パスワードを忘れた? アカウント作成
この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。

匿名発言の濫用は匿名発言の制限を招く」記事へのコメント

  • 匿名発言という行為自体を否定するわけじゃないけど、
    いざ、個人のWebの掲示板などで、個人対匿名で、意見対立する
    状況になったときなどに、個人側は何かと大変だと感じています。

    まず、匿名さんの多くは、自分が誰か特定できない安心感や、
    都合が悪くなれば、いつでも議論から逃げられるためか、
    少々挑発的な文章になりがちです。
    一方、個人の側がそういう挑発的な文章に安易に振り回され、
    感情的な反応をするのは、何かと損なことが多いので、
    ぐっと我慢しなきゃならないのが結構大変なこと。

    それと、そういう書き込みをしている相手が
    本当は何を考えているかわからない不安も大きい
    • >まず、匿名さんの多くは、自分が誰か特定できない安心感や、
      >都合が悪くなれば、いつでも議論から逃げられるためか、
      >少々挑発的な文章になりがちです。

      と書かれているのは承知の上でお尋ねしますが,

      >一方、個人の側がそういう挑発的な文章に安易に振り回され、
      >感情的な反応をするのは、何かと損なことが多いので、
      >ぐっと我慢しなきゃならないのが結構大変なこと。

      というのは,匿名者に応対するときに限った話でしょうか?
      記名していても感情的な応対はマイナスにしかならないので,
      結局は記名/匿名で応対に差はないと思えますが。

      >匿名だと一層
      • > 記名していても感情的な応対はマイナスにしかならないので,
        > 結局は記名/匿名で応対に差はないと思えますが。

        記名/匿名で応対に差がないということを言いたいのではなくて、
        議論や意見表明をする際に、匿名の場合は、感情むき出しに
        書くこともしやすいけど、記名側はなかなかそうもいかないと
        いうことを言いたいのです。説明不足で済みません。

        でも、もし、記名者が、例えば私に対して、他人も見ている
        掲示板で、感情むき出しに書くことがあれば、その人にも
        リスクが生じているわけですから、そこまでして、
        言いたいというのなら、もちろん応対も違ってきます。

        > それは
        • by ya3 (14042) on 2003年06月29日 13時24分 (#347984) 日記
          とても同感。そこへ付け加えたいのは、コミュニケーションって、たとえ掲示板等で
          文字でのやりとりをベースに行っている場合でも、ホントのとこは、直接の文字面だけに
          依存して行われてるわけじゃない、ってあたり。つまり、同じ文面の書き込みだろうと、
          書いた本人の別な発言との兼ね合い次第で意味合いが思いっきり違ってくる場合が多い
          わけで(他にはタイミング次第でも)、・・・要するに語用論の問題なんだけど、
          だからACや捨てハンの使用が行き過ぎてる場だと、議論の中だけに限らず全般的に
          意志疎通にあたっての苦労が多すぎて疲れる、というのがある。

          僕には身近に先天性のコミュニケーション障害(自閉症)の人が何人もいるんだけど、
          彼らが生まれてからずっと直面し続けている苦労って、まるで、匿名掲示板での苦労じゃ
          ないか、と思うことがあります。彼らは、健常者なら自動的にできてしまう他人の意図の
          推論が生まれつき困難で、そのため日常のごく些細なやりとりの中でも、いちいち頭を
          使って他人がなにを言いたいのか、なにをやりたいのかと「推理」しなければならない。
          知能が通常値である場合(高機能自閉、またはアスペルガー症候群の場合)は、コトバの
          直接の意味は分かる。でも、文脈情報は自然には扱えない。そのため、親や身近な人が
          声をかけてきてる時も、匿名発言を解釈する場合みたく、意識的に意味合いを探らないと
          やりとりが成立しない。「この人がこう言ってるならこういう意味だろう」というあたりが、
          すっと出てこなくて、だから代替として、コトバの直接の意味と、「こういう時にこう
          言えばこういう意味」といったお約束からのパターン認識に頼るしかない。

          ネットでの、必要に応じての匿名の価値は分かるし、僕もそれをそれなりに享受してる
          一人だけれど、行き過ぎな空間での過剰な行き違いを前にすると、そのたびに自閉者たちの
          苦労を想起して、なんだかなーと思ってしまいます。文責って、単なる制約だったり、
          リスクだったりってだけじゃないんです。他方では、恵まれたコミュニケーション手段
          なんですよ。
          親コメント
          • やはり激しく同意。自閉症との比較は興味深いです。
            言語というものは人と話すために作られたものであって、
            一つ一つの書き込みと議論するために作られたわけじゃない。
            だから、こんな不完全でも今まで何とか使えてきました。

            ただ、現状の流れは簡単には変わらないだろうな、という諦めもあります。

            面白いのは、匿名で書き込んで「これで社会的人格は傷つかない」と思っても、
            その書き込みが叩かれると、結局内面的(?)人格は傷つくんですよね。
            そのギャップも、匿名では相手には伝わりにくいです。
            名無しさんを叩いても叩いた気になれない。

            逆に、匿名……有り体に言って2chスタイルの掲示板が持っているのは
            「場の力」ですね。いわゆるスレの空気。個々人間のコミュニケーションを
            破綻させてでも成り立とうとする、何やら自律的な存在の気配を感じます。
            何の役に立つのかは、まだよく分からないのですが、究極的には「祭り」なんでしょうかね。

            だから、「匿名だから本心が出る」「言いたいだけ言える」は間違いじゃないかと。
            見えないところで傷付きながら場に流されている、というのが、
            大方の名無しさんにとっての現実だと思います。
            親コメント

アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家

処理中...