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○○という言語はAという長所があり、Bという短所がある。 よって、Cという用途には向くが、Dという用途には向かない(と思う)。 私はEという特徴が好きでFという特徴は嫌いである。 よって私は○○は{好き|嫌い}である。
とかいった要素を全部漏らさず書かないと、宗教論(俺が好きなものは俺には いいものだ)になってしまうんですよね。宗教論になってしまうともう不毛。
しかし、実際に、書くべき要素を誤解無く読者に伝えられるように書くのはとて も大変なので、宗教論になってしまう確率は結構高いので、言語の比較論が不 毛なものになりがち、というのには賛成。
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弘法筆を選ばず、アレゲはキーボードを選ぶ -- アレゲ研究家
Javaの必要性 (スコア:1)
僕はいまいちJavaの良さが分かりません。
誰かJavaのすばらしさを語ってもらえないでしょうか。
Re:Javaの必要性 (スコア:0)
Re:Javaの必要性 (スコア:4, 参考になる)
比較が不毛なはずはないですね。
それぞれの言語に「違い」が有るのは(違う言語であるからには同語反復なみに)自明なので、
それを比較しないってのは全く意味をなさない行動です。
さもないと、どんな言語でも「同じであり、状況などによる使い分けは全く不要である」などという
明らかに現実に即さない結論が出てしまう(^^;
問題は、区別することではなく、差別することですね。
言語差別(^^;とでも呼ぶべき状態が、ご懸念の「不毛」な状態の正体かと思います。
友人によれば、差別とは、区別「しない」ことなんだそうです。
というか、正しい区別ポイントを見失って(故意か偶然か技量不足かはさておき)いる状態。
「嘘の相違点」に注目している状態。
だから的外れなことばかり言って禍根を作る。
的外れでなければ問題はないわけです。
言語の比較論 (スコア:2, 参考になる)
○○という言語はAという長所があり、Bという短所がある。
よって、Cという用途には向くが、Dという用途には向かない(と思う)。
私はEという特徴が好きでFという特徴は嫌いである。
よって私は○○は{好き|嫌い}である。
とかいった要素を全部漏らさず書かないと、宗教論(俺が好きなものは俺には いいものだ)になってしまうんですよね。宗教論になってしまうともう不毛。
しかし、実際に、書くべき要素を誤解無く読者に伝えられるように書くのはとて も大変なので、宗教論になってしまう確率は結構高いので、言語の比較論が不 毛なものになりがち、というのには賛成。