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プロはイメージで...というのは、似たような話を聞いたことがあります。松原仁(ひとし)さん [fun.ac.jp]の話でしたか、プロの棋士には「ここだ!」という位置が盤面の中で「光って見える」のだそうです。
見かけ上似たようなことをしていても、陶酔状態になることもあればならないこともあります。したがって、行為だけが陶酔性を決めると考えるのは早計でしょう。
例えば「電車でGO!」では、あらゆる手を使って(非常なんか当たり前)停目0cmをとればどんどんボーナスが増えていくわけです。で、ボーナス稼ぎがあちこちに増えるわけです。ところが、実車はそんなに簡単ではありません。衝動を抑え、停車時間(実時間)を詰め、かつ万一の制動系故障にも備え、一段制動階段ユルメ(自動ブレーキで付加空気ダメのない列車はもっと厳しく、制動管減圧のみ!)を全ての停車駅でとらなければなりません。さらに、各駅の有効長、構内制限、勾配も熟知している必要があります。ここまで来ると、うまくいくことの方が難しい(時々停車後に身を乗り出して停目を確認する運転士さんもいる)わけで、むしろ「失敗した~」という方が多くなってしまうときもあるそうです。後悔や反省こそあれ、陶酔なんて感覚は一切ありません。
こういうことを実体験したければ、(来年5月まで改装のため閉館中ですが)地下鉄博物館のシミュレータがお薦めです。ここでは運転士を初めとして営団の様々な運輸業務を経験した指導員さんがみっちり教えてくれます(以前お会いした方は営団のほとんどの路線を乗り、運輸区で助役まで務められていたそうで)。私も「壁に停目がついているからそこに合わせなさい」と教えられ、何度もハンドルを動かしました(終わるとくたくたでした)。
ちなみに、泊まりのメシ炊きの話から事故処理の話までいろいろ教えていただいたのですが、一番印象に残ったのは「見習いの指導で乗務員室に添乗していると前なんか見ていられない」という話です。なにせ前ばっかり見ていると速度や距離の目視でものすごく緊張してしまうのです(私は「なんとか横でくつろげる」程度だそうです)。実際、私も列車に乗るとかなり心拍数が上がります。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:2, 興味深い)
主に戦略シミュレーション系や、女神転生シリーズなどのディープなRPGとかだと思うのですが(それ以外については後述)、
兵士(or 仲魔etc)の気持ちになってプレイしつづけている子供はどれぐらい居るでしょうか?
いくら難しいミッションに挑戦していても、しょせん失敗のリスクはプレイ時間の増大ぐらいのもので、
しかも、それは子供にとって他の事情がゆるせばリスクではないという性質のものだと思います。
つまり、戦略系ゲームへの熱中は実感が伴わない熱中と言えると思うわけです。
アクション系は反射神経を発揮できる分、発育上は健全な気がします。
また、アクションでありながら高度な判断が要求されるものも有り、「いい汗(?)」かけます。
しかし、汗かいているわりに動いている体の場所が限られている、という問題点が残り、
またスポーツと同様に、プレイしていたらなんかやった気になるという陶酔性があることも問題です。
(この陶酔性というやつは、他の大概の事をしていても発生する模様です。自分のしていることが偉いと思い込むという形で・・・。)
また、いわゆる「お勉強」においても同様の問題は発生し得るので、ゲームと同時に「お受験」も批判されるべきです。
良さげなのは、工作、プチ探検などの遊びだと思います。
することがワンパターンにならないよう気を付けつつ、
総合的にクレバーな人物が育ってほしいと思います。
hackは未解決問題への挑戦という点では素晴らしいのですが、
いかんせん、ジャンルが限られてしまうことと運動不足になりやすいという点で子供には勧められません・・・。
#個人的オススメは、日常のいろんな事を哲学的に問題視させる事ですが、
#超準解析 [iij4u.or.jp]辺りでハマってしまっても知りません。これはこれで得るものは有りますけど。
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:1)
では、将棋やチェスで駒に感情移入する人ってどれくらいいるの?
棋士とかの頭もやっぱりゲーム脳で、人間性に乏しいの?
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:2, すばらしい洞察)
永井豪だっけ
"おまえたちに、チェスの駒になった者の気持ちがわかってたまるか!"
とはいえ、ゲーム機なんぞない時代から演劇を見たりや物語を聞いたり
といった行為で戦争や殺戮を仮想的に体験する機会はいくらでもあった
よね。
で、そういった体験が人間に悪影響を与えるばかりではなかっただろう。
ゲームを自ら参加することのできる仮想的な体験と考えると、その中で
感じる喜怒哀楽がプレイヤーにとって内的事実であれば、実体験と本質
的な差はないと思うんだが。
しかし、ずーっとそればっかりにうつつを抜かしていては駄目でしょ。
何事も過剰な耽溺は戒められるべきだと思うけど、件の報告はなぜ
ゲームに対して過剰に耽溺する人々が多いのかという根本問題を追求
することなく、ゲームそのものが「悪」であると決めつけてガス抜き
を提供しているに過ぎないよ。
こういうメディアも巻き込んだもっともらしい顔をした
「本質的でない事項をわざわざあげつらった煽り」
に、ストレートに反応するのもけっこうだけど、
彼ら(というのは必ずしも報告をまとめた人ではない)が
「本当に狙っているもの」
を想像してしまえて、それにそっちのほうが恐い。
ある社会的な命題に関して、その背景に非常な問題があったとして
それを隠すためには表向きの問題に世論を集めて大衆のエネルギー
をそこで費やさせるというのは、これまで何度も見てきた構図だ。
「分割せよ、そして統治せよ」
これは、あるいは
「分断せよ、そして知られずに制御せよ」
ということでもあるような気がする。
-- (ま)
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:1)
でもって、後半部分には同意、ですが、
>ゲームを自ら参加することのできる仮想的な体験と考えると、その中で
>感じる喜怒哀楽がプレイヤーにとって内的事実であれば、実体験と本質
>的な差はないと思うんだが。
には、ちょっと反対。
ゲームのイベントってそんなに情報量多くないので、残りの部分はプレイヤーが自分で想像するわけですが、
自分で想像した描写から得られる感銘って、そんなに事実とくらべらるほどの大きさはないもんだと思います。
だからこそ、実感が伴わないという言い方をしているわけで。
また、ゲームのもたらすカタルシスは、プレイヤーの内的欲望にフォーカスされているので、
麻薬的なところがあります。
とはいえ、これはべつにコンピュータゲームに限った事ではなくて、先にあがった物語などでも、
ドン・キホーテ的な人を生んでいるわけです(常軌を逸した騎士物語マニアも昔はいたらしいですし)。
僕も相当はまっていたクチなので一方的に非難はしたくないですが、
ディープなゲームは深みに嵌らせる効果も高く、抜けられない人を生み出しやすいですし、
スムーズにハマり状態から抜けられる環境にはしておくべきだと思います。
#ゲームの難易度の高さは、実際の事件にくらべればワンパターンである事が多く、
#レベルが違えど、サル状態である場合も多いと思います。
#偏見だと言う方、自己弁護でないという自信があれば、反論どうぞ。
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:0)
昔々のコマンド入力型アドベンチャーやってみな。
実際の事件よりはるかに複雑だから(w
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:1)
事件て、それじゃなくて、自分の行動を妨げるものという意味だったんですが、ゲームで事件とくればそう思いますよね・・・。
あと、自分でも変だと思う文章展開です。
「難易度が高いといってもアナログ接触がないため、
できることがコマンド(選択式でなくても。フィールド移動も含む)だけなので、形式的だ。」
という様なことをいうつもりが、単語が少しづつずれていた模様。
いくら何でも、それを凝ってるゲームの謎解きが簡単だなんて言いません。訂正します。
#書いてる途中で思ったのだけど、どうしようもなくリアルな体感ゲームがあったら
#それをしている人はどういう脳波になるのでしょう・・・。
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:0)
いえ、してないと思います。
>ゲームで事件とくればそう思いますよね・・・。
なんかおかしな想像をされてるようですね。
そういう事件もことは想定してません。
>それを凝ってるゲームの謎解き
ぜんぜんちがいます。
20年くらい前の機動戦士ガンダムをや
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:1)
カプセル戦記ぐらいからしか知らないのですが。
アレはおもろいゲームです、が、
アナログ的情報量が少ないのは何も違わないと思いますが?
もうよそうと思っていたのに、
ガンダムの名前を出されてしまったのでつい・・・。
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:0)
ガンダムゲーム図鑑 [biglobe.ne.jp]のパソコンゲーム(パッケージ版)のとこ。
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:1)
>昔々のコマンド入力型アドベンチャーやってみな。
>実際の事件よりはるかに複雑だから(w
あれは事件が複雑なのではなく、
やりたいことが思うように出来ないから難しいのでは?
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:0)
「やりたいことが思うように出来ない」のをなんとかしようとあれこれやってみるのは重要なファクターだと思うですよ。
そういう意味では、最近はまともなゲームはほとんどないですね。
不幸な時代です(w
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:1)
人間が相手の場合は、その反応はかなり複雑で玄妙ですが、その玄妙さを再現できるほどコンピュータゲームは凝っていない。Deep Blue [ibm.com] はチェスチャンピオンを破りましたが、Deep Blue の相手ばかりして人間性がそだつかは分からない。(カスパロフの人間性がよいかどうかは、知りませんが)
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:0)
それと感情移入する駒は王将だけでいいです。あとはファンネルなので。
そして、人間性については、・・・・・研究者チックという程度では(何が)。
ごめんなさいごめんなさい。
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:1)
今年の目標考え中
アマチュア棋士は左脳を使い、プロ棋士は右脳を使う (スコア:1)
プロ棋士はイメージで捉えながら考えると言うことかな。
探してみたら同じような内容のページがありました。
http://chiba.cool.ne.jp/tk1974/hitorigoto/unou.htm
サーチエンジンで探せば他にもいろいろあるみたい。
Re:アマチュア棋士は左脳を使い、プロ棋士は右脳を使 (スコア:1)
プロはイメージで...というのは、似たような話を聞いたことがあります。松原仁(ひとし)さん [fun.ac.jp]の話でしたか、プロの棋士には「ここだ!」という位置が盤面の中で「光って見える」のだそうです。
電車でGO! vs 実車|指導員つきシミュレータ (スコア:1)
見かけ上似たようなことをしていても、陶酔状態になることもあればならないこともあります。したがって、行為だけが陶酔性を決めると考えるのは早計でしょう。
例えば「電車でGO!」では、あらゆる手を使って(非常なんか当たり前)停目0cmをとればどんどんボーナスが増えていくわけです。で、ボーナス稼ぎがあちこちに増えるわけです。ところが、実車はそんなに簡単ではありません。衝動を抑え、停車時間(実時間)を詰め、かつ万一の制動系故障にも備え、一段制動階段ユルメ(自動ブレーキで付加空気ダメのない列車はもっと厳しく、制動管減圧のみ!)を全ての停車駅でとらなければなりません。さらに、各駅の有効長、構内制限、勾配も熟知している必要があります。ここまで来ると、うまくいくことの方が難しい(時々停車後に身を乗り出して停目を確認する運転士さんもいる)わけで、むしろ「失敗した~」という方が多くなってしまうときもあるそうです。後悔や反省こそあれ、陶酔なんて感覚は一切ありません。
こういうことを実体験したければ、(来年5月まで改装のため閉館中ですが)地下鉄博物館のシミュレータがお薦めです。ここでは運転士を初めとして営団の様々な運輸業務を経験した指導員さんがみっちり教えてくれます(以前お会いした方は営団のほとんどの路線を乗り、運輸区で助役まで務められていたそうで)。私も「壁に停目がついているからそこに合わせなさい」と教えられ、何度もハンドルを動かしました(終わるとくたくたでした)。
ちなみに、泊まりのメシ炊きの話から事故処理の話までいろいろ教えていただいたのですが、一番印象に残ったのは「見習いの指導で乗務員室に添乗していると前なんか見ていられない」という話です。なにせ前ばっかり見ていると速度や距離の目視でものすごく緊張してしまうのです(私は「なんとか横でくつろげる」程度だそうです)。実際、私も列車に乗るとかなり心拍数が上がります。
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:0)
>またスポーツと同様に、プレイしていたらなんかやった気になるという陶酔性があることも問題です。
工作や哲学的に問題視することにはこれらの問題点はないのですか?
Re:ゲームが複雑かどうかは重要ではない (スコア:1)
工作と言って想定していたのは、遊具を作る工作(竹とんぼとか、切り紙飛行機とか、船とか、ラジコンとか)のことで、
工作とその成果物を活用した運動、というべきでした(ラジコンじゃ運動できない?広場と家をダッシュで往復するじゃダメですか?)。
あと、哲学的云々は、日常生活の中で妙だと思ったことをちょっと掘り下げるだけで、
それ以外の時間は健康的に遊んでくれればオッケーです。
蹴り足とボールの飛び方を考察してみる(物理学≒数学≒哲学ということで・・)とか、
フェイントを掛けたときに相手がどう感じるか(心理学≒認識論≒哲学ということで)とか、
むしろ科学的に考察すると言ってもよかったのですが、文献を漁らず独力でなので、
古代の哲人と同じく総合的な科学観を持てたらいいな、と言う意味です。
以上、補足します。