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「車輪の再発明」に人類の時間が奪われることを思うと、長期的にこそ進歩の障害になるのではないかと.
今なら、誰かが発明した車輪のために金を払うぐらいなら、再発明のためにかかるコストを受け入れる方がマシだな。100年前とは事情が違うのよ。
例のSCO/IBM訴訟の件に絡めた話だけど、 特許制度の現状を分析した記事 [zdnet.co.jp]をZDNet Japanに見つけたので、参考までに読んでみてくださいまし。
「車輪の再発明」に人類の時間が奪われることを思うと、長期的にこそ進歩の障害 になるのではないかと. 今なら、誰かが発明した車輪のために金を払うぐらいなら、 再発明のためにかかるコストを受け入れる方がマシだ
「車輪の再発明」に人類の時間が奪われることを思うと、長期的にこそ進歩の障害 になるのではないかと.
今なら、誰かが発明した車輪のために金を払うぐらいなら、 再発明のためにかかるコストを受け入れる方がマシだ
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ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ
制度の疲弊 (スコア:4, すばらしい洞察)
上に成り立っているんだから、むやみに保護するのはいかがな
ものかと思っているのは漏れだけでしょうか?
いや、弱者保護は必要だとは思います。けれど、弱者を保護
Re:制度の疲弊 (スコア:2, 参考になる)
特許制度はアイディアを隠匿せずに公開することで、発明者を保護する点と、一定期間後(15年とか20年とか)は誰でも自由に使えるようにするという人類全体の進歩に対する貢献の二つの目的があります。
ソフトウェア特許を完全に無効にしてしまうと、アルゴリズムを知られまいと実行バイナリにスクランブルをかけたり、そもそもバイナリを公開せずにWebサービス等のみで公開するような場合が増えてくるで
Re:制度の疲弊 (スコア:0)
いったん、特定の処理が可能であるとわかってしまえば、
発明者が人類に超越する天才でないかぎり、同等のアルゴリズムが
遠からず生み出されることになるのではないでしょうか。
短期的には困ることもあるかもしれませんが、
長い目で見た場合には「人類の進
Re:制度の疲弊 (スコア:0)
>微妙ではないかと思われます。
「車輪の再発明」に人類の時間が奪われることを思うと、
長期的にこそ進歩の障害になるのではないかと.
Re:制度の疲弊 (スコア:2, すばらしい洞察)
今なら、誰かが発明した車輪のために金を払うぐらいなら、再発明のためにかかるコストを受け入れる方がマシだな。100年前とは事情が違うのよ。
例のSCO/IBM訴訟の件に絡めた話だけど、 特許制度の現状を分析した記事 [zdnet.co.jp]をZDNet Japanに見つけたので、参考までに読んでみてくださいまし。
Re:制度の疲弊 (スコア:1)
「IBMが特許という核兵器をSCOに向けて発射できるという事実は、IBMがこれをほかの誰にでも向けられることを意味している。これはぞっとする話だ」という問題提起から、すぐに「核拡散」=「ソフトウェア特許訴訟合戦が他の事例にも飛び火する」という不安を抱きます。ハードウェアに関するものなら、ある程度備えが出来ている会社は多いですが、ビジネスモデル特許やソフトウェア特許は新たな防御手段を必要とするように思えます。
#SDIかTMDにでも傾注しましょうかね?
Re:制度の疲弊 (スコア:1)
今の技術は「それをモノにする」という過程で得るものがかなりありますからなぁ。
# 「断片でもいいからコードを書け」by my father
Re:制度の疲弊 (スコア:0)
それに、
> 「車輪の再発明」に人類の時間が奪われることを思うと、
といっても、誰も彼もが隠蔽に走るわけではないですよね。
FSFとかその他のあれこれとかなんかは、これまでだって
再発明を公開してきたわけでしょ? だから、やっぱり
長期的にみれば、特許より隠蔽のほうがマシ(素晴らしいとは
いわないけれど)なんじゃないですか。
特許を廃止しても隠蔽が許されるなら、意義の大きい発明の
incentiveの減少も少なくて済み、くだらん泡沫ソフトウェアに
よって生じる特許をめぐる争いとか、特許を援用した他企業
Re:制度の疲弊 (スコア:0)
やっぱり隠蔽されると困るものに入るかもしれず、
こういうのは特許によって公表された方がいいのかもしれない、
とも思いますが、一方で、このような数学的な知見に保護が
及ぶのも奇妙な気がします。ソフト
Re:制度の疲弊 (スコア:0)
Re:制度の疲弊 (スコア:1)
また、これほど情報が流通していれば、ダメな車輪はあっさり淘汰されるでしょう。
仕様が異なることを一概に悪とするのも、また間違いでしょう。利用者は利用形態に合った車輪を使う時代です。
さらに、大量に再発明される程度の車輪が実際に大量発生しても、どれほど長期的に見てもその程度の損を回収するうまい手段など無いでしょう。少なくとも特許はひどい。
総じて、「社会の損」など考えなくても良い時代に来ていると言えます。そうではなく、発見に非常なリソースと情熱と運を注ぎ込む必要がある発明を行った個人を保護しなければならない。
著作権法は、もともと、社会と個人の利益バランスを取る目的で設定されたはずですよね。
もっとも、以前、知人に同じこと(現代に著作権は不要。車輪の再発明は簡単。優位を保ちたければ、発明者は詳細を隠蔽せよ)を言われたときには、自分も素直に受け入れられなかったんですけども。著作権の意義を完全に間違って理解していたし。