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たれ込みのリンク先を読むと、「市町村人権・同和問題啓発活動推進本部連絡 協議会」が運営しまたその協議会の談話には「奈良発祥の全国水平社の奮闘」 をたたえる記述があるので、暇人どころかもの凄く本気であることが窺えます。
差別は社会的な暴力です。
違いがあろうがなかろうが、根拠があろうがなかろうが、社会的に優位にある者が、その社会的優位性を背景に弱者を虐げればそれが差別になります。
たとえば入社試験において、学歴だけを審査し、実際の能力を審査しなければ、それは学歴差別に他なりません。
無職の人間が大企業の役員に対して「へっ、あくせく働きやがって」と毒づいても、それは差別にはなりません。弱者が強者を差別することはできないんです。
#「じゃあ北海道に来いよ」と一瞬思うんだが
いわれのない理由で移住を強制されたとして、それで「解決」だと当人たちが思うとでも?
学歴だけで審査されることが差別であるのなら、大学入試という制度自体が間違っているとでもいいたいんですか?
いいえ。大学ってところは就職予備校でもなければ人材派遣所でもありませんでしょ? 企業人としての能力を査定して不適格者は退学にする大学でもあるんですか? 大学はあくまでも学問をする場所のはずです。もしかして、あなたは学歴差別という言葉自体がナンセンスだと言いたいのですか?
じゃあ、なんでそういう言葉があるのですか?
学歴差別というのは妄想に過ぎない、という見解があるのは承知しましたが同意できません。
能力で区別しているのだ、ということであればドイツのように資格試験をもっともっと重視していくべきでしょう。ある学校を卒業したことが企業に必要な技能・知識をもっていることを保証するわけではないでしょう、ということです。
進学したくてもできなかった人がその後の努力で技能・知識を修得しても、そんなものは評価に値しないってことですね?
学歴「重視」と学歴「差別」は違うんじゃないんですか?
(それはそれで勿論問題だが)その話じゃなく、 「地元では差別されてる人たち」が差別される理由(となる連中つまり加害者)は、北海道には居ないでしょ?という話。
それとも、新たにやってきた見知らぬ人々に対して、既存北海道人は 「あいつらはHogehoge被差別人だ」と初対面からいきなり差別意識を持つであろう、とでも思ってるんですか?
僕が20年ほど前に住んでいた埼玉県某所では、被差別部落が存在していました。農地と雑木林の片隅に、日当たりと水はけの悪い、舗装も施されていない集落がありました。ほったて小屋のような家が建っており、中に入ってみれば風雨が入ってくることがわかります。僕の友人たちの中にそこの住人がいたわけです。小学生のときに、僕は新興住宅地に住んでいたのですが、地元の農家の子供たちが「あそこの連中とは付き合ってはいけない」と言っていました。親に教えられたのでしょう。貧困ゆえに高校に進学できない者が多かったです。就職においてもさまざまな不利があることは想像に難くありません。転居して以来、そこがどうなったか確認してはいません。しかし、彼らが自力でそれらの状況を変えるのは容易ではないだろうと思えます(就業に困難を抱えている彼らの貧困を彼ら自身で解決することは難しいし、貧困である以上、住環境を改善することはできません)。なるほど、彼らを他所に移住させ、そこに工場か何かを誘致すれば「風化」するかも知れません。しかし、それは彼らの存在を「なかった」ことにしただけのことでしょう。彼らの存在を地域が「受け入れ」ていかなければ差別問題の解決はないと思います。そのためには積極的な交流以外にないと思うのです。
本気でそう思っているなら、差別問題を解決して運動家を困らせてはどうですか。
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私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson
奈良には随分と (スコア:0)
# 差別発言かもしれないのでAC
Re:奈良には随分と (スコア:1)
たれ込みのリンク先を読むと、「市町村人権・同和問題啓発活動推進本部連絡
協議会」が運営しまたその協議会の談話には「奈良発祥の全国水平社の奮闘」
をたたえる記述があるので、暇人どころかもの凄く本気であることが窺えます。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
かいってるけど、差別がなくなったらどうなるんだろう
ね? 本当に苦しんでいる方には申し訳ないが、彼らって
「部落差別ゴロ」でしょ?飯の種がなくなったら本気で
困ると思うんだが。
# 差別と区別は違うと思っているので AC.
# もちろん、部落差別はなくすべきだと思っているが。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
ダチによると、差別と区別の違いは、
区別は、違いを見る
差別は、違いを見ない
なのだそうだ。
確かに、観察することを放棄して、
(例えば)有りもしない「違い」を勝手に有ると思い込んだり決め付けてるのが
いわゆる差別っていう状況だよなあ。
というわけで、見ましょう…ってことなんだと思う。
きっと自分らと同じ人間がそこに居るだけなんだから。
違いが全く無いわけじゃないとしても、それはきっと人間の尊厳とは無関係な違いでしかないはずだから。
#「じゃあ北海道に来いよ」と一瞬思うんだが、数万人単位で移民してくると、「差別意識」も込みで運ばれてきちゃうかも知れないなあ。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
差別は社会的な暴力です。
違いがあろうがなかろうが、根拠があろうがなかろうが、社会的に優位にある者が、その社会的優位性を背景に弱者を虐げればそれが差別になります。
たとえば入社試験において、学歴だけを審査し、実際の能力を審査しなければ、それは学歴差別に他なりません。
無職の人間が大企業の役員に対して「へっ、あくせく働きやがって」と毒づいても、それは差別にはなりません。弱者が強者を差別することはできないんです。
いわれのない理由で移住を強制されたとして、それで「解決」だと当人たちが思うとでも?
...芸というものは一生勉強だと思っています...
Re:奈良には随分と (スコア:0)
学歴だけで審査されることが差別であるのなら、大学入試という制度自体が
間違っているとでもいいたいんですか?
かの福沢諭吉も「天は人の上に人を作らず」と書
Re:奈良には随分と (スコア:1)
いいえ。大学ってところは就職予備校でもなければ人材派遣所でもありませんでしょ? 企業人としての能力を査定して不適格者は退学にする大学でもあるんですか? 大学はあくまでも学問をする場所のはずです。もしかして、あなたは学歴差別という言葉自体がナンセンスだと言いたいのですか?
...芸というものは一生勉強だと思っています...
Re:奈良には随分と (スコア:0)
あたりまえです。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
じゃあ、なんでそういう言葉があるのですか?
...芸というものは一生勉強だと思っています...
Re:奈良には随分と (スコア:0)
実際には能力で区別されてる場合がほとんどなのにね。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
と言うことを頭から信じ切っていらっしゃるのは、個人の勝手ですが。
そういった人権ファシズムに乗せられてるだけ、という可能性を少しは考慮した方がよろしいかと。
「差別は完全に存在しており(略」に対してファナティックになっている限り、この話は宗教論議と同じです。スタートラインにすら上れないと思いますよ。
#まぁ、私もリア工房くらいまでは信じ切っておりましたが。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
企業としては、入社した人には戦力になってもらいたいのですよ。
3流大学よりは1流大学の方がハズレを引く確率が低いでしょ?
高卒よりは大卒の方が専門的なことをいろいろ知っていることが
期待できるでしょ?
身体障害者なら何%雇わなければならないというのがありますが、
バカを何%雇えという法律はないしね。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
あなたが当事者になる可能性を少しは考慮したら?
(親とか配偶者とか子供とか)
差別は同和問題に限りませんよ。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
それが「いいですか、皆さん。人の身になって考えてみましょう」に結びつく意味がわかんないんですけど。
つーか・・・
同和利権を肯定する方って、論点をずらす・ぼかす・拡大解釈する方が非常に多いような気がするのは私だけでしょうか?
Re:奈良には随分と (スコア:0)
そこまで問題を低レベルな物にしたいんですか?
そもそも、福沢諭吉を取り上げた事で、あなたの
質問の全ての答えになっていると思うんですが?
Re:奈良には随分と (スコア:1)
学歴差別というのは妄想に過ぎない、という見解があるのは承知しましたが同意できません。
能力で区別しているのだ、ということであればドイツのように資格試験をもっともっと重視していくべきでしょう。ある学校を卒業したことが企業に必要な技能・知識をもっていることを保証するわけではないでしょう、ということです。
進学したくてもできなかった人がその後の努力で技能・知識を修得しても、そんなものは評価に値しないってことですね?
...芸というものは一生勉強だと思っています...
Re:奈良には随分と (スコア:1)
> ことを保証するわけではないでしょう
その通り。
しかし、一流大学を卒業した人間は、三流・四流大学を卒業した奴より、「与えられた課題をクリアしていく」という、企業が最低限必要としている能力を持っていると考えられています。社会に出れば難しい課題が山積みなのに、それよりずっと簡単な学校で与えられる課題を高度にクリアできない奴らに、何を期待できるというのか。学歴重視ってのは、そういう考え方なのですよ。
え?私ですか?一流大学を出たわけじゃありませんが、学歴だけは高いですよ。現状はダメ社会人ですけど(笑)。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
学歴「重視」と学歴「差別」は違うんじゃないんですか?
Re:奈良には随分と (スコア:1)
同じ物事の違う呼び名に過ぎないでしょう。
もちろん、就職した後に学歴が高いというだけで仕事上の実績も上がらないのに優遇されている例なんていうのがあれば、学歴重視でなく、学歴差別と呼ぶべきでしょうが、そういうレベルの低い議論ではありませんよね。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
> 違いますよ。
どこがどのように違うのか、説明がありませんね。説明できないということでよろしいでしょうか?
#学歴に恨みでも?(笑)
イデオロギー (スコア:1)
> (例えば)有りもしない「違い」を勝手に有ると思い込んだり決め付けてるのが
> いわゆる差別っていう状況だよなあ。
観察すると、やっぱり違いがあるって場合も現実にはあるんだよな、しかし。
イデオロギーによって、それにいろんな理由付けして、その違いを「見ない」様にして、「差別すべきでない」という結論に持ち込む人は多いけど。
> 違いが全く無いわけじゃないとしても、それはきっと人間の
> 尊厳とは無関係な違いでしかないはずだから
それはイデオロギー論でしかないな。「しかないはず」あたりにイデオロギーの臭いがしますね。「であるべき」というイデオロギーが先にあるから、現実を見ようとしないで「しかないはず」という結論を持ち込んでしまうんだな。
差別が良いとか悪いとか、そういうこととは別に、「見る・見ない」を軸に批判しようとするなら、自分の立場もしっかり「見」なおして、自分が「見ない」立場に立っていないか確認すべきでしょう。
Re:イデオロギー (スコア:1)
そんなこと私に反論されても困りますけど。違いを持ち出したのは私ではないですし。
> 差別をしたい立場の人間は違いを有ると決める事により受け入れ
> ない理由とするってだけなんで。
逆に、差別を撤廃したい人の中に、違いが無いと決め付けることによって、差別を不当なものだと主張する人もいますね(#338553のACさんがそうだと言っているわけではありません)。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
北海道には既にアイヌの問題があるでしょ?
“アイヌ”でぐぐっていくつかたどってみた限りでは、当事者たちはかなり苦労してるようですけど。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
(それはそれで勿論問題だが)その話じゃなく、
「地元では差別されてる人たち」が差別される理由(となる連中つまり加害者)は、北海道には居ないでしょ?という話。
それとも、新たにやってきた見知らぬ人々に対して、既存北海道人は
「あいつらはHogehoge被差別人だ」と初対面からいきなり差別意識を持つであろう、とでも思ってるんですか?
Re:奈良には随分と (スコア:1)
本当に残念ですが、それは違うと思います。
彼らには元々、「差別される理由」などありません。
そして、理由がないからこそ深刻なのです。
そう考える人がいるかもしれません。あるいは、いないかも。
たぶん、北海道人とか内地人とか、あまり関係ないのではないでしょうか。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
それもないとは言わない。アイヌの問題片付けられない人たちにそんな度量があるのか?って不安はぬぐえないですもの。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
北海道なんて別の差別問題が残ってるところを引き合いにするからややこしくなるんだよ。
この場合一番いいのは、あちこちから入り混じって"歴史"のなくなりつつある東京だろうに。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
> 「あいつらはHogehoge被差別人だ」と初対面からいきなり差別意識を持つであろう、とでも思ってるんですか?
同和教育で教えられるのは、この手の差別問題です。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
度量もなにも、相手が「誰」だか知らなければ差別のしようもないでしょ?、という話です。
アイヌ差別が始まったのは、相手が誰だか「知ってた」からであって。
Re:奈良には随分と (スコア:1)
歴史の問題だというなら、北海道人とその人々との、出会いの「歴史」は無いんですけど。
もし混ぜれば済むのならば、何処へ混ぜても同じでしょ。今までの悪しき繋がりを切れる新天地なら。
だから、北海道で駄目だというなら、東京だってOKとは思えません。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
(でも知らないから差別しないだけで何かのはずみで知ってしまったらするんでしょうね。そういう人たちの住むところらしいし。)
自分が差別されなくなっても、そこに存在する別の
Re:奈良には随分と (スコア:0)
ちょっとびっくりしたね。
「だってあいつら、見ればわかるもん。」
#友人は差別する側なのでAC
石投げたとも言ってたな。
石投げる環境で育った人と石を投げない環境で育った人は
理解し合えないかもしれない。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
>困ると思うんだが。
なるほど。こういう書き込みに対してどう啓発するかが課題なんだな。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
「言葉狩り」
といえば、
何いっても許されると勘違いしているなら
今すぐ考え直したほうがいいですよ。
> 彼らって「部落差別ゴロ」でしょ?
> 飯の種がなくなったら本気で困ると思うんだが。
つまり、
本気で差別と向き合おうとしているということなのでは。
方法はともかく。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
>> 飯の種がなくなったら本気で困ると思うんだが。
>
>つまり、
>本気で差別と向き合おうとしているということなのでは。
>方法はともかく。
面白い事言うねぇ。
おもしろおかしいでもあげて欲しいよ。
部落差別問題って (スコア:2, すばらしい洞察)
差別する人たちがいる
差別されている人たちがいる
という状況を改善しようとする。
これはココロザシとして正しい。
しかしながら、
方法論は「暴力」である。
なぜならば、それが手っ取り早いから。
で、たとえば、この方法論によって差別がなくなったとする。
差別する人がいなくなる
差別される人がいなくなる
結果として暴力を行使することを職業にしていた人が失職する。
だから、失職しないために差別を残す工夫をする。なぜならば、差別されるほうの人でこれを職業にしている人も多かったから。そして、これ以外を職業にできるほど器用でもない人もとても多い。これは同情に値することではあるけれど。
その工夫の結果として「過剰な暴力」を道具として使う。
そこで、差別する人を再生産しておき、結果として差別される人も再生産される。そしてこの構造は維持される。世の中すべてうまくいくが、本当の意味での差別解消にはならない。
うーん、これはビジネスモデル特許を取っておくといいんじゃないかと思うな。
京都とか奈良って、行政がこの特許を取得しておくと、関西圏の経済復興にも役に立つと思いますよ。
いや、ホント。
Re:奈良には随分と (スコア:0)
過剰な啓蒙運動は、忘れかけてた嫌な思い出を呼び起こす危険性があることも知ってて欲しいですね。
「何もしなければなくならない」状況なら頑張って運動する意義はあるけど、「何もしなければ風化して
差別は風化するものではない (スコア:2, すばらしい洞察)
また、一般論としても、差別は「風化して消え去る」ものではないと思います。常に人権意識を高く持たないと、少数者が差別されることがよくあります。
Re:差別は風化するものではない (スコア:1)
うるさいようですが、基本的に私の周囲では生まれて二十ウン年、
聞いたことがないです。私の親も曰く「もうそんな時代じゃない」。
故に、人権教育といわれてもぴんとこないかもしれません。
実感として、ここにすんでいて、東京に行っていたりすると
「被差別部落」等は遠い世界の異様な出来事としか…。
# 関西にご在住の方、ごめんなさい。
HIKARU
Re:差別は風化するものではない (スコア:1, すばらしい洞察)
逆に同和教育で「いまだに過去を引きずっている馬鹿馬鹿しいやつら(差別者と解放同盟)」が
反面教師になってることも考えると、やってもやらなくて変わらない→やったほうがましか? なのかもしれませんけどね。
#ちっちゃいころは利権にまでは思い至らなかった
#同和教育をするなら同和利権についても教育したほうがいいよな
Re:差別は風化するものではない (スコア:0)
「三つ子の魂百まで」
子供はそういう大人に囲まれて育つ
という感じですか?
Re:差別は風化するものではない (スコア:0)
実際に目の当たりにした事もありません
単に「部落怖い」というトラウマを刷り込まれただけでした
子供心に「こんなとこで差別を教え込まなければ
Re:差別は風化するものではない (スコア:0)
会社をフィルターにして社会を考えている立場なら関係ないでしょうが、やはりこういうことは意識せざるを得ないです。
Re:差別は風化するものではない (スコア:0)
「差別する側に回らないように」なのか、「部落出身者と係わって
評判が落ちることを気にして」なのかが読み取れなかったので。
Re:差別は風化するものではない (スコア:2, 興味深い)
僕が20年ほど前に住んでいた埼玉県某所では、被差別部落が存在していました。農地と雑木林の片隅に、日当たりと水はけの悪い、舗装も施されていない集落がありました。ほったて小屋のような家が建っており、中に入ってみれば風雨が入ってくることがわかります。僕の友人たちの中にそこの住人がいたわけです。小学生のときに、僕は新興住宅地に住んでいたのですが、地元の農家の子供たちが「あそこの連中とは付き合ってはいけない」と言っていました。親に教えられたのでしょう。貧困ゆえに高校に進学できない者が多かったです。就職においてもさまざまな不利があることは想像に難くありません。転居して以来、そこがどうなったか確認してはいません。しかし、彼らが自力でそれらの状況を変えるのは容易ではないだろうと思えます(就業に困難を抱えている彼らの貧困を彼ら自身で解決することは難しいし、貧困である以上、住環境を改善することはできません)。なるほど、彼らを他所に移住させ、そこに工場か何かを誘致すれば「風化」するかも知れません。しかし、それは彼らの存在を「なかった」ことにしただけのことでしょう。彼らの存在を地域が「受け入れ」ていかなければ差別問題の解決はないと思います。そのためには積極的な交流以外にないと思うのです。
...芸というものは一生勉強だと思っています...
Re:奈良には随分と (スコア:0)
で、同和教育なんてものが3年に一度くらいあるんですが、
(入社何年目とかでやっています)
> 「何もしなければ風化して消え去る」状況で敢えて運動を起こすのは得策じゃないんだし
Re:奈良には随分と (スコア:0)
>> 「何もしなければ風化して消え去る」状況で敢えて運動を起こすのは得策じゃないんだし。
>これは絶対に駄目だ、と教えられています。
なぜそのように教えられているか、考え
Re:奈良には随分と (スコア:1)
本気でそう思っているなら、差別問題を解決して運動家を困らせてはどうですか。
...芸というものは一生勉強だと思っています...
Re:奈良には随分と (スコア:0)
↓のことなんでは?
> 例えば、友人が部落出身者を嫌っていた場合、何も知らなかったら
> 自分も同調してしまうような場合を想定しているのだと思います。
他のコメントにもありますが、こういうのは免疫のない人達の
間で、親→子供→友達と感染していくことで生き残っているのだと
思います。
一度でも同和教育をして、「未だにくだらんことにこだわっている
奴がいるんだなぁ」と思わ
Re:奈良には随分と (スコア:0)
同和教育によって感染を広めていることにも気づきましょう。
たとえ免疫がなくっても感染する確率はごく低いでしょう。
#ほんとにくだらないから
同和教育で感染する確率もごく低いでしょう。
#ほんとにくだらないか
別に困らない (スコア:0)
Re:奈良には随分と (スコア:0)