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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
まぁ最悪という訳でもなし。 (スコア:5, 興味深い)
当時ソ連は世界に先駆けて大陸間弾道弾を実用化したが、その実体は、技術者コロリョフの宇宙ロケット開発に利用されただけ、というものだった。コロリョフのR-7は今では最も成功した宇宙ロケットとしてロシアの財政に寄与するだけでなく、南米やオーストラリア沖の島からの打ち上げも予定されている国際的な傑作機とされているが、当時は打ち上げ失敗 [astronautix.com]はざらで、軍の金でたっぷりとバグ出しをした後に世界初の人工衛星を打ち上げて、軍には簡単に手出しできない名声を得てしまっていた。
R-7は特殊な射点設備を必要とし値段も高かったので、当時ソ連が配備していた大陸間弾道弾はわずか5発のみという状況で、これは明らかにアメリカに対して劣勢を意味していた。これは後のキューバ危機の原因のひとつともなったのである。
そんな状況の中、技術者ヤンゲルは戦略ミサイル軍に使いやすい大陸間弾道弾の開発の提案をした。ヤンゲルのR-16は2段式で、両方に毒性のある非対称ジメチルヒドラジンと四酸化ニ窒素の組み合わせを用いていた。有毒なことを除けば、この組み合わせは使い勝手も性能も最高のものだったのだ。
エンジンは当時有毒な推進剤を用いるかどうかでコロリョフと仲が悪かった技術者グルシコのエンジンが採用された。
政治的、軍事的な要請から、開発は限りなく急かされていた。開発開始後4年目にしてハードウェアが揃い始め、60年の8月にはいわゆるBTF燃焼試験が行なえるようになっていた。9月には本体が到着したが特に電気系統はまだバグだらけであった。10月20日まで電気系統は延々と弄りまわされて、そして打ち上げに問題無しとされた。
その時のサイト41での打ち上げ準備は、あらゆる安全規則を破っていた。燃料の充填がはじまっても技術者たちはロケットの周りをうろうろしていたし、打ち上げの指揮官であるネデーリン元帥はロケットの20メートル手前という距離で椅子を用意させて座っていた。彼はその日フルシチョフから直接、打ち上げを急ぐように指示されていた。
やがて2段目の電気系統に問題が見つかり、推進剤を抜いてきちんと調べようという提案がされたのだが、ネデーリンはそれを即座に却下した。
ヤンゲルがタバコでも吸うべと安全境界の外に出た時、ロケットの2段目は突然動作を開始し、点火した。真下には推進剤の詰まった1段目がある訳で、結果は大爆発だった。
現場にいた殆どの人間が即死だったと思われる。生き残った人間も有毒な推進剤を身体に浴びて火傷を負い、悲惨な状況だった。この事故の映像は残っていて見たことがあるが、凄惨の一言である。ちなみに、旧ソ連の打ち上げ事故というとこの映像が使いまわされ、マスコミに勝手な死傷者事故が捏造されることが多い。
生存者は病院へと運ばれたが、生存者を苦しめているのは一体何の毒物なのかと医療関係者が聞いても、軍は答えなかった。それは軍事機密だったのである。
この事故は以後教訓として生かされます。例えば1966年のソユーズ無人試験機、Cosmos140の打ち上げでは、打ち上げ途中でシーケンスが中断してしまい、27分後に突然緊急脱出システムが動いてしまって、射点でR-7(11A511)は大爆発を起こしてしまうのですが、死傷者はただ一人、打ち上げ指揮官のコレスニコフ少佐だけでした。
……一体なんでこの少佐はそんな間抜けをやらかしたかは、手元に資料が無いのでわかりません。
あの規模のハードウェアですから、この時期に失敗が出るのは何ら不思議では無いでしょう。そもそも一発で動いたのが不思議だったし。
軍事とか機密とかを優先すると今後はわかりませんが、ま、死者や怪我人がいなかっただけ、まだマシでしょう。
Re:まぁ最悪という訳でもなし。 (スコア:0)
Re:まぁ最悪という訳でもなし。 (スコア:0)
Re:まぁ最悪という訳でもなし。 (スコア:0)
# なんで、そんな危ない物を税金使って
# わざわざ打ち上げてるかってことは
# 問わないことにしておくよ