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国家が、自分自身の権力を利用して、自分自身に忠誠を誓うように 子どもたちを洗脳している、といった構図でしょうか。
まさか各個人にまかせれば、国家は維持できるとか思ってらっしゃるわけでもないでしょうに、なぜ異様だと感じるのでしょう?
そりゃきっと、彼国が「nation」なのに対して #117096 氏の母国が「country」だからだと思います。思想を以って維持し続けないと維持できない国ってものがあるってことは察してあげたい、ごくろうさまがんばってね、と。
ところがその国(The Nation)があんまり大きいから困りもんなんですが……。
が、それと「国家に対する忠誠心」とは別物ではないですか?
近代以降の国民国家においては, 国家の防衛は国民自身が自分たちの力で行うことになっています. いくつかの国で徴兵制が敷かれていたり, 国民皆兵制度になっていたりするのはそのためです. 国家の防衛を武士・騎士などの特権階級や, そのために雇われた傭兵に負担させていた, それ以前の時代とは違います.
いざというときに国家を防衛するのは国民しかいないのだから, その国民が国家に忠誠心を持たずして, どうして外敵を防ぎ国家を維持することができるのか, というのが国民に国家に対する忠誠心を要求する論理です. (それ以前の武士の時代なら,忠誠心は武士階級だけに要求され, その代わり武士階級に特権が与えられていたわけです.)
国家権力というものは必要なものです。
そう思うのであれば, その国家を維持することも, 当然必要なことと言わざるを得ないわけです. たとえば,言論の自由を補償してくれる国家がなくなってしまえば, こうやって自分の意見を発表することもできなくなりますから.
「国家は必要だが,国家に対する忠誠心は必要でない」という意見は, 戦争さえなければ成り立つのかも知れませんが, 世の中残念ながらそうなってはいないようですし.
国旗・国歌は,国際的な慣習として, 国を象徴するものとされ,敬意を払うことが要求されます. また,外国を航海する船舶は国旗を掲げて国籍を明示することを要求されています. よって,「なくてもよい」ということはできず, 日の丸が嫌なら代案を示すことが必要なのです. 国歌についても同様.
国民が自国の国旗・国歌を尊重しなければならないのは, 国旗・国歌が国家の象徴なのであれば,上記の論理から当然.
いざというときに国家を防衛するのは国民しかいないのだから,その国民が国家に忠誠心を持たずして,どうして外敵を防ぎ国家を維持することができるのか,というのが国民に国家に対する忠誠心を要求する論理です.
そんな心構えでは戦争はできない、理性を捨てて狂気に走らないと国家を防衛することはできない、というのなら、仕方ないですね。ぼくは戦争をすることはできません。(というか、そんな極限状況に立たされたときにどうするかなんて分かりません。ぼくもクルって戦争に参加するかもしれませんし)。
ですので、忠誠心なるものを持ってきて理性的な判断を曇らせることによって国民を国家防衛 (だと忠誠心を持つ国民には映るもの、かもしれない) に駆り立てる、ということには、やはり反対です。
それから、「この」国家のみが自分の道具として役立つ、というわけではありません。状況によってはそれしかない場合もあるでしょうが。「この」エンピツ (道具) が使えなくなればそのエンピツを捨てて別のエンピツを使えばいい。まあ、国家はエンピツよりずっと複雑で大規模な道具なので、エンピツほど簡単に捨てて代用品を探すわけにはいきませんが。
ぼくはこのスレッドの最初で、国は人がより良く生きていくための道具だ、と書きました。
もし、戦争という場面以外で「忠誠心」の要求が正当化されそうな場面があれば、 教えてください。
あなたはそうかもしれませんが、大部分の人は家族や親戚、伴侶、友人などが属する「この」国家を大切にしたいわ けです。
それから、「大部分」とあるので例外の存在は認めているので批判にはならないですが、 家族や親戚、伴侶、友人は「この」国家に属しているとは限りません。
国家は、人間 (国民や住民やそれ以外の人) の生命や幸福の役に立つ限りにおいて、価値があります。ですので、その観点から、「国家としてどうだ」という評価はありえます。
もしあなたが人間じゃなくて国家なら、国家の立場でものを考え、国民を国家存続という目的のための手段としてとらえるのもいいでしょうが、そうじゃないですよね。
国家が自己維持を目的としてしまう、ということは、残念ながら、真実のようです。国家に限らず、どんな組織でも、その組織の目的から外れて、その組織そのものの存続自体が自己目的化してしまうことは、よくあることです。が、それはもちろん、望ましくないことです。
ミーイズムを肯定するわけではありませんが、自己目的としての国家など、なんの価値もありません。
自分が使う道具を守るという意味では、国家防衛はありえます。
自分も,そんな立場に立ったことはないので,実際にそうなった場合にどうするかなんてわかりません。 「道具」という言葉にどれほど重い意味をこめられているかわからないのでなんとも言いづらいのですが。
理性を捨てて狂気に走らないと国家を防衛することはできない
金づちや鋸のような (あるいは鉛筆のような) 「道具」のために命を捨てるのなら,それは狂気かもしれません。 国家はそういう意味での道具などではない, という考えがある (あるいは,もっと他の理由がある) から, 実際に戦争ができるのでしょうが。
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計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである
「神」の部分だけでなく (スコア:2, 興味深い)
国家が、自分自身の権力を利用して、自分自身に忠誠を誓うように 子どもたちを洗脳している、といった構図でしょうか。
Re:「神」の部分だけでなく (スコア:1)
組織維持として当然の手法だと思うけど。国家による教育は洗脳でしかありえないよ。
まさか各個人にまかせれば、国家は維持できるとか思ってらっしゃるわけでもないでしょうに、なぜ異様だと感じるのでしょう?
: 〜〜〜 パルナス、けだるい日曜日。 〜〜〜
Re:「神」の部分だけでなく (スコア:1)
御意。
個人の利害というのは基本的に対立するものから、
社会は非合理な基盤に立たずして成り立つことはない。
だがしかし。
国旗に忠誠を誓わせるのが「当然」かどうかは別の話だと思う。
個人がそれに抵抗すること、反対すること、異様だと思うことが否定されるべきか?
当事者たる個人の視点から見ればそれは異様と感じられることがむしろ普通ではないか?
・・・と、思うのですよ。
また、必ずしも人は「国家」という「社会」の下においてしか生きられない訳ではないであろうということも付け加えておきます。
「国民国家」以外にも社会には様々な形があり得る筈なので。
gy0
Re:「神」の部分だけでなく (スコア:1)
そりゃきっと、彼国が「nation」なのに対して #117096 氏の母国が「country」だからだと思います。思想を以って維持し続けないと維持できない国ってものがあるってことは察してあげたい、ごくろうさまがんばってね、と。
ところがその国(The Nation)があんまり大きいから困りもんなんですが……。
Re:「神」の部分だけでなく (スコア:1)
が、それと「国家に対する忠誠心」とは別物ではないですか?
Re:「神」の部分だけでなく (スコア:1)
近代以降の国民国家においては, 国家の防衛は国民自身が自分たちの力で行うことになっています. いくつかの国で徴兵制が敷かれていたり, 国民皆兵制度になっていたりするのはそのためです. 国家の防衛を武士・騎士などの特権階級や, そのために雇われた傭兵に負担させていた, それ以前の時代とは違います.
いざというときに国家を防衛するのは国民しかいないのだから, その国民が国家に忠誠心を持たずして, どうして外敵を防ぎ国家を維持することができるのか, というのが国民に国家に対する忠誠心を要求する論理です. (それ以前の武士の時代なら,忠誠心は武士階級だけに要求され, その代わり武士階級に特権が与えられていたわけです.)
そう思うのであれば, その国家を維持することも, 当然必要なことと言わざるを得ないわけです. たとえば,言論の自由を補償してくれる国家がなくなってしまえば, こうやって自分の意見を発表することもできなくなりますから.
「国家は必要だが,国家に対する忠誠心は必要でない」という意見は, 戦争さえなければ成り立つのかも知れませんが, 世の中残念ながらそうなってはいないようですし.
国旗・国歌は,国際的な慣習として, 国を象徴するものとされ,敬意を払うことが要求されます. また,外国を航海する船舶は国旗を掲げて国籍を明示することを要求されています. よって,「なくてもよい」ということはできず, 日の丸が嫌なら代案を示すことが必要なのです. 国歌についても同様.
国民が自国の国旗・国歌を尊重しなければならないのは, 国旗・国歌が国家の象徴なのであれば,上記の論理から当然.
忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:1)
そんな心構えでは戦争はできない、理性を捨てて狂気に走らないと国家を防衛することはできない、というのなら、仕方ないですね。ぼくは戦争をすることはできません。(というか、そんな極限状況に立たされたときにどうするかなんて分かりません。ぼくもクルって戦争に参加するかもしれませんし)。
ですので、忠誠心なるものを持ってきて理性的な判断を曇らせることによって国民を国家防衛 (だと忠誠心を持つ国民には映るもの、かもしれない) に駆り立てる、ということには、やはり反対です。
それから、「この」国家のみが自分の道具として役立つ、というわけではありません。状況によってはそれしかない場合もあるでしょうが。「この」エンピツ (道具) が使えなくなればそのエンピツを捨てて別のエンピツを使えばいい。まあ、国家はエンピツよりずっと複雑で大規模な道具なので、エンピツほど簡単に捨てて代用品を探すわけにはいきませんが。
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:1)
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:1)
忠誠心と理性は両立可能なものです。決してどちらか一方の選択を迫るものではありませんよ。それに理性を持って戦争に参加することもあります。
見事なまでのステレオタイプな戦争観ですが、当時の一次二次資料を当たれば、そうでないとわかると思います。
日本における先の戦争も、国家が国民を煽った結果という面もありますが、それ以上に国民自身が戦争を煽ったという面もあることを理解していなければ、また同じ「狂気」が日本を覆います。中身が同じで言葉飾りだけをすり替えた狂気が。注意した方がいいです。
話を元に戻しますが、国旗国歌、信仰の問題をすぐ戦争に結びつけるのは的外れです。飛躍しすぎ。戦争うんぬんの話をしたければ、国旗国歌などという(戦争問題にとって)瑣末な所にフォーカスするべきではありません。
戦争という絶対悪で説得力が増すような錯覚を起こすのでしょうが、それは戦争に対して思考停止してしまうようなアレルギーの持ち主にしか有効ではありません。(そもそも絶対悪じゃないしね)
> それから、「この」国家のみが自分の道具として役立つ、というわけではありません。
あなたはそうかもしれませんが、大部分の人は家族や親戚、伴侶、友人などが属する「この」国家を大切にしたいわけです。
: 〜〜〜 パルナス、けだるい日曜日。 〜〜〜
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:1)
もし、戦争という場面以外で「忠誠心」の要求が正当化されそうな場面があれば、 教えてください。
それから、「大部分」とあるので例外の存在は認めているので批判にはならないですが、 家族や親戚、伴侶、友人は「この」国家に属しているとは限りません。
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:1)
なぜ忠誠心が必要か、というのが理解できないのは、kubotaさんがあくまで個人レベルで考えているからでしょう。もっとマクロ的な視野に立てば理解できるはず。理性で考えて行動してくれないのが国民なんですよ。だから国家として忠誠心を持ってもらう政策が必要なだけ。
kubotaさんが「私はそうじゃない。むしろ反発する」って言ったって、政府が「反発する人数より、忠誠心を持ってくれる人数の人が多い」って判断して実行しているのだから、kubotaさんのはただの個人的主張に過ぎず、政策批判になっていないのですよ。
> もし、戦争という場面以外で「忠誠心」の要求が正当化されそうな場面があれば、教えてください。
国家維持には必須ではないですか。国民の過半数が「日本がキライ」になれば、まあ国家として維持できないでしょう。税の徴収できなくなっていくでしょうし、企業も国外に流出するでしょう。国家機密も守りにくくなるし....キリがないな。
「忠誠心」に対して偏見をお持ちじゃないですか?私の手元の辞書では"忠誠心"="真心をもって尽くすこと"なんですが。
>他人がどう思っていようと構いません。国家に対する忠誠心をひとに要求するようなことさえなければ。
ですから、どんな国家であろうと、忠誠心を要求しなければならないのですよ.....キレイゴトを言えば、忠誠心なんてものは要求すべきものではなく、自発的に持ってもらうものですよね。しかしそれはあくまでキレイゴト。
> それに、大部分の人がそうかどうか、どうやって確かめたのですか?
本気で聞いてます?冗談ですよね?
> それから、「大部分」とあるので例外の存在は認めているので批判にはならないですが、家族や親戚、伴侶、友人は「この」国家に属しているとは限りません。
そんな瑣末なトコに突っ込まないでくださいよー。そういう突っ込みを警戒して「大部分」て表現してんですから。
少し「自分の立場」から離れて、鳥瞰的に物を見てみてはいかがでしょう。自分が国家を指導する立場になったら、と想像してみてください。敵対する国があり、国内にも様々な問題を抱え、しかし決断はたった今しなければいけない、という状況で。
私自身も、国旗掲揚の強制などには嫌悪感を持っています。しかしそれ以上に国家体制の維持の手法として認めています。国旗国歌の存在価値も。
: 〜〜〜 パルナス、けだるい日曜日。 〜〜〜
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
なんで たかが「公共機関集合体」に「真心もって尽くす」必要があるの?
支払ってる税などのコストと その結果として受け取っている
外交から 生活基盤までのメリットが 納得いく範囲にバランスしているか否かだけが問題でしょ。
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
そんな「国民から支持されない国家(*)」なら、維持する理由はないじゃない?
*: 隣の半島の北半分はそれに近いような気がする(:-P)
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
>政府が ~(略)~ 判断して実行しているのだから、~(略)~ 政策批判になっていないのですよ。
政府の判断が常に正しいという前提に立てばそうなりますね。
>国民の過半数が「日本がキライ」になれば、
真心をもって尽くさないのは全てキライなんですか?
オンオフしかないんですか?
>どんな国家であろうと
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:1)
国家は自己維持を目的として内包してしまうってこと、わかりません?(特定の国は指してません。日本でもアメリカでもどこでも同じ)
なんで国家の立場に立って物を見れないの?
なんで個人の物差しであれこれ国家を評価しちゃうのかな。国家としてどうだ、という評価ならまだ建設的なんだけれどもね。
: 〜〜〜 パルナス、けだるい日曜日。 〜〜〜
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
そりゃあたりまえ。
「朕は国家なり」なんて思ってる奴はいないでしょう。
まして、国家を擬人化する奴もいまいて。
# ん、一人いるのかな? :P
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
そんな立場にたった(つもり)の人間がこの国をメチャクチャにしたから。
そういう「大所高所の考え」ってのは「捨て駒を納得させる」方便に過ぎないんだな。
「国体の護持のために、臣民は醜の御盾となるべし」とおんなじ。
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
日本人の大多数が天下国家を正常に見ることができたら、民主主義という装置は、もっと正常に作動してます。
基本的に、親方日の丸で、お上に任せっきりなんですよ (w
人間が国家の立場でものを考える (スコア:1)
国家は、人間 (国民や住民やそれ以外の人) の生命や幸福の役に立つ限りにおいて、価値があります。ですので、その観点から、「国家としてどうだ」という評価はありえます。
もしあなたが人間じゃなくて国家なら、国家の立場でものを考え、国民を国家存続という目的のための手段としてとらえるのもいいでしょうが、そうじゃないですよね。
国家が自己維持を目的としてしまう、ということは、残念ながら、真実のようです。国家に限らず、どんな組織でも、その組織の目的から外れて、その組織そのものの存続自体が自己目的化してしまうことは、よくあることです。が、それはもちろん、望ましくないことです。
ミーイズムを肯定するわけではありませんが、自己目的としての国家など、なんの価値もありません。
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
そうそう、国家(を運営する側)の立場に立てば 忠誠心や 愛国心って便利だよね。
「なに? 政策に不満があるだと!? オマエには 愛国心がないのか! 国家への忠誠心がないのか!」
「なに? 税の使い道に無駄があるだと? 国家への忠誠心があれば、そんな不満などもつはずないだろう。国家がオマエたちの代わりに使ってやっているのだぞ」
「なに? 母親も働きやすいように保育所を増やしてくれだと?
国家への忠誠心が
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
そうでもしないと(色々な意味で)破綻するから。
でも、そういう人は多いと思う。
というか、大多数の普通の人はそうなんじゃないでしょうか。
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:1)
すんません、もうちょっと歴史の勉強してきてください。
戦後のアメリカによる洗脳は見事、という他ないな。
: 〜〜〜 パルナス、けだるい日曜日。 〜〜〜
Re:人間が国家の立場でものを考える (スコア:1)
どうも「国家」って言葉にアレルギーのある人が多いように思われる。
自分の利害や思想を超えて、国民全体の利害を考える、ってできないですかね。そういうのを指して「国家の立場で考える」って表現したんですけれども。
私は日本国民ですから、日本という国家の一部だと自覚しています。おかしいんでしょうか、こういう考え方は。
ま、けっこううんざりしました。kubotaさんはちゃんと自分の意見として表明しているわけだけれども、他のACどもは単語に反応して皮肉を言うことしか知らない。それも使い古された表現を使い回すばかり。思考するということを知らん。
やっぱ民主主義なんて幻想だな。衆愚政治になるだけだ。
: 〜〜〜 パルナス、けだるい日曜日。 〜〜〜
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:0)
>すんません、もうちょっと歴史の勉強してきてください。
・満州事変後の継続的な兵力の投入やその後の満州国建国は
当時の政府の命令を無視して強行された。
・大陸での戦線拡大や対米開戦は軍内部にも反対意見があった
Re:忠誠心は戦争を恐れぬ狂気に至るための手段? (スコア:1)
自分も,そんな立場に立ったことはないので,実際にそうなった場合にどうするかなんてわかりません。 「道具」という言葉にどれほど重い意味をこめられているかわからないのでなんとも言いづらいのですが。
金づちや鋸のような (あるいは鉛筆のような) 「道具」のために命を捨てるのなら,それは狂気かもしれません。 国家はそういう意味での道具などではない, という考えがある (あるいは,もっと他の理由がある) から, 実際に戦争ができるのでしょうが。