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僕は主に英語版とドイツ語版をよく読みますが、数あるソースの一つとしては、結構、使えていますよ。 というか、英語やドイツ語で概念をググルとかなりの確率でウィキペディアの記事が上位にきますから、積極的に使おうとしなくても記事を読むことは多いです。
ただ、シュタイナーの人智学とか、極右系の思想家の項目とか、反進化論のクリエイショニズムとか、そういう項目は、立場の違う作者の間の「書き換え戦争」になってたりしますが。でもその場合も、最近はそのことが明示されて [wikipedia.org]いますから、読者が知らずにとんでもない意見を鵜呑みにする危険は減ってきていると思います。
ウィキペディアの原則は、 1)知の「客観性」とは一人の博識家の「権威」によってではなく、「視点の複数性」によってのみ保証されるということと、2)「使えないと思ったら、自分で手を加えて使える記事してしまいましょう」というなんでしょうから、参加しちゃうのがいいんじゃないですか。
>それはWikipedia的には非常に真っ当な参加動機であると思います
まったくそうですね。参加する人は、たまたま間違いを見つけて直しを入れてくれる人とウォッチリストで自分の守備範囲を作って見張ってる人に分かれるんでしょうが、前者から入って後者になったりもするでしょうし。
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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
そんなにあってしかも使えないとは (スコア:1)
この分だと五千万項目くらいいかないと既製の百科事典くらい使えるようにはならないかもよ。
英語版などの場合 (スコア:2, 参考になる)
僕は主に英語版とドイツ語版をよく読みますが、数あるソースの一つとしては、
結構、使えていますよ。
というか、英語やドイツ語で概念をググルとかなりの確率でウィキペディアの
記事が上位にきますから、積極的に使おうとしなくても記事を読むことは多いです。
ただ、シュタイナーの人智学とか、極右系の思想家の項目とか、反進化論の
クリエイショニズムとか、そういう項目は、立場の違う作者の間の「書き換え戦争」
になってたりしますが。でもその場合も、最近はそのことが明示されて [wikipedia.org]います
から、読者が知らずにとんでもない意見を鵜呑みにする危険は減ってきていると思います。
ウィキペディアの原則は、
1)知の「客観性」とは一人の博識家の「権威」によってではなく、「視点の複数性」
によってのみ保証されるということと、
2)「使えないと思ったら、自分で手を加えて使える記事してしまいましょう」
というなんでしょうから、参加しちゃうのがいいんじゃないですか。
Re:参加しちゃうのがいい (スコア:1)
Re:参加しちゃうのがいい (スコア:1, すばらしい洞察)
それはWikipedia的には非常に真っ当な参加動機であると思います
「普通のWebページで思わず編集ボタンを探したことがある」~Wikipedia中毒症診断用の質問集 [wikipedia.org]より44番
Re:参加しちゃうのがいい (スコア:1)
>それはWikipedia的には非常に真っ当な参加動機であると思います
まったくそうですね。
参加する人は、たまたま間違いを見つけて直しを入れてくれる人と
ウォッチリストで自分の守備範囲を作って見張ってる人に分かれる
んでしょうが、前者から入って後者になったりもするでしょうし。
Re:参加しちゃうのがいい (スコア:0)
Re:参加しちゃうのがいい (スコア:0)
ちょっとした情報を追加しようとしたら、形容に形容を重ねるようになって読みにくくなってしまう・・・といって全体を書き換えるほどの文章力はない。
そんなわけで、コメントを書くだけにしといたが、説明が詳しくなってくると追加が困難になるってのは問題だなー。しかし、こりゃ日本語自体の欠陥だね。
英語なら本題を先に書いて、細かい情報を後に追加するのが普通だが、日本語は最後まで読まないと結論が分からないし、細かい情報も途中に挟んである。それで挟ん
Re:英語版などの場合 (スコア:1)
#625802のケースは「1. 編集合戦になっている場合」に相当すると思われます。
管理者の思想に反するというだけの理由で凍結が行われることはありません。
保護が掛けられてから既に半年近く経過していますので、
保護の解除 [wikipedia.org]を提案してみては如何でしょう。
編集にあたっては中立的な観点 [wikipedia.org]も重視されますのでご参考までに。
といっても、ある主張の存在について「記事中で触れること自体が中立性を損なう」
とする人が現れるなど、そもそも「中立」が何処にあるかを巡って論争になることも
あってそう簡単には行かないわけですが。
──おお神よ、あんたそこまでやるか?――