
顔が見えない存在との議論を嫌悪する気持ちはわからなくもないですが、相手の顔が見えない市場のモラルの話がいつの間にか相手を見て物を言う話になってしまうのは、正直困りものですね。
確かにモラルが重要な場面も社会にはあるでしょうが、市場のように厳格なルールが定められている場所で主観的なモラルを重視しすぎるのは、行き過ぎた情緒主義の弊害を招きませんか? それの最悪ケースのひとつが、敬遠作戦を実行した高校生たちをマスメディアまでが全国的な包囲網を敷いて叩いた、かの超集団的イジメ事件でしょう。「ピッチャーゴロを打って全力疾走するのはいいが、敬遠はけしからん」という主張に類する主観主義は、ある意味、お金で解決する話よりも恐い面があります。
すでに多数の指摘があるように、他のプレーヤーのミスに乗じるのは、スポーツの世界でもフェアプレーの範疇として認められていることです。まして経済には『機会損失』という概念があり、利益を得る機会をみすみす逃すのは損をするのと同じ、という考え方が定着しています。それにこの件では、モラルを中途半端に説いたところで、誰も抜け駆けしない、という保証がなければ意味がありません。まして、みずほや東証の手抜かりが市場を撹乱させたことは厳然たる事実ですよ。そのしっぺ返しはやむを得ないと思いますが。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
この場合は、そういう話ではありません。
立場の差が解らなければ、その差を説明することできない、と言うだけです。
嫌悪感とはまったく関係ありません。
> 行き過ぎた情緒主義の弊害を招きませんか?
行き過ぎたものは弊害を招きます。
これは、トートロジーに近いものでしょう。
私は、法治主義を批判しましたが、
法治主義を全否定してはいません。
道徳の必要性を主張しましたが、
道徳だけでうまく行くとは主張していません。
これはtsuyaさんと私で、共通の立場ですよね?
> 他のプレーヤーのミスに乗じるのは、スポーツの世界
> でもフェアプレーの範疇として認められていることです。
それは、プレイヤー達とファン達の中の閉じた世界ですよね。
「野球は卑怯だからキライだ」というサッカーファンもいますね。
サッカーだってフェイントを使ったりするわけですが。
隠し玉や記録阻止のためだけの敬遠は、その閉じた世界ですら批判されますね。
武道の世界で言うと、試合ルール内の行動といえども、
ポイント勝ちだけを狙う作戦が批判されたりもします。
一概に言えるものではないと思います。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
もとのAC氏は、別に差を知りたかったわけじゃないと思いますけど…。
まぁそうなんですが、弊害が大きくなることを『行き過ぎ』というのでしょう。それを逆にしてトートロジーっていうのはどうも。
そういうサッカーファンを私は知りませんが、多分いるのでしょうね。そして、それは閉じた世界であれ、その範疇で意味のあることとして認められていることであって、別に広い世界から非難されたからといって、必ずしも動揺しなければならないものでもないでしょう。
今回の本題でいうと、市場参加者は自分のリスクを精一杯管理すべきであって、他者に頼ってはいけないし、他者に気遣いできるほど余裕のあるものでもない、という論理は、人間味が感じられないようでも、市場を公明正大に運営するルールとしては合理的ですよ。この件の場合、明らかな誤りの売り注文に応じるべきでない、というなら、では買いたい市場参加者はいくらで注文すればよかったのでしょうか。
もちろん一概には言えないんですが、たとえば隠し玉は走者の緊張感を高めて注意を散漫にさせようとする立派な戦術、ともいえますし、やってよい敬遠と悪い敬遠の差も明確にするのは困難でしょう。作戦批判の多くは、それが見世物だから、という理由で行われるものです。つまりこの手の批判は、特定の立場からの主観的なものであることが多いんです。それを確かめるためには、もとのAC氏のように、ではどんなやり方なら正しいのか、ということを(立場に関係なく)問うてみたくなるものではないでしょうか。それにくらべれば、市場ルールの客観性は高いと思いますよ。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
> それを逆にしてトートロジーっていうのはどうも。
「どうも」と言われても。実際そうでしょう?
定義:弊害が大きくなることを「行き過ぎ」と呼ぶ。
定義より、「行き過ぎ」ならば、弊害が大きくなっている。
何か問題でも?
> 必ずしも動揺しなければならないものでもないでしょう。
であれば、「立場が違う」の一言で、議論は終了でしょう。
そうしないのは何故でしょうか?
> やってよい敬遠と悪い敬遠の差も明確にするのは困難でしょう。
困難なことは、最初からあきらめる、ということでしょうか?
> この手の批判は、特定の立場からの主観的なものであることが多いんです。
しかしまあ、例えばプロ野球であれば、
特定の立場から主観的に批判を加えるファンを満足させねばなりませんし、
高校野球であれば、高校教育と切り離して考えるわけにはいきません。
> 市場ルールの客観性は高いと思いますよ。
客観性は高いと思います。
しかし、客観的だから格しいとは限りません。
ルールが客観的でありさえすれば、
どんな弊害があってもそのルールを変更しない、
と言うわけではありませんから。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
…ああ、確かにそういうのを『トートロジー』と言うんでしたね…。
もとのAC氏に立場の内容を尋ねたのはあなたの方では? まぁ確かに私は立場の説明を求められたわけではないし、この後の方を見ても、そうするのが最善のようですね…。
客観的でないものの正しさをどう説明するんです? あきらめずに待っていればいずれわかる、と信じて待たなければいけないのでしょうか? 野球ファンの立場にもいろいろあるだろうし、「敬遠はなぜ教育に悪いのか」も説明できていない(別に敬遠以外のネタでもいいけど)。
しかしまぁ、立場が違うのであれば、それで結構です。 「敬遠は教育上何も悪くない」と思う人間の立場を尊重してくださるのならば。
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
バカを見ると独裁者というのはやっぱり必要だな
Re:システムの事は分かりませんが (スコア:1)
その通りです。
しかし、それが解ったからと言って議論は進まないと思います。
そんなことよりも先に、 に答えてください。
そうすれば、議論が進みます。
> 客観的でないものの正しさをどう説明するんです?
まず、「客観的だから格しいとは限らない」ということを確認してください。
そうでなければ、議論が発散します。
確認していただいた上でなら、
上の引用についての議論に応じる準備があります。
> 「敬遠はなぜ教育に悪いのか」も説明できていない
誤解の無いように正確に引用して欲しいのですが、
私は、敬遠全般が悪い、と書いた憶えはありません。
記録阻止のためだけの敬遠はよくないのではないか、
とは書きましたが。