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全てを電子化しようとしているわけではありません。電子化することが有効なものについては電子化しているのです。文章はデータベース化されることによって新たな価値を見出すのです。演奏を録音し記録として遺すことは、それを聴く行為と生演奏を体感する行為は確かにかけ離れたものですが、そのような演奏が行われたと言う文化的証明として記録に遺す一つの方法としては非常に有効なものであるはずです。
絵画や、直筆で書かれた生原稿には、文化的価値と言うよりはまたちょっと違った価値が付加されているようにも思います。現代アートの方向は、印刷されるものにこそ、価値が見出されようとしています (この辺になるとさすがに、個々の感覚の違いが大きくなってくるので一概には言えないかもしれません)。
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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
ふぅ~ (スコア:0)
まさしくITボケ的な発想・発言ですが、出版物は単なるデータではありません。
作者が最後の一滴の汗まで垂らして仕上げた原稿…
編集者が家にも帰らず(帰れずに
元AC再登場! (スコア:0)
ここでいう「データ」とは「複製」という意味。
デジタル・データというのは、ほぼすべて仮想的な複製でしかない。
事実、人間はそんなものがなくって生きていける。
資
Re:元AC再登場! (スコア:1)
しかし、出版社やレコード会社は文化や作家を守るという名目の元各種権利を主張しています。
確かに本に関してはまだまだ紙とそれを扱う出版社は捨てられそうにありません。しかし音楽についてはCDやレコード会社を捨ててもいいような土台ができつつあります。それらは技術的な問題であって、将来的にはどちらも少なくとも現在の形のものはいらなくなるでしょう。
すると文化という点においては著作物の中心は入れ物ではなくデータとなり
Re:元AC再登場! (スコア:0)
これらを同等のものとしてしまうことこそが、
普通の(コンピュータとは縁遠い)人々から
明確な距離を作っている部分であり、
元AC(私)に「ITボケ」と言われていまう所以では?
たとえそれが遠い未来であっても、
リスナーが生演奏と録音された演奏を同じもの
と捉えるようになったならば、
その頃にはもうミュージシャンなんていませんよ。
画家だって、手描きの絵と印刷された絵が同等のもの
として扱われるくらいなら、絵筆を折ります。
あなたには、それがなぜかわからないでしょうが、
それならばこれ以上議論したって時間の無駄です。
これが「電子コミュニティーの狭さ」でしょうし・・・
だからと言って、決してあなたたちをけなしたり、
あなたたちの仕事を無意味なものと言っているのでは
ありません。むしろ逆に尊敬さえしています。
私には到底できることではありません。そして、
こうして今インターネットを利用できるのも、
(元はベル研ですが)あなたたちのおかげです。
ただ、一人のアーティストとして、
すべてを電子化しようとするあなたたちの一部の人々に、
警笛となるネタを放り込んだのです。
4月からのMoMA展で私の作品も並ぶので、
よかったらどうですか?
直接会って話せば、お互い通じないものも
通じ合えると思いますが・・・
Re:元AC再登場! (スコア:3, すばらしい洞察)
私は読みきれないほど本を買いますが、
私が読んでいる本は、紙に書いてある字を読んでいるわけではありません。
紙に書いてある字を通して描写された、著者が構築した精神世界とその切り口を楽しんでいるのです。
音楽に関しても生演奏なんていうのは既に幻想です。
生演奏が可能な楽曲も存在する、という程度で、
最初のまとまった出力が電子データ、スピーカからしか実質上世界に出ることのできない曲がかなり存在します。
生演奏がアートな方ももちろんいますが、
そうでないスピーカの振動を思うさま操って表現するアートの方もいるわけです。
それを私が聞くときに、スピーカの振動を聞きたいのではありません。
ミュージシャンが何かを伝えたいとして音波を操った、その「伝えたい何か」の方を聞きたいのです。
画家が写真によって仕事を奪われたなんてことがなく、
絵画は絵画で、写真は写真でアートを構成しているのは
物体として存在するものの質感を表現したい、表現を受け取りたいのではなく
その質感の向こうにある何か、を表現したい、受け取りたいからだと考えます。
写真の出回っている彫刻や絵画に対してわざわざ実物を見に行く行為の意味、
あなたはわかってくれなさそうです。
紙とか円盤とか鉄とか絵の具とか木材とかはどうでもいいんです。
表現技法だけでは不足です。
その向こうを見たいんです。
だから途中の、出版業や音楽業界には「その向こう」を邪魔するなら死んでもらうし、助けるならぜひ生きていて欲しいのです。
Re:元AC再登場! (スコア:1)
もし、あなたが一人のアーティストとして、そのような問題定義を投げかけているのであれば、せめて、その謎を残したような書き方ではなく、自分の作品を紹介するか、もしくは、似たような事を表現している作品を紹介するのがすじではないですか?
ただ、普段の作品とこの議論とは違うのだ、アーティストとしてというのは、立場がアーティストとしてなのだ、と言うのであれば、上記の文章は当てはまらないと思いますので、ご面倒でしょうが、お忘れ頂けると幸いです。
(4月からのMoMA展というのは、4月28日から六本木ヒルズの森美術館で開催される「MoMA ニューヨーク近代美術館 ~モダンってなに ?~」展の事でしょうか?)
どうやら読んでいると、あなたは、仮想的な敵を想定して、それと戦っているようにも見受けられます。
そしてもっと残念なことに、この/.jでの経験で、電子コミュニティーと言うのを断定しておられます。
もしあなたが、上記の展覧会に作品の掲示されるような著名な方であると言うのであれば、この残念な気持ちは私の中では何倍にもふくれあがるのですが。
私個人としましては、仕事を侮辱されたのではないという文章を額面通りに受け取り、溜飲を下げております。
もし、インターネットが利用できるから、と言う即物的な理由だけだと、ちょっと悲しいですけどね。
Re:元AC再登場! (スコア:1)
>逆に全くレコードがなくなってしまったのではなく...
の部分でちゃんと古いメディアや生の良さを認めています。
私自身もCGを描きますが一方で切絵なんかも作ります。
しかし私が言いたかったのは多くの作品はそのようなものを必要としていないということです。
昔はレコードしかありませんでしたから仕方無くレコードを使っていてCDが出てきたとき喜んでCDに乗り換えた人がほとんどだった、ということです。そしてレコードを捨てなかった、逆に最近レコードに移った人がいるのも事実ですがそれは小数であった、ということです。
おそらく電子出版が進んでも本を作る人はいるでしょう。しかしそれは芸術の表現方法として本という形式自体を使う場合に限られます。
そのような限られた用途のためだけに手厚い保護は必要ないのではないか、ましてやそれの弊害が大きいならなおさらじゃないか、というのが発言の主旨です。
>4月からのMoMA展で私の作品も並ぶので、
>よかったらどうですか?
>直接会って話せば、お互い通じないものも
>通じ合えると思いますが・・・
ACの方にそのようなことを言われましてもどうしょうもありません。
IDで投稿するか少なくともMoMA展での名前を載せないと釣り、荒らしと取られる恐れがあります。
文化を遺すと言うことについて再考を求めます。 (スコア:1)
全てを電子化しようとしているわけではありません。電子化することが有効なものについては電子化しているのです。文章はデータベース化されることによって新たな価値を見出すのです。演奏を録音し記録として遺すことは、それを聴く行為と生演奏を体感する行為は確かにかけ離れたものですが、そのような演奏が行われたと言う文化的証明として記録に遺す一つの方法としては非常に有効なものであるはずです。
絵画や、直筆で書かれた生原稿には、文化的価値と言うよりはまたちょっと違った価値が付加されているようにも思います。現代アートの方向は、印刷されるものにこそ、価値が見出されようとしています (この辺になるとさすがに、個々の感覚の違いが大きくなってくるので一概には言えないかもしれません)。
むらちより/あい/をこめて。
Re:元AC再登場! (スコア:0)
Re:元AC再登場! (スコア:0)
生原稿には価値があるが、出版物には価値は無いって事やね。
まして最初からワープロで書いてる作家なんて作家とは言えんと。
そうだな。そんな生原稿以外のものに金払ってやる必要は無いな。
コンピュータと縁遠い一般人にはそれが普通の感覚だよ。
ところで、コンピュータと縁遠く暮らせる地がこの日本にもありますか?